初めて見る言語のデータセットから規則を見つけ、翻訳などの課題を解き、データの分析や言語学的な意味付けの能力を競う言語学オリンピック。国内大会は例年12月末に開催され、同時に国際大会の代表候補が選抜される。日本では大学生や大学院生を中心に国際言語学オリンピック日本委員会が組織され、大会の運営に当たっている。クイズ番組『東大王』に出演したことのある岡本沙紀さん(工・3年)も委員会理事の1人だ。今回は元日本代表である彼女に、競技の魅力や大会の周知に向けた取り組みについて話を聞いた。(取材・石井誠子)
求めるのは数理的論理分析力と人文科学的素養
──委員会の使命や大会の内容を教えてください
中高生への言語学の普及、国際大会への参加機会の提供はもちろん、言語学パズルという競技のあらゆる世代への普及も使命として掲げています。
言語学オリンピックの典型的な問題は、参加者が初めて見るであろう言語のデータとその訳、そして翻訳課題から構成されます。与えられたデータから、語順を含む文法規則や文字の仕組みなどを解き明かすことが目標です。実地でサンプルを集め、データの分析や文法記述を行うフィールド言語学のうち、競技にしやすい部分を取り出し、それを疑似体験するという意義もあります。数理的な論理分析力に加え、言語学的な思考力や想像力が問われる競技です。
──長年言語学オリンピックに関わってきたからこそ伝えたい競技や大会の魅力はありますか
問題の性質として論理パズルの側面を強調しすぎると、数理センスが問われると思われるかもしれません。しかし実際はそうではありません。問題に慣れ言語に対する素養が深まるほど、問題も解きやすくなりますし、解いた後の快感も増すと思います。センスを問わず誰でも上達を実感できる点が魅力です。
データセットの中にその言語を使う人たちの暮らしが垣間見えるのも面白いです。例えば、南国の言語ではタロイモやキャッサバがよく出てきます(笑)。
私自身、競技を通して言語学自体にも興味が広がりました。分析力が付くため、日常的に自分が話す言葉も少しは意識できるようになったと思います。新たな言語を学ぶ際にも、例文を見て自分なりの分析を重ねるプロセスは役立つと感じます。
──競技の楽しさ以外に得られるものもあるとか
日本代表は文理が半々であることが多いため、文理の垣根を超えた交流が可能です。私は理系でしたが、言語学オリンピックを通して文系の友達も増やすことができました。国際大会では他国の代表と言語の話はもちろん、「君の国では地学の授業ある?」「大学受験どう?」といったたわいないことも語り合うことができます。気が合う同世代の友人が世界中に、あるいは文理をまたいでできるのは、非常に美しいことではないでしょうか。
──言語学オリンピックは数理的な面と人文科学的な面の両方を持ちますが、文系学問とされる言語学と他分野の学問との接点は
言語学は文系学問であるとはいえ、心理学や認知科学寄りの部分もありますよね。最近では自然言語処理など情報学の分野ともつながりがありますし。言語学を知っていることで、理系の分野でも視野や選択肢が広がると思います。例えば、私は工学部で世界中のさまざまな場所で物を作るという、フィールドに根差した活動をしています。その際、言語が話者とのコミュニケーションの取っ掛かりになるという点で、人文学的な知識は将来的に役に立つのではないかと思います。
広く適切なターゲティングへ
──日本大会の参加者数は数百人程度と、誰でも知っている競技にはまだなっていません。言語学オリンピックを広めるという点で、どのような課題があると認識していますか
日本で理系科目とされていない言語学は、「科学」オリンピックの枠組みに縛られて、見つけてもらえていないのかなと思います。科学オリンピックに興味のある人もない人も、名前のせいで十分に引き込みきれていない部分があります。
日本では言語学が中高の科目になく、なじみが薄いのかもしれません。自分は英語が嫌いだから、国語が苦手だから、といった先入観にとらわれてしまうのも無理はありません。一方海外では、高校で言語学を学べたり、大会がメディアの注目を集めたりすることがあります。日本で言語学という分野の名称が与えるイメージと、実際の競技の楽しさや求められる能力に隔たりがあるのだと思います。
──他の科学オリンピックと比較して、言語学オリンピックは注目度が低いように思われます
言語学はJST(国立研究開発法人科学技術振興機構)が取りまとめる日本科学オリンピック委員会に属していない科目です。そのため、公式サイトに大会情報を載せてもらえなかったり、さまざまなリソースの支援を受けられなかったりします。他の科学オリンピックでは行われる合同記者会見や文部科学大臣への表敬訪問もありません。世界的には言語学オリンピックも他の大会と同列であるにもかかわらず、日本ではそのような機会がないために代表たちが少し残念な思いをしてしまう部分があるかもしれません。
──これらの障壁を乗り越えるための取り組みは
大会形式を改めたり、プレスリリースを出したりしています。国内大会を完全オンラインにし、年齢条件のないオープン枠を設けることで、地理的・年齢的な制約を撤廃しました。大会出場経験者に限らず、大人の方も実感を伴った応援がしやすくなったと思います。国際大会での代表の活躍を公表すると、出身地の地方新聞で取り上げてもらえることもあります。メディアを動かすのは大人なので、彼らに向けた発信は重要です。
──6月には言語学オリンピック入門書『パズルで解く世界の言語』(研究社)を出版しました
この本のタイトルには強くこだわりました。数理的な論理力をパズルで競いつつ、多様な言語に触れて言語学や人文科学の知識や想像力を養うという、競技の二面性を打ち出すためです。「言語学オリンピック」という名称で損をしている部分があるとすれば、本のタイトルでうまく払拭できればと願っています。
これまでは、過去問のみでは既に問題を解けるレベルに達している人しか取り込めない、問題と解答のみ公開されており解説が不足している、などの指摘もありました。言語学パズルを独立した競技として普及させることが、より広く適切なターゲティングにつながれば良いなと思います。
──言語学オリンピックに挑戦しようと思っている人に向けて、メッセージをお願いします
私たちは、この競技は楽しいものだと信じています。これほど楽しいものをやりながら友達ができたり、将来の選択肢が増えたりするのは非常にお得なのではないでしょうか。私自身、言語学オリンピックには興味関心を広げてもらうなど大変お世話になりました。問題や競技の内容を聞いて少しでも面白そうだと思った方にはぜひ挑戦していただきたいです。知的な快感や視野の広がりなど、多様なメリットを提供するべく、委員会としても頑張ります。