新年を迎え、寺社に初詣をして今年の決意を新たにした読者もいるだろう。共通テストを控え、必勝祈願で参拝した受験生もいるかもしれない。文京区の本郷キャンパス周辺には、古くから信仰を集めてきた寺社が複数ある。区の歴史や文化財を伝える文京ふるさと歴史館に寺社について聞くとともに、四つの寺社に来歴や東大や地域との関わりについて取材した。この機会に、本郷周辺の寺社巡りをしてみてはいかがだろうか。今回は源覚寺と本郷薬師。(取材・黒田光太郎、金井貴広)
源覚寺 〜去年の不運は「えんま」にお任せ!〜
取材協力:源覚寺僧侶・三好啓佑(みよし・けいすけ)さん
創建:1624年
赤門から徒歩約15分
ビジネスマンが行き交うビル群を通り抜けた先、昔ながらの商店街の中に源覚寺は位置している。地元の人は親しみを込めて、源覚寺のことを「えんまさま」と呼ぶ。「こんにゃくえんま」とも広く呼ばれていて、この辺りでは「源覚寺」と言っても通じないほどだという。
江戸時代初期に開かれた源覚寺がこうした名前で呼ばれるようになったのは、源覚寺に伝わる、ある「いわれ」のためだ。江戸時代中期のある日、一人の目の見えないおばあさんが目の痛みに耐えかね、源覚寺に一心不乱に祈願した。その際、おばあさんは自分の好物であったこんにゃくを21日間絶つ代わりに、どうにか目を治してほしい、と閻魔(えんま)様にお願いした。すると、その願いがかない、おばあさんの目は治癒したという。次の日、再び源覚寺の閻魔様にお参りをしたところ、閻魔像の右目が失われており、閻魔様が自分の右目を渡してくれたことが分かった。おばあさんはそれ以降、こんにゃくを源覚寺に奉納し続けたといわれている。
こうした逸話があることから、現在も源覚寺には、こんにゃくが奉納されることが多い。参拝する人には目が悪い人や、閻魔様に身代わりになってほしいと願う人が多いという。さらに、地域の住⺠に愛されていて、参拝している姿がよく見かけられる。新型コロナウイルス感染症拡大により近年は行われていないが、例年は大みそかに参拝者に除夜の鐘をついてもらったり、1月と7月に例大祭として、こんにゃくを振る舞ったりしていた。これらの催しにも多くの地域住⺠が訪れていたという。
これまでの身に降りかかった不幸は「こんにゃくえんま」様に身代わりになってもらい、2022年を新たな気持ちで過ごすのはどうだろうか。
本郷薬師 〜空襲で焼失も地元信仰により再建〜
取材協力:眞光寺(しんこうじ) 住職・眞泉光宏(まいずみ・こうこう)さん
創建:849年(眞光寺、再興は 1637年)、現在の薬師堂は1978年
赤門から徒歩約5分
本郷三丁目駅から本郷キャンパスに向かう途中にある交差点を渡った先に、鳥居に似た門が立っている。その奥にぽつんと薬師堂がたたずむ。この周辺にはかつて、地域を代表する寺院の一つだったという眞光寺があり、本郷薬師と呼ばれる薬師如来が信仰されてきた。
平安時代に慈覚大師(円仁)が創建した眞光寺は、戦国大名・藤堂高虎により再興され、同家の菩提寺として栄えた。本尊は阿弥陀如来だが、薬師如来も、はやり病(マラリアともいわれる)を治してくれたとの評判が広まり広範囲から信仰を集めた。月3回開かれていた縁日は江戸の三縁日にも数えられ、東大正門の方まで伸びるほどの盛況ぶりだったという。明治、大正時代も信仰は続き、樋口一葉の日記にも縁日の記載がある。
1945年の東京大空襲で堂宇などは全て焼失。本尊と薬師如来像は別に保管されており難を逃れたが、眞光寺は世田谷区に移転することになり現在に至る。しかし本郷での薬師信仰は続き、78年に現在の薬師堂が再建。商店会などにより「本郷薬師奉賛会」も発足され、現在も十四、五人で活動が続く。
奉賛会によって縁日も復活した。初薬師と呼ばれ、毎年 1月8日に開かれ続けている。地元の人が法要で訪れたり、通りすがりに手を合わせたりするという。かつては「薬師鍋」も振る舞われていたが、担い手が減少し無くなった。「眞光寺と奉賛会の良好な関係の中で守っていきたい。初薬師などの機会に若い人たちに歴史を伝える機会にしたい」というのが眞泉さんの思いだ。
薬師如来は現世の悩みや希望を聞いてくれるため、学業増進も願える。お年寄りの参拝が多い本郷薬師だが、東大生や受験生もご利益を得られるかもしれない。
【関連記事】