慌てず、やりたいことを見極めて
小学生の頃から、父の実家がある広島県庄原市東城町のイベントを手伝っていたので、町おこしに興味がありました。学部では町おこしを学ぶために教養学部学際科学科地理・空間コースに進学しました。そして修士課程も総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系複合系計画学大講座人文地理学教室に進学しました。
実は当初は学部卒業後すぐに就職するつもりだったので、学部2年から地域おこし団体や起業家のコミュニティーに顔を出し、かなり野心的にヒントを探しました。しかしそこが性に合わず、社会に出て大人に振り回されることへの嫌悪感を覚えるようになり、つらくなってしまいました。今思うと当時は少し生き急いでいた気がします。
この時3年生の終わりで、ちょうど卒業論文のテーマを決める時期でした。東城の町おこしに卒論を生かしたいと思い、東城も行っている「ひな祭り」をテーマにしました。すると3月は各地のひな祭りを見に行く必要があり、研究と就活に注力すべき時期がかぶってしまいました。どちらに集中するか考えた末、研究をもう少し続けたいと思い、修士課程への進学を決めました。
修士論文のフィールドはまさに東城町。地域活性化に取り組む東城まちなみ保存振興会に参加し、ポスター制作などでイベントを手伝いつつ、市役所職員やキーパーソンに取材して、町おこしがうまくいっていない理由を明らかにしようとしました。東京と広島を10回以上行き来した日々はとても楽しい青春でした。
修士課程に進学してすぐの5、6月ごろ、将来は広島の一般企業に就職し、趣味で東城の町おこしをして、独り立ちできるようになった頃に東城に移ろうという方針を固めました。そこで現在就職しているのが、自動車企業のマツダです。実は就職先候補の約8社のうち、町おこしの構想から最も離れている企業で、当初は本社が家から近いという動機のみでインターンに参加しました。しかし他企業のインターンが、企業が対処している問題を数人で話し合って解決してみるという机上の空論にとどまるものがほとんどだった一方、マツダのインターンは社員の隣で5日間ありのままの仕事を見るというもので印象的でした。これは人文地理学のフィールドワークの手法にも通ずるものがありました。また私を担当したマツダのリクルーターが私の取り組みを聞いて、お客様として東城のひな祭りに来てくださり、その熱意に驚きました。こうした経験やご縁に心を動かされ入社を決めました。
修士課程への進学に後悔はありません。学部で早くから頑張った自分にモラトリアムを与えようという考え方は悪くなかったと思っています。また、修士課程への進学で就活が不利になることもないと思います。一般企業では学部生と院生は同じ扱いなので、人生経験が2年豊富な分、むしろ有利です。もちろん就活の難しさはどのレベルの企業への就職を望むかにもよりますが、院修了生は少なくとも食いっぱぐれることはないと思います。
一方、修士課程が辛かったのも事実です。指導教員にもよりますが、決められた手順をこなしていけばなんとかなっていた学部時代に対し、修士課程では先行文献などを読みながら自身の問いを探し、学問の中にそれを自力で位置付けないといけません。学部と同じことをするわけにはいかず、レベルアップに苦しみました。
自分は学部や修士課程で学んだ専門知識を身に付けられた自信はありませんが、フィールドワークを究め、インタビューを通して大人と会話する作法を学生のうちに身につけたことは就活などで有利だったと思います。またどんな仕事でも、情報を集め、それを整理しアウトプットする作業は人文地理の研究手法と変わりません。この力は現在も生かされていると感じます。
最後に、東大生は努力家で何かと急ぐ人が多いです。そのせいか、私を含め、学部2、3年で精神的バランスを崩す人が周りに多かったです。人が一度にできることは限られているので、全部やろうとせず一つに集中できる環境が作れるといいですね。
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