文化

2023年6月19日

【100行で名著】いま、『カフカ短篇集』を読む。 フランツ・カフカ著、池内紀編訳『カフカ短篇集』

 

 フランツ・カフカ。彼の名前くらいは、誰しも一度耳にしたことがあるのではないか。一方で、この作家が少々とっつきにくいのも事実である。何を書いているのかよく分からず、とりあえず読んでみてもやっぱりよく分からず、読み終わってもよく分からない……。または、途中で読むのをやめてしまう。そんなこんなで、知名度こそあれど、しっかりと通読したことがある人はそこまで多くないように思う。それは実にもったいない。一見不明瞭な記述にも巧みなユーモアが現れていたり、どこまでもネガティブな彼の本性が見え隠れしていたりと、カフカの文章に向き合うことで得られる経験は意外にも豊かである。

 

 かといってやはり読むのにハードルがあるのは事実だ。そこで記者は『カフカ短篇集』(岩波書店)を推薦したい。20篇が収録されている『カフカ短篇集』だが、なんといってもこの本の良さは「とっつきやすい」ことにある。長さはまちまちだが、ものによっては1ページで終わってしまう。それでいてカフカ独特の不条理な世界観、いわゆるカフカエスク(Kafkaesque)は健在だ。池内紀の軽快な訳がそれを引き立てている。たった数ページの掌編でさえも、あなたの想像力をいくらでも引き出せる。カフカという土壌の上に、あなたの世界を広げられる。そのような魅力が、この短編集には詰まっている。

 

 「父の気がかり」という収録作を例に取ろう。文庫に3ページという短さで収められている本作は、オドラデク(Odradek)を主人公が観察するという体の物語だ。オドラデクは、平べったい星型の糸巻きのような形をしていて、色も種類も異なる古い糸くずをつなぎ合わせたのが巻き付いている物体らしい。そして、糸巻きの中心から突き出た小さな棒と星型のとんがりを二本足にして突っ立っている。かつて何か道具として役立っていたというわけでもなさそうで、それなりに形としてまとまっていながら、何の役にも立たなさそうなそれは、気まぐれに自分の前に現れる。なぜいるかも、どこにいるかも分からない。話しかけて答えてくれるときがあれば、木のように物を言わず黙りこくったままのこともあるらしい(木でできているようにも見えるようだ)。でも、気が付けばオドラデクはひょっこりと姿を見せて、あまりに簡単な会話をして、肺のない人のような声で笑う。3ページの掌編には、不可思議なオドラデクの特徴とその存在に懊悩(おうのう)する「自分」の姿が印象的に描写されている。一度読んでみれば、喜怒哀楽の何とも違う独特な感情があなたの中に生まれるはずだ。

 

 ときに、オドラデクとはなんだろうか? なぜオドラデクは動いたりしゃべったりできるのだろうか?なんの意味もなさないのであれば、なぜ「自分」はオドラデクの存在に「胸をしめつけられるここちがする」のだろうか? これらの問いに明確な答えなどないだろう。3ページほどの掌編の中にその答えは明かされていない。ところで、文庫の表紙にはこうある。「意味を求めて解釈を急ぐ前に作品そのものに目を戻してみよう。難解とされるカフカの文学は何よりもまず、たぐい稀な想像力が生んだ読んで楽しい『現代のお伽噺(とぎばなし)』なのだ。」と。私たちはしばしばテキストに「意味」を求めがちだ。文全体の持つさまざまな豊穣(ほうじょう)性を蔑(ないがし)ろにして、「本質」ばかりを大事にし「意味のないもの」を捨象しようと努力する。「意味のないもの」を本当に意味のないものに仕立て上げようとする。

 

 しかし、私たちが常日頃「意味がない」と放棄してしまっているいろいろなものは、古典ギリシア語で「毒」と「薬」という二つの相反する意味を持つ「パルマコン(pharmakon)」が象徴するように、私たちがそれと向き合うのと同時になんらかの意味を持つ。オドラデクが「木偶(でく)の坊」と偶然の音の被りがあるだとか、オドラデクがかわいいとか、そんなことでよい。そんなことがよい。意味など求めなくてもいいし、カフカの豊かな土壌の上に、あなたなりの物語を好き勝手に想像していい。そういうお伽噺としての魅力が本作には潜んでいる。あくせくと生きる現代社会の中で忘れがちな、そんな「想像力」を、この本で呼び戻してみてはどうだろうか。【乃】

 

フランツ・カフカ著、池内紀編訳『カフカ短篇集』岩波書店、税込み858円
フランツ・カフカ著、池内紀編訳『カフカ短篇集』岩波書店、税込み858円

タグから記事を検索


東京大学新聞社からのお知らせ


recruit

   
           
                             
TOPに戻る