学術

2019年10月23日

国民の関心維持が課題 裁判員制度開始から10年

 2009年に始まった裁判員制度は今年で10年を迎えた。司法に対する国民の理解を深め、信頼性を向上させるという当初の目的は達成されたのか。10年間の運用を経た今、裁判員制度が果たしてきた役割と浮かび上がってきた課題、そして今後の展望について刑事訴訟法が専門の成瀬剛准教授(法学政治学研究科)と裁判員経験者に向き合ってきた弁護士の大城聡さん(裁判ネット代表理事)に話を聞いた。

(取材・中村潤)

 

 

理解と信頼を深める

 

 司法に対する国民の信頼を深めることがどうして重要なのか。成瀬剛准教授(法学政治学研究科)は「選挙を経て選ばれたわけではない司法は国民の信頼が権威の源泉」と指摘。今年5月に最高裁判所が公表した報告書によると、一般国民を対象にした刑事裁判の印象についての点数評価(5点満点)では「身近である」「手続や内容がわかりやすい」が裁判員制度が始まる前と比べておよそ1.5点増えた。成瀬准教授は「国民の理解と信頼を深めるという裁判員制度の当初の目的はほぼ達成されている」と語る。もう一つの成果が、大量の書証を調べて細かな事実認定を行う「精密司法・調書裁判」から、審理対象を絞り人証中心の証拠調べを行う「核心司法・公判中心主義」への移行が実現しつつあることだという。「刑事裁判は現行の刑事訴訟法が本来予定していた姿に戻ってきました」

 

 さらに潜在的な成果として法曹三者の連携と研究者の参画が進んだことを挙げる。裁判員裁判終了後は法曹三者による反省会・勉強会が開かれるようになった。法曹以外の国民の裁判への参画という共通目標を前に、より良い刑事司法を実現すべく協力関係が構築されつつある。

 

 裁判員制度の運用を経て量刑の幅にも広がりが見られる。同情の余地のない殺人や強制性交といった凶悪犯罪で量刑が重くなりがちな一方、介護疲れを原因とする殺人事件などでは量刑が軽くなる傾向にある。執行猶予判決には、保護司の指導を通じて社会復帰を促す保護観察処分が付されることが多くなっている。こうした量刑の幅の広がりについて成瀬准教授は「裁判員が犯罪の悪質性や被告人の更生について考慮した結果だ」と指摘。「国民の多様な視点や健全な感覚が裁判に反映され、司法への理解と信頼が深まる」と肯定的に捉える。ただし裁判の公平性維持のため、具体的・説得的な理由があって初めて量刑傾向の緩やかな変更が認められるという。

 

 被告人の命を奪うという点で他の刑罰と質が大きく異なる死刑判決を下す場合は、従来の量刑傾向を十分に踏まえた判断が求められ、一審の裁判員裁判に認められる裁量は小さい。そのため一審の判断を是認できない理由を説得的に説明できるのなら、裁判員裁判の結果が裁判官のみで構成される控訴審で覆ることは十分考えられるという。

 

 メディアの報道では、一審の裁判員裁判で下された死刑判決が控訴審で覆されることの当否が大きく取り上げられる場合がある。これに対し成瀬准教授は「裁判員裁判の判決が尊重されていないのでは、という誤解が広がる恐れがある」と懸念を示す。裁判員裁判の判決が控訴審で破棄される割合は過去7年間で10.9%となっており、裁判員制度が始まる前の17.6%と比べて低下。裁判員裁判の判決を尊重する流れは、確かに生まれているといえる。

 

 一部の裁判員裁判の事件がメディアで大きく取り上げられる一方、裁判員制度自体が取り上げられる機会は減っている。成瀬准教授は「裁判員制度への国民の関心は低下している」と指摘し「国民の関心をどう維持するかが課題」と話す。最高裁判所の報告書によると、裁判員経験者の95%以上が「非常によい経験だった」「よい経験だった」と回答。そのため裁判員経験者の声を国民の間で広く共有することが裁判員制度への国民の理解を深める上で大切だという。今後も裁判員制度の運用が長く続くことを踏まえ、法曹三者が学校で出張講義を行い、将来の裁判員制度を担う子どもたちに法教育を実施することも重要になる。

 

 裁判員裁判で実現しつつある核心司法・公判中心主義を非裁判員裁判でどのように実現するのかも課題だ。「非裁判員裁判は数が圧倒的に多く扱う事件も多様。法曹三者の負担を勘案しながら実現方法を考えていく必要があるでしょう」

 

社会全体での運用を

 

 裁判員制度について情報発信や提言を行ってきた一般社団法人「裁判員ネット」の代表理事である弁護士の大城聡さん。現行の裁判員制度の課題を裁判員への負担や経験の共有といった観点から分析する。裁判員裁判では殺人などの重大な事件が対象となり、死刑判決が下されることも。大城さんは「死刑判決に関わる裁判員の心理的負担は当然重い」としつつも「死刑といった極めて重大な刑罰こそ市民が参加してチェックすべき」と述べる。

 

 裁判で提示される証拠も裁判員の心理的負担となり得る。大城さんは「証拠を見慣れた法律家は裁判員と感覚が違うので、法律家の感覚で裁判員への心理的負担を判断するのは難しい」と指摘。その上で「証拠に基づいて事実の有無を確認する事実認定の段階では、必要な証拠はしっかり出すべきだ」と強調する。一方で量刑を決める段階では刺激の強い証拠によって量刑判断が重い方向へ傾いてしまうことを防ぐために証拠提示には細心の注意を払うべきだという。

 

 裁判員の経験を広く市民で共有することは大切だ。その中で守秘義務が課題となると大城さんは指摘する。守秘義務は、裁判員が評議で自由に発言できるようにするため必要だが、守秘義務の範囲が広いために、裁判員を務めた人が自らの経験を伝えにくいことが問題だという。大城さんは、守秘義務の規定を見直し、評議の経過や、発言者を特定しない形での意見、評議の多数決の数は守秘義務の対象から外し、裁判員経験を話しやすくすべきだと提案する。

 

 もう一つの課題として挙げるのが、自分が裁判員候補者になったことを公にすることを禁止する規定だ。現在でも家族や友人、職場の上司に伝えることは認められているものの「別のお客さんが聞いているかもしれない飲食店などで話すのは大丈夫なのか、などの線引きがあいまいだ」と語る。こうした規定が萎縮効果を生み裁判員制度を市民から遠ざけているのではないかとの懸念も示す。

 

本人の同意があれば、裁判員候補者になったことをSNSを通じて不特定多数の人に発信することも可能になる

 

 大城さんは「事件関係者からの不当な働き掛けから裁判員候補者を保護するためには、担当するかもしれない事件について裁判所から呼出状が届いたことを公表禁止にすれば十分だ」と述べる。その上で「裁判員候補者」に選ばれたことを自分で公表できるようにすべきだと提案。「実現すれば裁判員候補者に通知が届く毎年11月には裁判員制度に関する関心がネット上などで高まるのでは」として期待を寄せる。社会全体で裁判員制度を運用するために模索は続いている。


この記事は2019年10月15日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。

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