メールボックスをチェックしていると、あるメールが目に止まった。
「東大卒で、東大新聞OGの北野と申します。文学部哲学専修課程卒業後に就職し、結婚を機に退職。漫画アシスタントをしながら新人賞に投稿、小学館で賞を取りデビュー。出産後の現在、講談社で書き下ろし単行本を作成中で……」
何やら面白そうなOGだ。早速、差出人の北野希織(きたの・きお)さんに会いに行った。
(取材・石井達也 撮影・小田泰成)
悩める思春期を経て東大へ
「悩める思春期だったんです」と苦笑いを浮かべる北野さん。これまで歩んできた道がそのことを物語っている。
当初から漫画家を志していたわけではなかった。ただ、昔から絵が好きで中学・高校時代にはアトリエに通っていた。美術大学への進学を検討していた時期もあったが、志望者の中では際立った画力がなく、画家の道はいったん諦めた。アトリエでは美術の先生になるために教育大学へ進学することを勧められたが、絵を教えることに迷いがあった。
その「悩める思春期」に出会ったのが哲学だった。高校時代から放送大学の講義を受け、哲学の巨匠・渡邊二郎氏の分かりやすく真摯な語りに感銘を受ける。面接授業に参加した際には、その受講生の数に驚いたという。「こんなに多くの人が生きることに悩んでいるのか、と驚きました」
哲学を学んですぐに自身の悩みが晴れるわけではなかったが、誰にだって悩みはあるのではないかと考えるように。「駄目なりにちゃんと生きていこう」。絵を趣味としてたしなみながら勉学に打ち込み、渡邊二郎氏の出身校である東大への進学を決めた。
入学後1、2年次には、英語を用いたさまざまな活動を行うサークル「E.S.S.」でディベートに取り組み、チームメートにも恵まれて全国準優勝という成績を残す。3年次に本郷に進む際「世界を知るために、いろいろな人に会って話を聞きたい」と東大新聞に入部。ミスターコンテスト取材や、運動会寮の宿泊体験などを楽しんだという。
卒業後は通信教育業界でグループ教育ソフトの開発などに携わった。働き始めて2年後、同窓の男性と結婚。夫の転勤の際、別居はできないと考え、北野さんは勤めていた会社を退職した。
漫画が持つ力に気付いたアシスタント時代
結婚は、北野さんのキャリアの中で一つの転機だった。家事の傍ら、プロ漫画家のアシスタントに応募し、経験を積むことに。師事していた少女漫画家の元には、悩みを持った読者からのファンレターが届くことがあった。それを見て、北野さん自身も少女時代に悩んでいた際には漫画に支えられていたことを思い出す。「漫画は、人生の慰めになるのではないだろうか」。その思いがいつしか北野さんの中で大きくなっていた。
自身の漫画執筆に打ち込み、新人賞への投稿を続ける日々。もちろんアシスタントは付けられず、全て自前で作業した。紙の原稿での漫画のトーンは、半透明のシール状のシートをカッターで切り抜き、一つ一つを貼り付ける。時代物を描く際は、市販していない模様を自作でシールにした。「こんなに細かい作業をしているのかって、手伝ってもらった友人に驚かれたことを覚えています」。漫画家の苦労は、制作に携わらない限り分からないものなのかもしれない。空き時間を最大限に活用して「限界まで描いた」結果、新人賞に入選。プロの漫画家として歩み出した。
哲学を漫画として表現する
出産も、北野さんのキャリアで大きな転機だ。一時は漫画執筆を休んでいた北野さん。復帰時には「思春期から興味を持っている哲学について漫画にして、電子書籍として発表しようと考えました」。
その時期に、たまたま漫画編集者・石井徹さんのインタビューをオンラインコラムで読み、人柄に引かれた。石井さんは数々のヒット作を手掛けたマガジンの名編集者で、学術的な古典作品を漫画化する「まんが学術文庫」を創刊した編集長だ。北野さんは「哲学を勉強していたのでお力になれます」と連絡を取った結果、J.S.ミル『自由論』の書き下ろし漫画を執筆することになった。
古典作品の漫画化は、物語をそのまま漫画にすれば良いというわけではない。作者自身を登場させたり、作者の視点から描いたり、架空の人物に原作の思想を紹介させたり……こうした工夫で、漫画として楽しめる作品にすることが必要だ。
北野さんは石井さんから熱血指導を受けていると話す。石井さんが担当した『名門!第三野球部』などを熟読し、少年漫画の模写を繰り返し、男性向け漫画の作風を学んだ。現在は『自由論』をJ.S.ミルと少年の親子のような成長物語として再構成するストーリーを、共同で制作している。
「勉強をしていて、つまらないな、しんどいなと思う人もいるはず。そんな人にとって、漫画が勉強を始める動機になれば良いなと願っています」
◇
「少しお節介なんだけど……」。話をする中で、何度もこのフレーズを耳にした。読者のためになることを漫画の中に隠しておきたい。それが北野さんがよく口にする「お節介」の意味のようだ。程よい距離感を保ちながら、人のために自らを賭す。普段の生活でも漫画を描く上でも、これが北野さんのスタイルになっている。
「結婚や出産を経験した上でもいろいろなキャリアはあり得るんだということを後輩に伝えられれば」と北野さん。後輩に対して、そして読者に対して、これからも「お節介」はとどまることを知らない。