藤井輝夫総長の下、昨年9月に公表された東京大学の基本方針「UTokyo Compass 多様性の海へ:対話が創造する未来」。多様な構成員が交流・対話によって視野を広げることのできる「世界の誰もが来たくなる大学」を目指すという。一方、本年度の五月祭のテーマは「汽祭域」。学園祭で東大内外の多様な人々が出会い交流する様を、淡水と海水が混ざり合う汽水域に例えている。祭りを機に、今一度東大の「多様性」について考えてみよう。
後編では、フェミニズム研究やディスアビリティ研究を専門とする飯野由里子特任准教授(東大大学院教育学研究科)に取材した。東大に求められる「多様性」と「対話」とは。 (取材・鈴木茉衣)
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衝突と対話があってこその多様性
KOSSや、本年度からスタートしたKYOSS(教育学部セイファー・スペース)のような、多様な背景や興味関心を持つ人々を中心としたプロジェクトや場にはどのような意義があるのか。
飯野特任准教授は学生時代、所属していた米国の大学でセイファー・スペースを利用していた経験を振り返る。「自分以外の非白人の性的マイノリティとたくさん出会うことができました」。自分と共通点がありながらも異なるバックグラウンドを持った学生や院生、研究者との交流によって、差別にさらされる危険性が常にあるキャンパスで学生生活を続けるための具体的な知識やスキルも身に付いた。「例えば授業で教員の差別的発言を聞いてショックだったという話をしたら、それに対して声を上げるための具体的な方法を教えてもらえたりしました。実際に行動に移せなかったとしても、そういう選択肢があるんだと思えたこと自体が安心感につながりました」。
さらに、セイファー・スペースの学生がキャンパス内の差別や偏見をなくすためにチラシを配ったり、学生相談機関のスタッフへの研修を行ったりと、情報提供を担っていた側面もあったという。KOSSやKYOSSも、集った学生たちが互いをエンパワーし合うことでキャンパスをより安全な場に変えていく力が育まれる場になってほしいと語る。
飯野特任准教授は現在、若い世代を対象に、大学の枠組みを超えてジェンダーと民主主義に関する講座の提供などを行う「ジェンダーと多様性をつなぐフェミニズム自主ゼミナール(ふぇみ・ゼミ)」の運営委員も務める。ふぇみ・ゼミが重視するインターセクショナリティ(差別の交差性)について「年齢、性的指向、民族などの社会的カテゴリーを巡り存在する多様な差異は、私たちの間に複雑な力関係をもたらします。社会的カテゴリーの違いにより、その人が社会で置かれやすい位置も違ってくるからです。構造的差別を単純化せず、また特定のカテゴリー以外の差別を無視せずに、今の社会で起きていることを理解するには、インターセクショナリティの視点が不可欠です」と説明する。
東大には同質性の高い環境で教育を受けてきた人が多い。それは裏を返せば、自分とは大きく異なる他者を受け止め、対話する経験が少なかったことを意味する。また、既存の環境にうまく適合してきた人ほど、不平等に気付けず、同化を強要されるマイノリティの苦しさを軽視しがちだ。
マイノリティは自分たちに押し付けられてきた社会的カテゴリーを集合的なアイデンティティーへと転化し、声を上げてきた。声を上げなければ生存を保てないからだ。こうした実践を「わがまま」とか「分断を招く」と捉え、否定的に評価する人もいるが、それでは多様性が抑圧されると話す。「マイノリティから声が上がったらまず受け止め、対話しようと努力する必要がある。その実践の繰り返しによってしか、現状を変えていくために必要な声を上げやすい環境は作られません」
「UTokyo Compass」にも多様性や対話というキーワードが何度も登場する。しかし「そもそも東大は多様性が担保された場ではなく、その意味で他をリードする存在ではありません。未来だけに目を向けるのではなく、これまで自分たちが排除してきた人たち、忘れ去ってきた存在や事柄から謙虚に学ぶ姿勢も必要では」と指摘。「個人的には、東大の権威主義的で勝ち負けにこだわる雰囲気が対話のバリアになっていると思います。生産性や効率ばかり重視する価値観によって何を失っているのか、考えてみてほしいです」
飯野由里子(いいの・ゆりこ)特任准教授(東京大学大学院教育学研究科)
99年米ワシントン州立大学卒、04年城西国際大学大学院博⼠課程単位取得退学。
博⼠(比較⽂化)。12年よりバリアフリー教育開発研究センターで勤務
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