今回お迎えしたのは、サンリオ、東急ハンズ、東京ディニーランドなどに関わったプランナーであり、現在はくぼたつ塾、社会人セミナー、大学、専門学校や女子中学校で新しいことを考え出す演習型講義を手掛けている久保田達也さん。人工知能が普及する社会での教育について提言・実践をしている。
「アルファ碁」などでも注目されている人工知能によって、教育はどのように変わるのか。久保田さんに話を聞いた。
連想する力を育むために
――人工知能が巷で話題ですが、久保田さんはかねてから人工知能が普及する社会における新しい教育の形を模索する活動を手掛けておられました。教育はどのように変化していくのでしょうか。
仕事の世界で求められる能力が変わることに関係します。問題に対して即座に正解を答える能力は人工知能に敵わない。どんな暗記能力が優れていても勝てないし、知識情報を瞬時に望まれるように自在に編集してしまうのも勝てない。だから、人工知能を使う側に立つしかない。人工知能はあくまで指示をこなす役目。人間は”○○をやりたい”と指示する役目を譲ってはなりません。
そのためには創造力、いや、妄想力と言ってもいいかもしれませんが、新しいことを考える力がどうしても人間として必要になります。しかし、日本教育では暗記型受験知能つまり人工知能もどき能力の養成しかやってきてない。たいへん失礼だけど、受験のプロになって東大に入っても数年先は人工知能にあざ笑われる運命にある。
あ、これ、僕がかつて東大受験に失敗しておまけに大学中退ですから、ねたんで言ってると思っちゃってください(苦笑)僕はこれを、IQ(Intelligence Quotient、知能指数)からCQ(Creative Quotient、クリエイティブ指数)へ、と表現しています。
一つのことを最短で答える能力であるIQから、一つのことからたくさんのことを連想する創造力であるCQの養成へ、教育もシフトしていくべきです。
――CQを鍛えるような「教育」とは何でしょうか。
学習者が自由にやれる環境を提供すること、教師は教えずに、聞かれたら答えることです。TEDでの議論を見ればわかるように、アメリカではすでにこのことが意識されています。象徴的な事例があります。
13歳の少年が、親しくしていた叔父をすい臓がんで亡くしました。その際の検査に、不備があったのですね。もっと早くがんが見つかっていれば、叔父は助かった―そう思った少年は、インターネット中の論文をかき集め、自ら理論構築し、新しいすい臓がん発見モデルを示します。(TED:ジャック・アンドレイカ 有望な膵臓がん検査 ― なんとティーンエージャーが開発)彼は、大学の教授200人に見せに行って、1人から理解を得られ、予算と研究室を与えられます。研究に邁進し、3年後にはモデルの実用化に成功します。その際の彼のコメントが痛快です。「GoogleとWikipediaで何でも分かる―価値あるアイディアを持つためには、教授である必要はない」
すごい話だと思われるかもしれません。ですが、そういう社会はもう身近に迫っている。例えば、かつて大入り満員だったアニメーション学校教育も凋落しています。パソコンで自作アニメを創ってYoutubeデビュー、一躍人気作家になり出版社はそれを見てスカウト合戦たけなわ。ダンスは街中で自作ダンスを演じYoutubeデビュー、アクセス数があればステージプロディーサーからメールで出演依頼が来る。一億円かかったステージ設備環境はいまや10万円のアプリでOK、作詞作曲して自分で歌ってデビュー、人気スターになった若者が続々登場の時代です。金も時間もかからず自分独自の作品を出せばヒットする。教わったものをちょっと変えたような作品を作る時代はとっくに終わっている。
実は、教育ってシンプルなのだと思います。学べる環境を与えて、放っておくこと。そうすれば、子供たちは勝手に伸びていきます。教員に要求されるのは、「動機付け」をすることだけです。「何かを知りたい」という気持ちにまで子供たちをもっていけば、後はインターネットを使って自分で勝手に学んでいくでしょう。
僕は文科省から認可をもらって、瀧野川女子学園で中学生を相手に創造性教育を手掛けています。子供たちを奄美大島などに連れていって、自然の中でカヌーなどを漕がせました。そうして自然と遊んできた子供たちは、劇的に変化します。カヌーの漕ぎ方を教える?そんなことなどどうでもよろしい。海難事故が危ないから…と止める事でもない。
大切なのは一緒に漕ぐ事です。僕がカヌーを漕ぐ背中を見せながら、「どこへ行ってみたい?」と聞いたら「水平線まで」と。そういう体験をした子供たちはめちゃめちゃ元気だし、未知なものごとに対してどん欲な探究心をあらわにして、知的に挑戦してゆくように変化していくんです。こういった機会を提供することも教育の大切な使命でしょう。
瀧野川での実践は本当に面白い。学力別でクラス編成しているのですが、学力が高いクラスほど、創造性教育では、面白いものが出てこないのです。かえって下のクラスの子のほうが、水を得た魚のように伸び伸びとしている。未来の社会で求められる能力を象徴していると思いました。従来型エリートはもう駄目でしょう。
こうした彼女たちの研究がアップル社からも注目され、2月某日、銀座のアップルストアーでの研究発表会に呼ばれていました。日本のメディアでこうした彼女たちのアウトプットに注目したものは皆無です。しかし、こうした新しい知性の形が、世界では注目されているのですよ。
大学は学生がアイディアを提案できる場所を提供せよ
――そのような時代に、「大学」とはどうあるべきでしょうか。
根源的には、大学の存続そのものが問われているのではないでしょうか。今はインターネットからいくらでも知識が学べるし、無料講座(MOOC)もあります。 実経験もしてない講師の話より、TEDの実体験の話を聞く方が面白くなっているのが実情ではないでしょうか。
あまり知られていませんが、世界トップ企業はMOOCの成績でベスト10になった人たち(学歴のない人も含む)を青田刈りしている。大学の学科全部の合計が優秀な出来過ぎ君よりも、特定の分野にのめり込み、専門的知識をベースに独自の研究を切り開き世界初の発明発見を楽しんでいるオタッキーな逸材の方が、業績アップにつながるからです。
――そういった世界の流れも踏まえ、久保田さんが教育改革に取り組むとしたら、具体的にどのような教育にしますか?
昔から、「読み書きソロバン」と言いますよね。今の日本の教育では、「読み」は充実していると思いますが、「書き」と「ソロバン」が弱いと思います。ソロバンが何を指すかと言うと、自力でお金を稼ぐことです。教育はもっと自力でお金の稼ぎ方を教えたほうがいい。
特にインターネットが発達した現代では、自分のアイディアを現実化して自力でお金を稼ぐ手段に満ち溢れています。アプリを作ってもいいし、電子書籍を出してもいいのです。こうした、自分のアイディアを提案として出す作業が僕の言う「書き」にあたります。日本はこれまで、提案をする場所を子供たちや若者に与えてこなかった。このあたりを強化することが大事ではないでしょうか。
現状に適応するのはジリ貧だ
――今の若者へのメッセージはありますか。
三つあります。まずは「もっと怒っていい」ということ。 僕は就職もしてないので、会社にいまだにしがみついている同世代に対して、早く退けと思っています。彼らがバブル期の財産をプールして社会に出していない。学生もその点はもっと怒っていい。
第二に、皆さん忙しすぎます。時間と金に追われています。忙しくすることで、不安から逃れようとしているのかもしれませんが、根本的な解決にはなっていないでしょう。逆に、つんのめる生き方を辞めること、時間と行動の自由を取り返し、自分のやりたいことをやる時間を増やすことがブレイクスルーとなると思うのです。
第三に、「ねばならない」という発想を捨ててほしい。みなさん、いつから学校がつまらなくなりましたか。小学校の3年生位までは、喜んで学校に行っていたハズです。何でもアリだったのに、それ以降急に「ねばならない」と型の押しつけが始まるのです。そうではなくて、学生の皆さんには、もっと自由であってほしい。現状に適応してもジリ貧思考にすぎないのです。未来がどうなるのか、わくわくドキドキしながら明日を議論する次世代を担う若者の国であってほしいです。
――以上のお考えを踏まえ、具体的に今後はどんな活動をなさるんですか?
僕自身の人工知能使用経験を踏まえ、人工知能を利用したビジネスアイディアを皆で考え合うくぼたつ塾を昨年立ち上げています。私塾ですから文科省のうるさい縛りもなく、経営のことを考える必要のない環境で、若者の新しいことを考え出す実力を育てられればいいなあと思ってます。
去年は早速、塾生を奄美大島に連れていって、マングローブの中でテントを張って、星空を見ながらブレインストーミングをしました。僕は、人工知能を使いこなす冒険家を育てたい(笑)。1から100を考える人材は人工知能に駆逐されます。0から1を産む天才をブレイクさせたいですね。事務作業などの「当たり前」のことは人工知能に任せて、画期的で突拍子もないありえないことを考えて人生を楽しむ日本人を創出したいですね。
僕が今後の社会で必要とされる三本柱となる能力があります。「気づき」「閃き」といったアイディア力+どこにでも顔を出すフットワーク力+人工知能を使いこなすICT能力です。これらを、楽しみながら、笑いながら鍛える塾にしていければと思っています。教材は思考トランプカード+特殊電子書籍と自作アプリ、学習環境はクラウドネットワークと月一回の生授業、演習実習は離島などの冒険探検と、実際にモノを作るアトリエ工房という塾を考えています(笑)。
取材を終えて
自分が受けてきた教育は何だったのか――久保田さんと話していると、否応なくそのような問いに迫られざるを得ない。今、高学歴大学生に人気な職といえば、銀行、コンサルティング、広告などだ。だが久保田さんは、そのような職に未来はないという。
そのような現実を突きつけられて大学に戻れば、周囲の学生は従来型の就職活動に汲々としているのが現状だ。僕自身も久保田さんに取材を重ねる中で、二つの潮流のはざまで苦しんだ。
「東大型」(従来型?)の能力への批判は、僕自身への批判のようで、耳が痛いこともしばしばであった。今ここで僕が行なっているオンライン記事の執筆ですらも、人工知能が取って代わるという。こうした変化は、水面下で静かに進んでいくものだ。
人工知能によって、教育が変動する。東大型能力は凋落する。これを、実現しないホラ話である狼少年的言説とみるか、実現してしまうノアの箱舟的言説だとみるかは各人にかかっている。東大生の諸君は、どうかよく考えてほしい。
僕は相当程度、東大型学力は限界を迎えていると感じている。しかし、それが「大学」のせいだとは思えない。東京大学も、可能な限りで変化をおこそうとしているのを、各種の取材で感じている。それよりも、変化を恐れる学生の心に問題があると感じている。詳細は省くが、「保守的な学生」を印象づけるエピソードは、事欠かない。敵は己の心の中にある―。
東大生の中にある、保守的な心性とでも呼べるものが、どこに由来するのかは分からない。高校時代に既に植え付けられているのかもしれない。
「東大」というと、従来型の能力のシンボルとして、批判の対象になりやすい。だが、「東大」を語るのは多く親や教師などの部外者だ。問題の根は深い。新たな社会の到来に気づいた人から、叫び伝えるしかない――そのように感じている。手遅れになる前に。
(取材・文:沢津橋紀洋)
久保田達也さん
近日の活動として、『くぼたつの思考カード54-新しいことを考える方法-』インプレスR&D 出版(4月発刊)、「くぼたつの思考アプリ」有料webアプリ(4月サービス開始)、インプレス月例公開セミナー(4月講義開始)のほか、日経新聞、日本工学院専門学校、情報大学、瀧野川女子学園にて創造性に関する講義を手掛けている。アポイントは kubotatu55@gmail.com まで。