10月4日、駒場キャンパスで京論壇2015最終報告会が開かれた。東京大学・北京大学の学生が、今夏、東京と北京で行われた計2週間の議論の成果を発表した。京論壇は、中国で反日運動が大きく盛り上がった2005年、両国間で意見を交換するためのプラットフォームを創る目的で始まった学生団体だ。
今年は、サステナビリティ分科会、階層社会分科会、平和分科会の3つのグループにわかれ、議論が行われた。議論と報告会は英語で行われ、報告会では集まった学生らおよそ150人が、発表に耳を傾けた。
「若者を山の別の面を見に連れていくことが、京論壇の精神」
報告会では、まず北京大側代表のYuan Yiyangさんが挨拶した。Yuanさんは、はじめて京論壇に参加した2013年の体験を振り返り、「コミュニケーションの不足や討論の目標に関する誤解、双方の文化間の差異など、多くの困難がありました。しかし、これらの困難への挑戦や討論を通じて、私たちは自由な発想で考え、どこに偏見が潜んでいるのか感じ取ることができるようになったのです」と述べた。そのうえで「議論してきたことを通じて、私たちが社会に恩返しをすることは京論壇の大きな使命です」と話した。
次に、渋沢栄一記念財団の渋澤健理事が壇上に上がり、「歴史とは、大いなる山のようなものだ。歴史はそこにあって、変えることができない。そして人々は、その一面しか見ることができない」という過去の代表の言葉を引用して、「若者を山の別の面を見に連れていくことが、京論壇の精神だと思う」と話した。
続いて登壇した法学部の高原明生教授は、「2005年から2015年にかけて日中関係が改善したとは言えないが、京論壇が無価値だったということはもちろんない。京論壇のOBやOGが広範なネットワークを持ち、互いにコミュニケーションを取るだけでなく、時々顔を合わせていることは、重要な資産だ」と述べた。
サステナビリティと階層社会の観点から
その後、報告会は分科会ごとの発表に移り、まずサステナビリティ分科会メンバーがマイクの前に立った。北京大生がサステナビリティ(環境の持続可能性)を考えるうえで、自国の最大の問題は貧困にあると考えるのに対し、東大生が問題と考えるのは 教育制度や技術など、人によってかなり異なることを報告した。
そのうえで、「全ての国を国際合意に取り込むよりよい仕組みがあるはずであり、国内の関係主体が互いの役割を補い合うことができれば、国際協力は可能だ」と結論づけた。
次に、階層社会分科会が教育機会の平等や労働などをテーマに、討論の成果を発表した。中国人は会社“で”働く(work in the company)のに対し、日本人は会社“のために”働く(work for the company)という違いがあり、中国人は会社を場所や機能とみなすのに対し、日本人は会社を共同体のように考える傾向があると指摘した。
そして、議論を通して学んだこととして「私たちの価値判断は、社会的背景に影響されがちです」と話し、「たとえば、育児休暇に対して持つ意見が、どうしても男女で異なるときはあります。しかし、自分の意見がある程度まで偏っていることを意識すれば、どちらが正しいか口論するのではなく、議論を持ち、他者の意見に耳を傾けるようになるでしょう」とプレゼンテーションを結んだ。
日本の安保法案と戦後補償をめぐって
最後に、平和分科会のメンバーが登壇した。この中で、安全保障関連法案について、北京大の学生から次のような意見が出た。
「私たちは、この法案について当初3つの意見を持っていました。つまり、軍国主義の復活を示すシグナルである、大半の日本人は法案に強く反対している、そして彼らは法案の内容ゆえに反対している、という3点です。
しかし、議論の結果、私たちは3つの発見をするに至りました。もし日本が普通の国になり、国際社会でより積極的な役割を果たそうとするのであれば、法案は避けることのできないものであること。デモは、日本人全体が反対していることを必ずしも示さないこと、そして、多くの日本人が手続き(の正当性の問題)を重視して反対していることです」
そして最後に、「私たちは法案について、以前よりよく理解できるようになりましたが、情報が不足しているために日本政府が次に何をするのか、予想するのは難しいと思います。中国の人々の漠然とした恐怖を取り除くためには、日本政府がより多くの情報を提供する必要があるでしょう」と話した。
一方、日本の戦後補償の問題について、東大生の側から次のような報告もなされた。「京論壇に参加する以前、私たちの戦時中の行いについて謝るべきだという中国の要求の繰り返しに、正直言って私はうんざりしていました。なぜなら、私たちが村山談話の中で既にお詫びの気持ちを表現し、過去の行いを償うために様々な態度を示してきたことを知っていたからです。
なぜ、中国の人々は戦後補償の要求を続けるのでしょうか。北京大生の意見を聞くことを通じて、私は、日本政府の振る舞いが中国人には一貫性がないように見えていたことに気づきました。この一貫性のなさが、中国の人々を大いに悩ませ、不信に陥らせたのです。本心からの反省が効果的に伝えられなかったことで、日本側にも不信感が生まれました。
一方で、北京大生が確かだと請け合ってくれたことがあります。情報源の増加や日本に対して人々が独立した意見を持つようになったことによって、反日感情は弱まりつつあるというのです。したがって、中国政府が国を団結させ、安定状態を保つために、反日感情を使うインセンティブは小さくなっているのです。この事実は、日本の取り組みは近い将来、中国に受け入れられるという期待を抱かせてくれます。
北京大生の中にも、村山元首相によってなされた謝罪をよく知らない人がいました。この点に関しては、北京大・東京大双方が、中国側もこの問題に対する態度を考え直す必要があり、情報操作することなく、日本政府の取り組みについてもっと人々に知らせるべきだということに賛成しました」 そのうえで「加害者・被害者関係の構造と反省の伝達が非効果的であったことから、戦後補償に関する、この終わりなき負の感情の連鎖に対して、最初に行動を起こすべきなのは日本なのかもしれません。しかし中国側も、日本の誠意を受け入れる土台を準備する責任があります」と結論づけた。
報告会はその後、高原教授からのフィードバックと東大側代表・法学部3年の杉山実優さんのスピーチを経て、幕を閉じた。杉山さんは、スピーチの中で次のように話した。
「京論壇での2年間の経験を通じて、私たちの議論には3つの段階があると考えます。第一段階は互いへの違和感を言葉にすること、第二段階は相手の考え方を理解すること、そして第三段階は、それを機会として自らを見つめなおすことです」
「彼らの立場から、いま世界がどのように見えているのかを理解する」
報告会の合間に、記者から追加取材を受けた杉山さんは、「このイベントを通して、東大生や社会に向けて発信したいことは」という質問に対して、次のように答えた。
「北京大生と話していると、彼らには彼らの考え方があって、私たちから見れば『あれっ』と思うこともあります。ですが、それを聞いて『中国人は〜だから…』と頭ごなしに決めつけてしまうのではなくて、彼らの立場から、いま世界がどのように見えているのか、ということを理解することによって、お互いの不信感を少しずつ取り除いていけるのではないか、と思っています。
ネット上や新聞、雑誌等々で、かなり過激な発言が中国と日本の間では交わされています。こうやって顔を合わせてしっかり話し合うことによってしか、互いの不信や偏見を乗り越えていくことはできないのではないか、と考えています。このような形で私たちの議論を発表することによって、少しでもそういう思いを共有してくれる人が増えていったらいいな、と思います」
取材を終えて
近年、日中関係は良好な状況下にあるとは言えない。内閣府の「外交に関する調査」によれば、中国に「親しみを感じる」と答える人は1989年から2003年まで5割前後を推移していたが、2004年に40%を下回ったあと、2010年に30%、2012年には20%を割り込むなど、低下傾向が続いている。
中国でも、尖閣諸島をめぐる領土紛争に起因して、2012年に2005年以来の大規模な反日デモが繰り返された。国民感情を見れば、日中関係が険悪な時期にあることは否定できないだろう。
したがって、京論壇の10年間は、友好関係構築を目指す日中両国の市民が、受難の時を迎えた10年間でもあったとも言える。しかし、あるいはだからこそ、学生たちが意見の相違を認めながら議論の場を共有しようとしてきたことは、関係改善の糸口をつかむために重要な歩みだったのではないだろうか。互いを理解する姿勢なしに、互恵関係や心の通った関係を築くことはできないからだ。
京論壇の議論の内容をさらに詳しく知りたい方は、こちらでメンバーのブログを読むことができる。来年の活動については、2月頃運営メンバーの募集、4月に参加者の募集が始まる予定だ。来年以降の議論にも、期待がかかる。
(取材・文・訳:井手佑翼 写真提供:京論壇)