なんで高知やねん!
高知と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?「坂本龍馬、四万十川…そういえば『県庁おもてなし課』の舞台って高知だったけ?」数カ月前、僕の中での高知へのイメージといえばそれくらいのものだった。
この連載は『セミが見た高知』と題する以上、高知をテーマにしたものだが、高知に行ったことも、高知のことをほとんど知りもしなかった僕がなぜ高知について書いているのか?それは、偶然ある講演会のチラシを目にしたことがきっかけだ。
「高知県知事、駒場に来たる!!」
「へー、知事が来るんや」高知県について何気なく調べてみた。人口は約72万人、人口減少率は西日本ワースト、けっこう大変らしい。しかし、何がというわけではないけれど、自治体のHPや関連する記事を見ていると、なんだか引っ掛かるものがあった。「なんか面白いかも。」別に根拠があったわけでもない。ただ、不思議な引っ掛かりを覚えたのだ。僕は講演会に「潜る」ことを決めた。
そして、せっかく知事が来るんだ。何か面白い提案をしようと思った。
大学入学以来、こんな調子で「名刺アタック」を重ね、得難い人生のお師匠さん、先輩、経験を得てきたのだ。三重出身の田舎大将だもの、(母校の)先輩は数少ないし、チャンスは待っていても来ないから。
今回、ふと浮かんだのは半年ほど前に考えていた「若者会議」だ。三重県伊勢市で生まれ育った僕は、「地方」について日々関心があるので、(生活費や研究費の支援を頂いている)孫正義育英財団の友人たちと、若い視点を、その地域の出身かどうかに関わらず、自治体の政策決定過程に取り入れるべきだという「若者会議」を地元を中心に提案してきた過去があった。「高知の人たちなら受け入れてくれるんじゃないか」そう思った僕は、友人であり、ライバルの川本亮(アブを使った食品リサイクルプロジェクト・Grubinの代表。この1カ月ほど前に「これからの日本について」アツく語り合っていた)に声を掛け、知事の講演が終わったタイミングで「名刺アタック」をすることに決めた。
この連載は、高知と縁もゆかりもなかった一人の「セミ少年」が、高知の人たちの温かさにふれ、高知にほれ、現実の厳しさを知り、地に足つけて取り組む過程を通して気づいた大切なことを伝えたい、そんな思いで始めるものだ。
そもそもお前誰やねん!
ここで少し、自己紹介を。僕、矢口太一は現在、東京大学工学部機械工学科3年生。三重県伊勢市出身。小学校5年生から「セミの研究」をはじめて今年で11年目になる。現在は孫正義育英財団の正財団生として、多方面でのご支援を頂きながら研究などの活動に取り組んでいる。他にも地元三重で県庁との教育プロジェクトを立ち上げたりしている。
周りからは「セミ」として通っている矢口太一が、ふるさとや地方に貢献したい!という思いから始まった取り組み。高知で「あーでもないこーでもない」と言いながら、力になってるんだか、迷惑掛けてるんだかわかんない。でも、そんな僕を温かく受け入れてくれる皆さんとのやり取りの中で、大学にいては決してわからない学びがたくさんあった。その中から一つでも多くを皆さんにお伝えしたい。
知事を直撃!
講演会当日。前日夜に提案を川本と書き上げたばかり、遅刻気味に駒場へ向かった。そして講演会終盤、「おい……まじかよ……」せっかくの提案書を印刷し忘れていたことに気づく。大失態である。そんなことを思っているうちに講演会が終わり、知事が足早に教室を出ていく。「ええい構うもんか、いったれ!」
「知事、1分時間をください!」
「セミの名刺」を渡し(ちなみに川本は「アブ」の名刺である)、iPadに映した提案を説明。
「面白い、ぜひ高知の枠組みを使ってください」
しかし、頂いた知事の名刺にはメールアドレスがないことに気づく。これでは連絡できない。
「提案書を印刷し忘れてしまったので、メールでお送りしたいと思います。連絡先を教えていただけると..!」
逆転の発想である(笑)。
高知を僕らで変えてやる
そして日を置くことなく、僕と川本は、高知県東京事務所の沖本健二所長、松本和久副所長をはじめ皆さんとの打ち合わせに入った。
「君たちの力を貸してほしい」
沖本所長、松本副所長は今までの僕の「公務員」のイメージと違っていた。「やっぱり、高知は何か違うぞ」そう確信した瞬間だった。
「高知県の現状は非常に厳しい。そのことを知ってほしい」中山間地域の過疎化、学校の統廃合、地方の典型的な課題が山積みになっていることを知った。
「まずは東部を見に行ってはどうか」四万十川があるのは西部である。かろうじて室戸という地名を聞いたことがある程度だった。
びっくりするくらいの速さで、高知県東京事務所の皆さんのご支援が決まり、3月中旬に高知に訪問することが決まった。知事に提案をして、2か月が経っていない。
「僕たち、若い力で高知を変えて見せる。「高知若者会議」を作るんだ」鼻息荒く事務所を後にしたのを覚えている。
既存の枠組みも、プログラムも一切ない。筋書きなんて一切ない冒険が始まった。
文・写真 矢口太一(孫正義育英財団 正財団生・工学部機械工学科3年)
【セミが見た高知 シリーズ】