父は外務大臣経験者で、自身は東大法学部卒の衆議院議員。維新の党の幹事長などを歴任した民進党の柿沢未途議員は、絵に描いたようなエリートに見える。しかし、詳しく話を聞いてみると、その人生はそう順調なものではなかったようだ。東京都議時代の2008年に起こしてしまった不祥事も乗り越え、精力的な議員活動を続ける柿沢議員に、政治家を志したきっかけや学生へのメッセージを聞いた。
――柿沢さんが政治家になろうと思った理由、きっかけを教えてください。
私は、柿沢弘治という、その時代にはそれなりに名前を知られた大臣経験者の長男なんですね。しかし、そうだからと言って、最初から政治家になりたいと思っていた訳ではありませんでした。選挙は大変だし、話が上手じゃなくちゃいけないとか、カリスマ性も必要ですから。そういう意味では、私にあまり適性がないと思っていました。
社会に対する問題意識みたいなものは、強くありました。僕が中学高校にいた80年代は、ベルリンの壁が崩壊して、中国では天安門事件が起きて、東西冷戦が終了し、世界が大きく変わっていく、そういう状況でした。日本でもロッキード事件の裁判が中学校の頃にあったり、90年代に非自民連立政権が誕生したり、そういう点では、政治や社会に対する意識は持っていました。
しかし、自分はその中のアクターとして政治家になるというよりは、外から論評するということに適性があるんじゃないかと思って、僕はNHKの記者という仕事を選びました。本当のことを言うと、公務員試験や外交官も受けたりはしたんだけれども、僕自身が成績のいい方ではなかったので、結局NHKの記者という道に進んだと、こういうことなんですね。
政治の世界に入る直接的な判断のきっかけは、父親が自民党から除名されて都知事選挙に出るということになり、一世一代の勝負を迎えるにあたって独りぼっちになってしまったので、「自分がやってやろう」ということでした。しかし、それまでに僕自身も記者の仕事をやっていて、フラストレーションを感じたということもあります。
僕は、長野でオリンピックを挟んで4年あまり記者生活を送ったんですけども、当時は産業廃棄物の問題がありました。長野オリンピックで輸送路になる高速道路が開通して、その高速道路で最初にやって来たのは都会のゴミだったり、長野の山奥で産業廃棄物の違法な投棄や焼却があって、それによって川の水からダイオキシンが検出されたり、産業廃棄物の業者が裏社会とつながっていて、岐阜県で業者と厳しく対立した町の担当課長が殺されたり襲われたり、ということがあったんですよ。
住民から見れば、信州のリンゴ畑が違法な焼却の煤で黒くなっちゃうような、そんな影響を撒き散らしている、そういう業者に怖くて踏み込めないんだ。そこで、市民運動家として潜入調査してダイオキシンの検出をするという人がいたので、その人と連携して環境廃棄物の追及キャンペーンのようなことをやったんですが、それでも行政は動かない。
行政が動かないと、実はNHKは非常に抑制的で、追求ができないんです。市民運動家が言ったことに乗っかって、悪いと断定して訴えられたらどうするんだ、みたいな部分があるんですよね。
何が言いたいかというと、ジャーナリストというのは、自分が思っている問題意識があっても「私はこう思います」とは言えない。つまり、自分と同じ問題意識を持っている誰かを探してきて、こんな風に社会に対して働きかけている人がいますよと、子どもの貧困の問題やっている人がいますと言うしかない。私は子どもの貧困が問題だと思いますと、ジャーナリストがいきなり言う訳にいかない。
取材して誰かのことを紹介するのが我々の仕事なのだから、自分自身がアクターではないということに、むしろ記者をやってみてフラストレーションを感じるようになって、「それならば」ということで、父の都知事選挙をきっかけに、NHKに辞表を出して、この世界に入ることになったんです。
――今の学生に関する社会問題として、奨学金や国立大学の学費上昇など、いろいろなことがありますが、その中で柿沢さんご自身が力を入れたい部分はありますか。
能力があって努力している人にチャンスが開かれている、ここが大事だと思うんですね。
社会が固定化していて、何も持っていないけど能力と意欲はあって努力もしているという人に、もっと道が開けるようにしなきゃいけない。豊かでない家庭に生まれたけれども、頑張って勉強したという人には、奨学金をもっと利用できるようにすべきであって、そういう形で門戸を開くことが、社会の活力や公正な環境につながっていくと思うんですよね。
いま、特に一人親家庭の貧困率などを見れば、社会の格差は拡大する方向に進んでいることは紛れもない事実です。どんな家庭に生まれても、教育にはお金がかからないように、僕は極端なことを言えば教育の無償化をやったっていいと思います。公正な選抜ができれば、国立大の授業料についても、思い切って無償化のような方向に進んで行ってもいいんじゃないかと思うんですよ。
国立大学の無償化にどれくらいお金がかかるかと言ったら、これは年間三千数百億の予算に過ぎません。比較の対象として適切ではないかもしれませんけど、単年度でいきなり補正予算で高齢者に3万円配る、あの現金ばらまき事業でいくらかかっているかと言えば、ちょうど4000億くらいかかっている訳だ。
そのお金があるんだったら、国立大学の学生は授業料タダにできるじゃないか、ということにもなるし、不可能な額ではないということですよ。日本は人材が最大の資源だと言われる国であることは皆分かっている訳だから、そうした点に限られた財源を振り向けていくことは、たいへん重要だと思いますね。
――具体的な政策の案としては、給付型奨学金をつくっていくだとか、国立大学の学費を無料に近づけていくだとか、そういったことになるのですね。
そういったことになります。
――そうした話になると、この前に、自民党の小林議員にもインタビューをさせていただいたんですが、小林議員はやりたいことはいろいろあるけれども、財源が問題になるとおっしゃっていたんですね。その点に関して、どうお金を調達しようというお考えですか?
端的に言えば、今までは公共投資のようなものに、国債を発行して借金をしてお金を投じていたんですね。橋をつくる、道路をつくる、インフラ整備をする、そのことは将来の経済成長の源になるので、それが税収として返ってくるという理屈で、建設国債という名の赤字国債の発行を認めて、それによって公共事業をやってきた訳ですよ。
ただ、今は、そういう意味での公共事業にそれだけの便益というかリターンを見込める状況ではないと思います。むしろ、これから大事なのは人への投資であって、実際に大学までの高等教育を受けた人は高校までしか卒業しなかった人に比べて、生涯年収でいえば遥かに高い稼ぎ手になる訳ですよね。そうした人材を生み出すことが一国の経済成長にもつながるということは、様々なデータによって明らかになっています。
将来、経済が成長をして税収が返ってきて、という好循環が見込める訳です。かかるお金で言うと一兆、二兆のボリュームですから、子ども国債とかいう名前で国債を発行して堂々とやればいいんじゃないか。それと引き換えに、全国に過度なインフラをばらまく公共投資の方を、抑えていくべきなんじゃないかと思います。
そういう意味では、財源が見いだせないことで将来への投資、人への投資を怠ってしまうと、将来の経済成長の足を引っ張ってしまう。日本において問題なのは潜在成長率が低いということですから、その低下にもつながってしまうんじゃないかと思います。
――最後に、学生に対してメッセージがあればお願いします。
失敗を恐れずにいろんなことをやる、ということじゃないですか。失敗したって大したことない。私の人生が、それを証明していると思っているんですよ。
特に、皆さんのようないい大学に行っていると、就職活動に成功したとか失敗したとかいうことがあったりすると思うんですけど、就職活動に成功も失敗もないんですよね。あるのは就職活動だけで、つまり、第一志望の企業に入ったから幸せとは限らないし、むしろ、その社風に合わなくて埋もれて行っちゃったりとか、競争が激しすぎて疲弊してうつ病になっちゃったりという人もいる訳ですよね。
人間の成功も失敗も全部途中経過なので、ある意味、死ぬまで分からないと思うんですよ。失敗するとこの世の終わりだ、みたいな気持ちになるときもあると思うんですけど、残念ながらこの世は終わりにならず、それぞれの人生は続いていくので、いろいろな経験をすることだと思うんですよね。
調べればすぐわかるように、私は過去に大きな失敗をしていますけれども、しかし、後から振り返って、それを経験しない方がよかったかと言うと、やっぱりそれを経験した方が人間として幅も出るし、人の見方も違ってくる。単なるエリートコースをまっすぐ行っている人よりも、あいつは人間味があっていいとか、そういうこともあるんですよ。
何事も無駄だと思わないことと、失敗した時に悲しんで立ち止まっているんじゃなくて、また逆に成功した時に調子に乗らないで、これも人生の途中経過だと思って生きていくことじゃないかと思うんですよね。何も経験しないよりは、たくさん経験して磨かれていく方が、はるかに有意義な人生になると思います。
――学生時代の経験は、そういう意味で役に立っていますか。
僕は、東大時代に勉強と名のつくものは全くしていないんです。東大卒という履歴書に書ける経歴を取るためだけに在学していたようなもので、ラクロスというスポーツのマネジメントサイドと、もう一つは競馬をやっていたんですね。東大ホースメンクラブというサークルを事実上立て直して、駒場祭に有名な競馬評論家を呼んで来てもらったり、夕刊フジに企画を持ち込んで「大学対抗競馬予想合戦」を連載したり、自分自身も競馬の本を在学中に二冊出させていただいたりしたんです。
ラクロスも、新しいスポーツをアメリカから持ってきて始めた頃だったので、それが東大や慶応から広がっていって、スポンサーをつけてリーグ戦とか国際親善試合をやったりしました。競馬もラクロスも政治からは程遠いように見えるかもしれませんが、社会に対して働きかけて何かを実現していくっていう意味においては、自分の原体験みたいなものですね。
本当に勉強していたら、キャリア官僚になっていたかもしれないし、それはそれで経験してみたかった人生ではあるんだけれど、しかし、やりたいと思っていたことをやって、楽しい時間を送って、自分の基礎になる貴重な経験をした。それは、何物にも代えがたい期間を過ごさせていただいたと思います。
――ありがとうございました!
(聞き手・文:井手佑翼 写真:GEIL 能智敬之)
公益財団法人東京大学新聞社は、5月15日、第89回五月祭の中で「7月の選挙の話をしよう」と題したパネルディスカッションを主催しました。今回インタビューにお答えいただいた柿沢さんの他にも、自民党の小林史明議員など多彩なゲストをお招きして、学生・若者に関わりの深い奨学金や大学教育といった問題について議論しました。
ディスカッションの様子はニコニコ生放送で中継され、2016年6月8日現在、こちらのページからその模様をご覧になれます。こちらの記事や5月24日発行の本紙紙面でも、その様子をご紹介しています。
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