前日本銀行総裁の黒田東彦特任教授(政策研究大学院大学)。東大在学中に司法試験・国家公務員試験上級職(現・総合職)に合格した後、大蔵省(現・財務省)に入省。公務員ストライキなど国内外の大きな動きに直面した。その後第8代アジア開発銀行総裁などを経て、第31代日本銀行総裁に就任。退任後の今年4月には瑞宝大綬章を受章した。昨年歴代最長となる約10年の日本銀行総裁任期を終えた黒田特任教授に、東大での学びや、将来設計に悩む東大生へのメッセージを聞いた。後編では、アジア開発銀行総裁、日本銀行総裁時代の思い出や就活生へのメッセージを掲載する。(取材・本田舞花)
【前編はこちら】
前編では、カール・ポパーに憧れ法学を学んだ東大時代や公務員スト・大学紛争に大蔵省時代に迫る。
地方行政 G7 国外の動きに向き合う
──大蔵省に入省してから約20年後、三重県総務部長に就任しました。中央官庁から離れ地方行政に関わったことで得たものは
地方に赴任した場合のメリットは二つありますね。まず、本店や本省では数字を扱うことが全てなので、現実感がないのです。日銀風にいうと、「手触り感がない」ですね。地方に行くと知事や市長、経済界の人とコンスタントに意見交換する機会があるので、こういう政策をしたら誰が反対して誰が賛成するか、というのがだんだん分かるようになります。つまり、東京で決めた政策に対して各地域でどのような反応があるかが分かるようになるのです。
もう一つは、県も市町村もそうですが、地方行政は議院内閣制というよりも大統領制、否それよりも集権的です。こういった地方自治の実情は法律で定められているといっても、実際に体験しないと分かりませんね。政策を実行する際に知事や市町村の同意を得ることの重要性、国が地方自治体を動かすということの難しさを学びました。現在の地方行政の在り方では、コロナのような全国的な感染症対応などの時に、国全体で足並みを揃えることは中々難しいですよね。地方行政は面白く、そして複雑です。
──三重県総務部長などを経て 86 年に大蔵省に戻り、官房調査企画課の参事官に就任しました
まず、当時の世界の経済状況を説明しましょう。1970年代に第一次石油危機やそれに伴う世界的な不況が起こり、さらに日本や西ドイツと米国の間で貿易摩擦や経済対立が深まっていました。国際収支不均衡が大きくなり問題が出てきた際に、為替政策や国際通貨制度の次元ではなく、それぞれの国の財政政策を調整するような場の必要性が高まっていたのです。すでにG5で国際通貨制度や為替政策について議論し「プラザ合意(ドル相場を下げて円とマルクを上昇させる為替介入)」などいろいろな対応策を講じてはいましたが、日独の対米黒字といった国際収支不均衡は治りませんでした。その結果、各国のマクロ経済政策の調整を行うため、主要7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)が創設されました。
──参事官の仕事とは
元々官房調査企画課 (当時。2000年に改組され総合政策課に)には企画官という課長補佐クラスの役職がありましたが、それが参事官という課長クラスに格上げされました。参事官の仕事の半分は、企画官と同様に、調査企画課外国調査室(G7諸国といった海外の経済情勢を調査する、7、8人の調査室)の統括をすることです。もう半分は、財務官や国際金融局がG7で独走しないための「お目付け役」です。当時、日本銀行は大蔵省の監督下にありました。財政・金融政策を担当する部署に十分に根回しせずに、財務官が総理と相談して、東京サミットで G7創設を決めてしまいました。G7では、財政・金融政策の調整に調査企画課も関わる必要があるということで参事官のポストに格上げして財務官と傘下の国際金融局だけで勝手に決めてしまわないようにしたのです。そうはいってもこちらは課長レベルで、相手は財務官や局長ですからね。お目付け役なんて無理に決まっていると思いました。
──求められる役割を果たすことが難しい中で、どのように対応したのでしょうか
G7の売りの一つは、経済指標を使ってサーベイランス(監視)をし、それに基づいて国家間で政策協調をすることでした。最初のG7会議が86年にあり、国際通貨基金(IMF)が作った経済指標が、事前に配布されました。それを見ると日本の成長率がとても低かったのです。財政金融政策をもっと拡張しろということなのでしょうけど、ちょうど拡張しつつある時だったので、あまりに悲観的な見通しを出され、そのデータがG7の議論のベースにされるのはおかしいと省内で主張しました。当時の国際金融局長の内野孚(まこと)さんに「それほど言うならば自分で IMF に伝えて見通しを変えさせてきなさい」と言われたものですから、当時の IMF専務理事であるジャック・ドラロジエール氏にワシントンまで会いに行き、見通しを上げてほしいと直訴したのです。当然、経済見通しは調査に基づき客観的に作っているからと断られてしまいました。しかし直訴した効果はあって、G7会議で示された日本の経済成長見通しは0.1ポイント上げられていたのです。ドラロジエール氏はドライに却下しましたが、ほとんど意味はないけれども成長率をちょっとだけ引き上げてくれたのでした。
アジア開発銀行総裁、日本銀行総裁を経て 「求められるリーダー像とは」
──05年2月、第8代アジア開発銀行総裁に就任し「途上国の声をよく聞く『ホームドクター』として行動」することを基本方針と述べました。「ホームドクター」とはどのような考え方でしょうか
「ホームドクター」は、アジア開発銀行の初代総裁・渡辺武さんが提唱しました。IMF や世界銀行は、ワシントン・コンセンサス(米国政府、IMF、世界銀行などの途上国に対する政策スタンスの総称)と言って、開発途上国に上から目線で指示を出してしまいがちです。そうではなく、途上国と常日頃から関わって、困難や要望といった現場の声を聞いて対応するべきだという考え方です。私の総裁就任直前には、04年12月にインド洋の津波により、アジア全域で22万人、インドネシアで17万人近くが死亡・行方不明になりました。事務引き継ぎなどを行う前でしたが、就任後直ちに無償支援をする必要があると考えました。災害への緊急支援は国連や各国政府、非政府組織(NGO)が担当し、地域の開発銀行が復興支援を担当します。被害が大規模だったのでアジア開発銀行も準備金を崩し、食品や医薬品などの緊急支援を行うための無償支援資金約8億ドルを用意しました。
──その後も05年のパキスタン地震 、08年の四川大地震など自然災害が続きました
その度に現地を視察し迅速な復興支援を実施しました。アジアでは、02年には重症急性呼吸器症候群(SARS)や04年には鳥インフルエンザ、09年には新型インフルエンザが流行したことで、感染症による被害も甚大でした。アジア開発銀行は世界保健機関(WHO)と協力し、各国への技術支援や経済支援を行いました。助けを求める地域の要望に応じた的確な支援を見極めるには、現地の声を聞き、状況を正確に把握する必要があります。
──13年には、第31代日本銀行総裁に就任しました。任期中には、新型コロナウイルスの感染拡大による国内外の情勢、生活様式、経済状況の大きな変化が起こりました。未曽有の大きな変化に直面した時、どのように立ち向かうべきと考えるようになりましたか
これまでに経験したことのない、予想していなかったことが起こった時、実態を早急に把握し、速やかに対応策を打つことが最も重要です。従来のやり方が参考にできない時は、まず過去の歴史的な類似事例を探します。コロナの場合、全世界で感染して多くの人が亡くなるという事例は、20世紀初めのスペイン風邪以来ですよね。当時は経済にどのような影響があったのか、政府はどのような対応をしたのかを調べることで、ある程度今後の未来を予測できることもあります。全体像が完全にわかるまで待っていては、手遅れになってしまいます。迅速に対応策を打って、必要に応じてそれを修正していくことが大切です。
──現代社会では、経済、政治、文化などのグローバル化が進んでいます。アジア開発銀行や日本銀行の総裁としての経験を踏まえ、今後求められるリーダー像はどのように変化していくと考えていますか
日本銀行の総裁は2カ月に1回、国際決済銀行(BIS、各国の中央銀行間の協力促進を促す国際機関)の総裁会議に参加する必要があります。各国の中央銀行総裁とのやりとりで、自国の利益を主張しつつ、他国の立場も尊重しなければいけませんでした。グローバル化するということは、お互いに影響し合うということですから、誤解のないように意見を交換すること、必要があれば相手を説得すること、逆に向こうの意見をどこまで受け入れるかを判断するということが必要です。グローバル化というのは、一元的なものではなく、複数の相手との折衝や交渉の中で、相手と付き合っていくことです。そういった総合的な交渉を日常的にやる機会がないといけませんね。
また、金融にしろITにしろ、海外の人と関わる際には英語が必要です。発音やイントネーションは、あまり気にすることはないですよ。要するに言いたいことは言えて、相手が何を言っているのか理解できれば十分です。「伝わる英語」でお互いを尊重しながらコミュニケーションを取るスキルが最も重要でしょう。
──将来設計や就職活動に悩む東大生へ、メッセージをお願いします
どういう職業、どういう仕事を選択しても、予想通りになるかは分かりませんからね。やはり、自分がやりたいと思う仕事を選ぶことが大切です。高収入だから、人気だから、簡単だからという理由で就職先を選んでも、予想は外れやすいですし後悔が募ります。自分が心からやりたいことであれば、成果が出なくても受け入れられるでしょう。自分以外に理由を求めたり選びやすい道を選んだりするより、困難であっても自分が悔いなく貫ける道を選びましょう。また、将来設計に限らず何かを判断する必要がある時、リスクを恐れ優柔不断になっていては手遅れになってしまいます。まず今に向き合いながら、同時に過去の事例に学び、未来を予測して決断を下すこと、そして必要があれば自分の判断を修正していくことが重要です。