東大と中国・北京大学の学生によって構成される学生団体「京論壇(きょうろんだん)」。日中間の相互理解と信頼を目標として、日本と中国の学生が国の垣根を越えて、さまざまな社会問題について徹底的に議論を行う。今回は8月に行われた東京セッションの模様と東大側参加者へのインタビューを紹介する。 (取材・吉野祥生、Naomi Hadisumarto)
京論壇とは
8月中旬、夏休みで閑散とする駒場Ⅰキャンパスで、京論壇の東京セッションは行われた。京論壇は東大と北京大学の学生が一堂に会し、さまざまな社会問題に関する議論を行うために活動する団体。毎年夏には東京で、冬には北京でセッション(議論を主にした1週間ほどの合宿)が開かれ、年に2度双方の学生が集結する。今回の東京セッションは、東大側が北京大学側を出迎えた格好だ。
京論壇の大きな特徴は、参加者同士の議論を活動の中心とすること。各参加者は、セッション期間中「分科会」と呼ばれる10人程度のグループに所属する。今回は、教育、平和と安全保障、グローバル化の三つの分科会が設置され、一つのテーマについて同じメンバーでとことん議論を行う。この議論はただ双方を認め合うことを目的としたものではなく、時には意見の対立が発生することもあり、参加者の真剣な態度が感じられた。また、議論は全て英語で行われ、自身の意見を英語に言語化し相手の意見を聞き取り理解する能力が求められる。
分科会の様子
今回は、三つの分科会の中から「教育分科会」の様子を主にお伝えしたい。 なお、以下の内容は参加者の英語の発言内容を記者が日本語に訳して要約した形となる。
この日の「教育分科会」では、教育格差や教育制度について討論が行われた。初めに、教育の地域格差について日本の現状を東大側がプレゼンで問題提起すると、北京大学側からは中国と日本の教育システムの違いや政策の違いについての論点が出た。例えば、中国では過度な受験競争を政府が問題視して、塾を禁止するなどの政策が行われていることにも議論が及んだ。塾の存在が受けられる教育の経済格差や地域格差を拡大しているという北京大学側の意見に対しては、日本ではオンライン(オンデマンド)講義の普及で格差がかえって縮小しているのではないかという東大側の意見が出た。しかし、中国の農村部ではネット環境がなく、コロナ禍では教育が行き届かなかったといったハード面の課題も北京大学側から提示された。また、オンライン授業だけでは授業に集中できないため、対面授業も組み合わせた方が良いという意見は両者が同意し、国を超えた意見の一致に笑顔も見られたのが印象的だった。
また、学校の授業の形態についても議論が行われた。中国では芸術や体育の授業が「創造力」の育成の観点から重視され、入試でも成績に加点されるようになったという事実が北京大学側から提示されると、日本では「副教科」とされ、東大入試では点数に関係ない教科の存在意義を東大側が考えさせられる場面もあった。さらに、中国では地域により体育の科目が異なり、各地域で伝統的に行われるたこ揚げやスキーなどを取り入れていることから、地域文化の継承という日本ではあまり意識されない観点が指摘された。
ほかの二つの分科会の様子も少し紹介したい。「グローバル化分科会」では、日本と中国の国民が両国の政策をどのように捉えているかや、為政者目線ではどうかといった現実での問題認識についての議論が行われた。また、現実に存在する社会問題にとどまらず、普遍的な価値基準とはなにかといった抽象的な問題に対して、自身の価値観を基にして、討議が繰り広げられた。印象的だったのは、北京大学の学生間で意見が異なっている場面も多かったことだ。同じ国籍や民族であったとしても、バックグラウンドが異なれば価値観も異なるということを再確認させられる機会だった。東大と北京大学、または日本と中国という二項対立的な構図で捉えがちな京論壇という団体の深みを知ることができた。
また「平和と安全保障分科会」では、平和主義について議論が行われていた。北京大学側から、日本の集団的自衛権の行使容認などが中国メディアでは日本以上に危機感を持って伝えられている上に、中国国民は日本の憲法9条をほぼ知らないなどといった意見が出され、東大側でも驚きを持って受け止められた様子であった。日々の報道などに触れる中で、無意識に形作られた前提や固定観念が全世界に普遍ではないということを改めて突き付けられたと、そばで議論を聞いていた記者も感じるところがあった。
東大側参加者の声
まず、平和と安全保障分科会に参加していた玉井さんにインタビューを行った。玉井さんは1年生で今回が初めての参加となった。
【平和と安全保障分科会 玉井春希さん(文Ⅰ・1年)】
京論壇という団体は大学受験期にインターネットで見つけました。外交や安全保障に興味を持っていた自分にとって、北京大生と対話できるのは貴重だと考え、参加しました。北京大学の参加者は、好奇心があり勉強に対する意識が高い方が多いという印象を持っています。
英語で議論が行われることには、少し苦労しています。私は東大生の中で英語が苦手な方なので、コミュニケーション能力不足を感じる場面はありました。しかし、日本から出たことがない私でも先輩方の温かいサポートもあり、付いていけています。議論を通じて自身の英語力に関して成長を感じる場面もありました。
セッション前にはあらかじめ、議論の手前の段階でフレンドリーな意見交換ができればと心に決めていました。実際に北京大生と交流する中で、駒場Ⅰキャンパスにある(学生が自由に立てて意見を表明している)立て看板の話題となり、中国ではそのような自由はないという話を聞くと、社会構造の違いを改めて感じました。
私が中国の学生と交流すると周囲に伝えると、「それって大丈夫なの?」と驚きや心配の声が多く聞かれます。しかし、全く違う立場の人と交流することで、自身の固定観念や先入観がどのようなものであるかを解き明かせますし、相手に対してどのような態度をとるべきかについても洗練されると思います。
東京セッションでは、北京大生が「中国にも中国なりの民主主義がある」と話していたのが印象的でした。次の北京セッションでは、中国の民主主義について知見を深めつつ、「民主主義」とどう付き合うべきかという議論をしたいと考えています。
また、京論壇代表の岡田さんと教育分科会議長の中島さんにも東京セッションの振り返りや次回の北京セッションに向けた展望を聞いた。
【京論壇代表 岡田智七永さん(文Ⅱ・2年)】
やはり最初は、自分自身の中を全て見せて正面から議論をぶつけるということは難しいのですが、まずスタートとして議論全体のベースとなる信頼関係を築くというところまでは今回の東京セッションでできたと思います。冬に行われる北京セッションではもっと価値ある議論を行えるのではないかと期待しています。
セッション中の課題として、そもそも「良い議論」や「価値ある議論」とはどのようなものかという点で意見の対立があり、全体として同じ方向を向くことが難しかったと思います。運営メンバーが悩んでいた点でもありました。
北京大学の学生は、本当に優秀な人が多く、東大の学生より英語力がずっと高い印象でした。北京大学側は、台湾や香港、シンガポール出身の学生が参加しており、さまざまなアイデンティティーを持つ人が議論に参加したため「個人の価値観がどこからきているのか」を探ることができました。
(京論壇のように対話を通して日中間の交流を行う意義について)ずっとそばにいてくれる中国の友人ができると言う点があります。よくある伝統衣装を試着してみるといった文化交流プログラムは、手軽な点が良いですが、やはりそれっきりで終わってしまい、相手と信頼関係を築くところまでは行かないことが多いと思います。社会人になってからも海外の友人とつながっていられるのは大きいのではないでしょうか。
参加者からは「普段中国の人と交流する機会はあまりないが、自分の持っている文化的背景と全く違う人と交流することで思考の枠組みが変わった」といった前向きな意見がありました。一方で、議論には慣れが必要であり、議論で自分の価値観をうまく言えなかったといった反省の声も聞かれました。この反省を次の北京セッションに向けて生かしていきたいと思っています。
【教育分科会 議長 中島大雅さん(文Ⅰ・2年)】
教育分科会を立ち上げたのは、歴史教科書問題に興味があったからです。歴史教育に関しては、冬の北京セッションで行うことになり、まずは教育制度を東京セッションで議論することになりました。
日中間の価値観の違いに関しては、制度的な違いに終始させずに、その根本にあるところまで掘り下げていきたいと意識していました。例えば、国の歴史の違いが制度に表れていることもあると思います。議長として参加者をリードする上でも、日本と中国の制度の違いや、参加者の経験の違いを共有して終わりにならないように心掛けました。最終的な結論を導くためには、根本にある価値観を探ることが重要だと考え、参加者にもそのような議論になるように、要所で問い掛けを行いました。
議論の中で発言者が偏ってしまうという問題は、どうすれば解決できるか議長として試行錯誤した点です。参加者をグループ分けして、より話しやすい環境にするための時間を設けるなど気を配りました。
英語で議論を行うという点では、日頃から行っている勉強会などを通して、まずは日本語で議論の素地を作っていくところが重要です。しかし、どうしても個人の英語力の差が出てしまうところはあると思います。
議論では、愛国心に関して戦前の日本政府と現在の中国政府の政策が同じではないかという指摘があり、教育と国家の関係に結び付けることができました。このことは来年2月の北京セッションにつながる成果だと感じています。
議論から見えてきた京論壇の強み
今回のセッションを通して、双方の学生が自身の体験や知識を基に論理的に自身の意見を表明する姿が印象的だった。北京大生が、英語を流れるように話し、自信に満ちた表情で意見を語る姿に東大側は若干圧倒されるところはあったかもしれない。
ただ、その議論の場は多少の緊張感はあるものの、出た意見をすぐに批判せずいったん受け入れたり、発言の前に考える時間を待ってくれたりと、相手への思いやりと尊敬に満ちた空気があった。強調したいのは、この思いやりと尊敬が、単なる「なれ合い」ではないということだ。これこそが京論壇の強みであるように記者は感じた。どの分科会においても出た意見に対して意見の違いを認めつつも反論するなど、本気で議論する空間が出来上がっていたように思う。
京論壇で扱う議題の多くは国際社会を取り巻く社会課題で、簡単に答えを出すことはできない。だからこそ、違いを認識するだけで終わらず、根源にあるものを探究しようとする飽くなき心があるように思われた。東京セッションの収穫と反省をベースに次の北京セッションではより深い議論に期待だ。