東京大学で哲学の研究をする國分功一郎教授(東大大学院総合文化研究科)。初年次ゼミナール文科などの授業を担当するだけでなく『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)を執筆するなど、東大を代表する文化人の一人だ。学生時代のサークル活動、フランスでの留学生活について聞くとともに「伝説の文化祭」を作ることに対する思いを聞いた。(取材・川端萌)
サークル一筋の大学生活 「とにかくしゃべっていた」
──大学時代はどのようなサークルに所属していましたか
「早稲田大学政治経済攻究会」というサークルに所属していました。歴史の長いサークルで、後輩には政治学者の白井聡さん、先輩には経済学者の水野和夫さんがいます。政治や経済に関する本を読み、議論をしました。今とは違い、当時は授業に出ないことが一般的で。僕も授業には出ずにこの攻究会にこもって毎週勉強会を開いていました。部室に行くといつも誰かがいて、話をするわけです。卒業した先輩も来たりして、たまり場になっていました。部室は午後10時に閉まること以外、自由な空間でした。部室が閉まった後はサークルの仲間達とよく飲みに行き、その後カラオケに行きました。部室、居酒屋、カラオケが一連の流れとしてありましたね。でも飲みに行くというよりしゃべりに行っている感じで。部室よりも、居酒屋での議論の方が本番というイメージですね。部室では本を手にしゃべり、居酒屋ではコップを手にしゃべり、カラオケではマイクを手にしゃべる。私を含め、とにかくみんなでずっとしゃべっていましたね。
──サークルで議論する中で特に印象深かった経験はありますか
特別印象深かった経験があるわけではありません。ただ、サークルでの議論で自分の差別意識や偏見を指摘してもらえた点が、印象に残るというか、感謝している点ですね。スピノザの言う通り、人間には誰しも初期段階では偏見があります。けれどもそれは普段は表に出てきません。しかし相手と議論を重ねると、ある段階で必ず偏見が出てくるのです。僕は自身の差別意識や偏見を指摘され、自分を見つめ直しました。大変で、苦しくて「自分、やっぱりダメだなあ」とつくづく思いましたが、それが本当にいい経験になりましたね。現代のインターネット時代では一度問題発言をしてしまうと終わりという風潮がありますが、それでいうと僕は問題発言をしまくっていたわけです。それらの発言ににじみ出る自分の弱さ、すなわち差別とか偏見を、仲間や友達として、糾弾するわけではなく、指摘してもらえた。その経験が今の自分につながっていますね。
仲間と意見を言い合い、いろいろな見方を身につけることが大事だと思います。はっきりいっておきますが、インターネットで自由に意見交換ができるようになったというのは嘘です。むしろインターネットの外で集まって言い合うことが大事ですよ。
──刺激的な学生生活でしたね
当時は刺激的とか特に思っていなくて。指摘されるともちろんむかついたりするわけで、よく怒っていたと思いますよ。しかし社会に出て、幅広い学門分野や業種の人と話す機会が学生の時よりも増え、そこで「僕はラッキーだった」と実感しました。というのも、他人との議論を通して自分を対象化し考える機会は世の中にそれほど用意されていないと気付いたのです。僕は今でもたくさんの差別意識を持っていると思います。ただ「自分は差別意識を持っているかもしれない」という実感があれば、ものの言い方とか考え方が変わってきますね。
また学生時代に議論を重ねたおかげで、どうしたら議論に負けるのかも分かるようになりました。哲学の先生あるいは言論人として発言するときに、自分は間違うかもしれないという気持ちを持ちながら発言できる点と、サークルで得た議論のノウハウを使える点において、サークルでの活動が現在も非常に役立っています。
──学園祭に参加しましたか
学園祭にはあまり参加しませんでした。私にとって文化祭シーズンは、秋に集中的に休める時期でした。学園祭自体に反発していたわけではなかったのですが、当時の学園祭は自分のイメージする学術的な学園祭とは違っていたのでしょうね。1年生の学園祭の時期はサークルの読書会で使うマルクスの『資本論』のレジュメを一生懸命作っていましたね。とても大変でした。文化祭に参加する人はそこで楽しく過ごせばいいし、参加しない人は『資本論』を読むなり、自分の好きなことをすればいいと考えます。
「何もかもが自分向き」なフランスでの生活
──大学院生のときフランスのパリに留学されたとのことですが、日本とフランスの学生で文化に対する熱意の違いはありましたか
大学院生のときパリ第10大学(当時)に留学しました。研究内容がフランス哲学だったので、一度現地に行かなきゃ駄目だろうと思っていましたが、きちんとした理由は考えていませんでした。外国に留学するのが当たり前だと思っていたので。
フランスの大学生は、授業が終わるとすぐ帰ってしまうのです。あぜんとしましたね。寂しかった覚えがあります。だからフランスの学生の課外活動についてはあまり知らないのです。課外活動は日本の方が盛んだと感じました。
──現地に行って良かったことはありましたか
いろいろとあります。今となっては歴史上の人物である哲学者ジャック・デリダの授業を受けました。とにかくデリダは本で読むのとは全然印象が違いました。ややこしいことを言うおじさんというイメージを持っていたのですが、実際は極めて明晰(めいせき)な人で、一発でファンになりましたね。僕の直接の先生もエティエンヌ・バリバールで、いわゆる「すごい」人たちの授業を直接聞けたことは貴重な経験でした。
他に良かったこととして、フランスの文化が自分に合うことが挙げられます。米よりパンのほうが好きだったので食文化も合うし。日本から現地に行く人で「郵便物が届かない」とか文句を言う人はたくさんいますが、僕は全然不満はありませんでした。みなさん物をはっきり言うのでコミュニケーションも楽でしたし。フランスは何もかもが自分向きでしたね。
──留学経験が今の自分にどのような影響を与えていますか
ちょっとくだらない話をすると、実は僕、偏食がひどくて野菜を全然食べることができませんでした。それがフランスに行って、野菜が大好きになりました。とにかくフランスの野菜は安くておいしくて味も濃くて。フランスではサラダ自体がメインディッシュ級の一つの料理なので、肉と魚を食べない日も結構ありました。またフランスにいるアラブ系の人たちが作るオリーブオイルのかかったお豆のスープが忘れられません。本当においしかったですね。食への意識を変えてくれた点で僕はフランスに感謝しています。
「映像による哲学の試み」インターネット時代への挑戦
──現在、研究以外に熱中している趣味はありますか
特にないですね。趣味がないというか、昔のような趣味への熱意を感じなくなりました。強いて言えばインターネットで「映像による哲学の試み」という映像の配信をするために映像技術の勉強をしていることですかね。この映像は撮影から配信まで全て自分1人で行っています。みなさんに見てもらうには映像的にそれなりにきちんとしたものにしないといけない。機材をそろえて音声を調整するなど、自分なりの工夫をしています。
──「映像による哲学の試み」を始めたのはどうしてでしょうか
インターネット上にインターネットとは違う時間を作りたいという思いがありました。インターネット上ではものの善しあしを瞬時に判断することを強制されますよね。一方インターネットの外では、人と会って話す、本を読むなどの「時間をかけて考える」機会はいくらでもあります。インターネットが人間に賛成か反対かを常に迫ることで、ものを考える機会を奪っているわけです。人間がじっくりと考える時間をインターネット上に作れないかと思い映像配信を始めました。
伝説の文化祭を作ろう「冷凍の唐揚げは売らないで」
──もし自分が今、学園祭の展示を企画するとしたらどのようなものを提案しますか
実は1回だけ実行したいと思ったことがあるのです。それは、古代ギリシャ哲学者みたいな服装、例えば白い布をまとった格好で突然キャンパスの中に現れ、道端でゴルギアスの対話篇を延々と朗読する計画です。いわゆる路上ゲリラライブですね。面白そうだなと思い、友達と色々と話し合ったのですが、せりふを覚えることがあまりにも大変なので、計画は頓挫しました。今思えば、本を片手に朗読をすれば、全てのせりふを覚える必要もなくゲリラライブを実行することができたのですよね。久しぶりに思い出しました(笑)。
──学園祭の意義や理想像は何だと考えますか
学園祭は、どのような人かが分からないお客さんをいかに楽しませることができるかという能力を磨く場であると思います。講演会を開催するのだったら、面白い人を呼び、面白い話をしてもらうことを真剣に考えなければならない。唐揚げを売るのだったら、冷凍の唐揚げではなく、仕込みから本気で考えて美味しい唐揚げを作る。何かを工夫をすることが大事ですね。
また学園祭の企画を考える学生に言いたいことは、とにかく内輪ウケにならないようにしてほしいということです。お客さんをお客さんとして楽しませるにはどうしたらいいか、最大の知恵を絞ってもらいたいです。
──最後に学園祭に対する思いを教えてください
歴史に残るイベントを作るつもりで企画を考え、実行していただきたいです。お客さんを楽しませるのは、当たり前。「楽しませる」ことに全身全霊を注ぎ、最終的に「伝説の文化祭」になることを目指して欲しいです。それこそ白い服を着てゴルギアスの対話編のゲリラライブすることも、うまくいけば伝説になるかもしれないですね。