昨年、東大の卒業生であり広告大手電通の新入社員の女性が自殺した事件をきっかけに、ブラック企業に関する話題が注目を集めた。企業の労働環境の見直しを求める声が高まる一方、大学の研究環境や労働環境が議論にあがることはあまりない。
理系の学生の間では、ハラスメントが横行する・長時間研究室にいることを強制するといった研究室は「ブラックラボ」と呼ばれる。しかし、何をもって「ブラック」とするかは一概に言えず、個人の主観を排せないため「ブラックラボ」という言葉の存在自体が学生の甘えの発露であるとも批判される。
ブラックラボは果たして実在するのか、それとも都市伝説じみた虚構なのか、この連載を通して調査し、研究室におけるブラックさとは何か考察する。今回は数年前東大の大学院を卒業した方に話を聞いた。
とあるバイオ系の研究室の事例
数年前までバイオ系の研究室に属していたというAさん。Aさんは学部4年のときにその研究室に配属された。第一志望の研究室には抽選で外れてしまい、残った研究室の中から一番興味に近い研究を行っていたその研究室に配属希望を出した。研究室見学には行っていなかったが、配属が決まってすぐに歓迎会も開いてもらい、研究生活は順調にスタートしたかのように思えた。
マンツーマンでの指導の毎日
配属後、Aさんは部屋の選択を迫られることになった。理系の研究室は扱うテーマ別に2,3の部屋に分かれているところもあり、Aさんの研究室は2部屋に分かれていた。当時その研究室はトップに教授がいて、その下に准教授と助教がいた。准教授と助教はそれぞれが担当する部屋の学生の面倒を見ており、Aさんは准教授(以後X先生)に、Aさんの同期は助教につくことになった。「まさかこの選択が自分の研究生活を大きく左右することになろうとは思っていませんでした」とAさんは振り返る。Aさんが配属された当時、部屋にはAさん以外に学生がいなかったためX先生からマンツーマンで指導を受けた。卒論の研究テーマは学部4年で研究室をやめてしまった先輩の研究を引き継いだが、半年経つまでは本実験(論文の核となるデータをとるための実験)を開始することが出来なかったという。
マニュアル作りと予備実験の日々
はじめにX先生の指示で行ったのは実験器具の使い方や*実験プロトコル等の資料作りだ。X先生はマニュアルや自分が決めたルールを重視するため納得がいかないと何度もやり直しを要求した。また、本実験の前段階で行う予備実験(本実験を行う前の条件検討等)へのこだわりも強く、毎日4~5時間にわたるディスカッションが繰り返された。Aさんは「本実験を首尾よく進めるためには予備実験は不可欠です。しかし同じ内容の議論が毎日続き、重箱の隅をつつくような指摘や、『培地の入った袋の換え方』のマニュアルづくりなど口頭説明で済むような手引書作成の要求に段々無意味さを感じるようになりました」と語る。ゼミ発表で他の先生から「条件検討ばかりしても無駄ではないか」と言われることもあったが、口論になるだけでX先生の態度が変わることはなかった。卒論発表のデータが欲しくても本実験を始めることが出来ず、相談できる先輩もいなかったため心細い日が続いた。
*実験プロトコルは生物学や化学などの実験において、実験の手順、及び条件等について記述したものである。
マンツーマンでの指導は秋ごろまで続いたが、後期に留学生が入ってきたことを機に終わりを告げた。「これで少しは自由に研究できるはず」と安心したのもつかの間、X先生はその留学生にも同様に何ヶ月にもわたる条件検討や一日のスケジュール作りを強要した。ノートの取り方が指示通りでない等の理由できつく怒鳴ることもあり、顔色をうかがわざるを得なかったという。それでもAさんは「今は下積み期間、修士課程になればなんとかなる」と信じ大学院に進学した。
修士1年の春、学部4年の後輩が1人入ってきた。「その後輩はしっかりと自分の意見を言うタイプで、データをとる実験もしていました。しかしX先生は自分のして欲しい通りにしてくれないことに不満を持っていたようで、口論や罵声が頻繁に聞こえてきました。言った言わないの水掛け論が延々と続くこともあり、後輩は大学院への進学を機に別の研究室へ移りました。また留学生も入った翌年の秋に去っていきました」
「修士の学位が取れたのは君で3人目」
再び部屋で1人になったAさん。しかし卒業するまでの我慢だからと毎日決められた時間に登校した。「土日はしっかり休みましたし、朝は10時に来れば大丈夫だったので耐えられたと思います。また就活には理解のある先生でしたのでその点はありがたかったです」と振り返る。しかし修論を書くためのデータをとる本実験が始められたのは修士2年の11月だった。夏頃から始める予定だったが、*学生実験をサポートする*ティーチングアシスタント(TA)の準備と先生との話し合い、予定表やマニュアルなどの書類作りでどんどん後ろ倒しになってしまった。そのため12~1月は実験を進めながら修論を書き、深夜2時まで毎日研究室に残った。「修論発表では当然ながら、審査員の教授達からデータが少ないとの指摘を受けました。もっと早くから始めたかったのは山々ですが、X先生に逆らうことはできませんでした」と語る。「驚くことに、『この部屋で修士の学位が取れたのは君で3人目だ』と言われました。10年以上ある研究室ですが、以前在籍されていた他の先輩も同じ状況で苦労され、就職したり別の研究室に移る人が多かったようです」
*学生実験は、理系の学部生(主に2年生、3年生)が受講する実験を主とした授業のことで、実際に手を動かしながら基礎的な実験の手法を学ぶ。
*ティーチングアシスタントとは、学生が授業の補助や運用を手伝うこと、あるいはそれを行う学生を指す。補助を行う学生の多くは大学院生であり、基本的には業務の委嘱時間に応じて手当が支給される。
就職先への無断連絡
修論提出後も、引き継ぎの資料作りで卒業まで気が抜けなかった。就職先は3月にも少し研修があったが、休まざるをえなかった。「私の知らないうちに会社の人事に欠席の連絡をされていました。3月はまだ学生なのだから研究室にいるべきとの考えを持った先生で、来年度以降に入ってくる後輩のためなら仕方ないと自分に言い聞かせ引き継ぎ資料を作りました」
現在は就職し働くAさん。現在の仕事の話になってやっと笑顔が戻った。就職した今、改めて感じることを語ってもらった。
――Aさんの研究室で問題だと感じる点はどこでしょうか?
「私の研究室で良くなかった点は、X先生の性格にまずは問題があったことと、それを苦に辞める人も多かったために研究室の人数が少なく、気軽に相談できる人がいなかったということにあると思います」
――何か改善のためのアクションを取りましたか?
「私は修論後に、今後の後輩のためにも状況を改善したいと思い、教務課に相談して専攻長ともお話をしたのですが、あまり改善がされていないようです。X先生としては親身に学生の面倒をみているつもりだと思うので、一層難しいと思います」
――理系の研究室全体が抱える問題として何か思うことはありますか?
「働くようになって感じるのは、研究室はかなり閉鎖された環境だということです。内部の状況を外部が把握することは難しいですが、私としてはもっと研究室外の人、他研究室の先生方などにも状況を把握していただき、X先生に改善するよう働きかけて欲しかったと思います」
1人で悩まず相談を
大学が他の高等教育機関、研究機関と決定的に違うのは学位授与権を持つ点であろう。学生に学位を授ける授与権者は制度上は大学であるが、授与の是非については直属の指導者である教授や准教授が決定権を握ることが多い。つまり教授・准教授と被授与者である学生の間に強固なパワーバランスがあるのは明白で、学位をもらうためには多少の無理をしてしまうのが現状だ。卒業するまでの我慢、そう思いながら今日もどこかの大学で悩みを抱えながら研究を続ける学生もいるかもしれない。
学生相談ネットワーク本部のHPによると、同部では臨床心理士や精神科医が学生や教職員の心の健康をサポートしている。学生相談所は、本郷・駒場・柏の3キャンパスに設置されており、個々の相談に応じてさまざまな対応を行っている。 相談を希望する場合、ウェブか電話での予約が推奨されているが、直接来所することも可能だ。*ピアサポートルームでピアサポーターを務める伊藤太陽さん(理学部・4年)は「学内に相談機関があることすら知らない学生もいる、もっと相談機関の存在を知って気軽に相談しに来て欲しい」と語った。
*ピアサポート:学生生活上で支援(援助)を必要としている学生に対し、 仲間である学生同士で気軽に相談に応じ、手助けを行う活動。 2015年度より、学生のみなさんの支え合いと自主的成長を促進するために、 学生相談ネットワーク本部に「ピアサポートルーム」が設置された。
補足)東大の各研究科には、分野やテーマごとに細分化された研究室と呼ばれる研究組織が置かれている。理系の学生の多くは学部4年次に特定の研究室に所属する。構成員は教授や准教授と学部、修士、博士課程の学生に加え、ポスドクや助教、秘書のいる研究室もある。各自のテーマに沿って実験や文献購読を日々行い、バイオ系では試薬の調整、消耗品の購入など研究室の維持に関わる活動にも取り組む。研究室に配属された学生は授業以外の時間の多くを研究室で過ごし、平日のみならず土日祝日も研究を行う研究室もある。
【調査報道:ブラックラボとは何か】