GRADUATE

2023年5月13日

花を生け、命に寄り添う 池坊専宗さんインタビュー

 

 

 

 華道家として活躍する池坊専宗さん。東京大学で学び、法学部での成績優秀者に贈られる「卓越」を受賞。現在はいけばなの魅力を伝えるべくメディアへの出演や講演も積極的に行い、さらに写真家としても活動している。いけばなや写真を通じて自分に向き合う。たゆまぬ努力を続け、東大で得た学び、いけばなや写真への思いなどについて聞いた。(取材・本田舞花)

 

 

花を生け、自分を見つめる 写真を撮り、一瞬を切り取る

 

──華道家としても写真家としても活躍しています。いけばなへの向き合い方と写真への向き合い方の共通点や違いは

 

 あまり違いはありませんね。いけばなは、生けた方の人柄が出るんですよね。写真もそうです。同じものを映しても、同じカメラを使っても、全く違う写真になります。お花を生けることも、写真を撮ることも、その人を映す鏡のようなものだと思います。例えば花を生けるときにきれいに生けたり、写真を撮るときにきれいに撮ろうとしたりするのではありません。花を生けるときは花の命のありさまをそのまま受け入れ、写真を撮るときは目の前の自分の感じたことを写していくようにしています。今ある時間や空間、お互いの関係性を受け入れるような心持ちで、日々花を生け、写真を撮っています。

 

──いけばなをたしなむ方々は高齢の方が多いと思います。いけばなをより幅広い世代に楽しんでもらうには

 

 下は高校生の方くらいから上は70代の方くらいまで幅広い世代の生徒さんに教えていますが、確かに若い方は絶対数が少ないですよね。いけばなとは、本来は命に寄り添うものですから、高校を卒業して社会が見え始める時期とか、あるいは社会人になって少し落ち着いてきて自分のキャリアや生き方を真剣に考える時期とか、仕事を引退されてから次の自分のライフプランを練っていく時期とか、人生のいろいろな段階で花を生けることで、自分の生き方をその都度見つめ直すことができると思います。自分の命を草木の命と重ね合わせてね。

 

 日本は知の蓄積とか、いろんな知見とか、伝統や歴史が非常に保存されている国だと思います。歴史の中で受け継がれてきたものを生で伝えていくために、本当は国とか行政の側にも、伝統の蓄積を若い人々に伝えていくべきだという意識を積極的に持ってほしいです。20代や大学生の皆さんにも、今当たり前に触れているものからちょっと一歩踏み出したり、自分の興味のあることに手を出したりして、いけばなのように「自分の生に直に触れる」経験を大事にしてほしいですね。

──いけばなは「供花」や「武士や庶民のたしなみ」として、役割や様式を変化させつつ、その時代を生きる人々に寄り添って伝承されてきたと言います。今後のいけばなの役割とは

 

 いけばなのルーツはまず「仏前供花」にあります。日本に仏教がやってきたことで、花を供えるという文化が日本にもたらされました。やがて室町時代の終わりに、六角堂の僧侶だった池坊専応がその歴史を進めます。応仁の乱の後、焼け野原になった京都では、多くの人々が死んでいき、専応自身の命も危険な状況でした。そのような過酷な状況でも、彼は僧侶として亡くなった人々を供養し、明日の行方も分からず惑う人々に寄り添い続け、新たないけばなの在り方を模索していたんです。生けた花も、数日後には枯れてしまいます。それでも花に何か実利的な意味を求めず、ただ目の前にある素朴な命に共感していく営み、それがいけばなだと思うんですよ。今のウクライナで、戦争という極限状態の中であっても、危険な外で何気なく摘んだ花を瓶に挿したら心が癒やされた、という話も伺ったことがあります。

 

 どの時代においても、人が生きるということは、とてもシビアなことだと思うんですよ。比較的平和な江戸時代、動乱の多い明治時代、戦争での敗北など、日本は激動の時代を送ってきました。そして戦後を経て、今があるわけです。(現代でも、)自殺者が多いことから分かるように、人々は仕事や家庭、自分の在り方などいろいろな側面で悩み、生きていると思います。そういう中で花を生けることは、命への共感ですよね。具体的な価値を求めたりせず、有名になろうとか、美しく見せようとかいう虚栄心も持たず、ただ植物の命に向き合うことで、自分の在り方を見つめ直すといういけばなの本質的な在り方が、室町の頃から今も変わらずにあることに意味があると思います。

 

──「花を生けること」は、池坊さん自身にとってどのような意味を持ちますか

 

 僕にとっては、花を生けることも写真を撮ることも特別なことではなく、自分の日常のひとときです。やはり花を生けることは、時間も手間もかかるんですけど、いざ花を生け始めるとそういったものは頭から吹き飛びます。お花と向き合っている時間は、忙しい日々の中でも何か瞑想(めいそう)的な時間というか、花を通して自分を見ているような心持ちになります。写真を撮る時も、自分の心が動く瞬間を映すので、ありふれているけれども貴重な瞬間を一つ一つ形にしていくような感じがします。お花を生けるとか、写真を撮るとか、そういう少し立ち止まって自分に向き合う時間がないと日々をあっという間に駆け抜けてしまう。忙しい日々でも、自分自身に対して少し立ち止まると、少しずつですけど、自分の足跡が残っていく気がします。花も写真も、その時の自分の心境や、命に対する姿勢を反映していますから。昔自分が生けた花を振り返ってみても、まだ技術的に未熟ではあるけれども、宝物のような、自分の一部のような感じがしますね。

 

 祖父が家元で、母が次の家元で、その次に私がいますけど、血のつながっている親子でも花が全然違うし、3人の中だと僕は一番「じじくさい」花を生ける、と言われます(笑)。それでも無理して華やかな花を生ける必要もないですし、自分が生けたいように生ければいいと思います。僕は飾らない、主張しないいけばなが好きで。人間関係も自然体の人の方が魅力的ですし、自分もできる限り自然体でいたいな、と思いますね。ボリュームのある美しさではなく、一輪の花とか一枚の葉っぱとか、個の命に寄り添った花を生けていきたいです。

 

積み重ねた知性はきっと宝物になる

 

──東大で法学部に進んだ理由は

 

 なんとなくですね(笑)。僕は他大に通いながら再受験をして東大に入学したので、勉強をしっかりやらないと、大学に入り直した意味がないと思ってコツコツ勉強していたら、自然と成績もついてきたので法学部に進学しました。結果的にはすごく良い選択だったと思います。

 

 法学というのは非常に人を見る学問なんですよね。「どうしてこういう行動が許されるのか」「なぜ人の生き方を国家が強制できるのか」。時代や人の行動・思考が変わっていく中での、人に対する規範としての法律の在り方、そして人の在り方を考える学問だと思います。それは自分の興味・関心にすごくマッチしていました。法学の授業では判例をたくさん読みますが、判例一つ一つの裏側に当時生きていた生身の当事者がいて、彼らの間で実際に争いがあって、それを裁く人がいて……。人間は決して完璧な存在ではないので、人が人の罪を裁くことに正解というのはないですけど、それでも答えを求めていかないと人は進めないのです。判例や法律を通して社会を見つめていくのが面白かったですね。

 

──東大での学生生活で印象に残っていることは

 

 コツコツ授業に出席していました。一つ一つは取り立てて変わりない授業でしたけど、先生の話す内容を必死にノートにとっていました。試験前に自分の書いた文字が読めなくてショックを受けたりもしましたけどね(笑)。本郷の図書館にもよく通って、勉強の合間に、窓から見える木々の緑に癒やされていました。

 

 「寝る前に5分でも勉強する」と決意したとして、それが3日続く人はもう50パーセントくらいしか残らないそうなんです。1週間続く人は20パーセントくらいで、1カ月続くのは1パーセントくらいだそうです。続けることってすごく難しいことですよね。4年間の勉強の積み重ねというのは、自信になりますし、自分の中の肥やしになっていると思います。勉強した内容を忘れても、コツコツ積み重ねていったという事実が、自分にとってはすごく意味があったなと思います。

 

 今日決意したから明日人生が変わるということはなかなかありません。人は、徐々に変わっていくものだと思っています。大学で努力を向ける方向はいろいろあると思うんですよ。サークルにバイト、恋愛とかね。でも東大のように、勉強に目一杯集中できる環境ってとても恵まれています。皆さんがコツコツ勉強をした日々は、将来宝物になると思いますよ。

 

東大在学時の池坊さん(写真は池坊さん提供)
東大在学時の池坊さん(写真は池坊さん提供)

 

──東大での学びが今の仕事に生きている場面は

 

 東大には「知を尊重するムード」があると思います。そういう環境で時間を過ごせたということがすごく価値のあることですよね。

 

 僕は家がお寺ということもあり、比叡山で仏教を学んでいます。仏教は釈尊が創始したわけですけど、釈尊は自分が死ぬ時、これからどうすればいいのかと不安になっている弟子たちに「第一に自分を」「第二に私が説いた法を」信じなさいと言ったそうです。当時のインドにはカースト制があって、生まれで自分の人生が決まり、前世の行いで自分の今の生が規定されるという非常にがんじがらめな社会でした。そういう世の中において仏教とは、スタートから「自分自身を信じなさい」と教える画期的なものだったんです。 

 

 それと近いものが、「知を尊重する」ところにもあります。知性は、いつも良い結果を招くわけじゃないし、失敗することも歴史上たくさんありますけど、失敗したという事実も含めて、先人のいろんな知の蓄積を後世に伝えられるところが非常に魅力的だと思います。

 

 今は大学も非常に功利的な側面が強くなっていますけど、東大には昔も今も知性を尊重する風土が残っていると感じます。東大で積み重ねた知は、花を生ける今の日々につながっていますね。花を供える行為は仏教伝来の6世紀くらいに始まり、華道という精神性を伴ったものが室町の頃に生まれ、その後もいろんな先人が花を生けてきました。僕は脈々と受け継がれてきた先人たちの営みを遡(さかのぼ)って、自分のいけばなの在り方を考えていきます。どんどん過去に遡(さかのぼ)っていきながら、自分を相対化し、自分の知見を今に生かしていくというスタンスは研究と一緒だと思いますね。法律だって、国家情勢や社会情勢に応じて変わっていきます。お花もいろんな時代の変化や人々の営みの変化に応じて雰囲気が変わっていきます。より華美な花が求められた時代もありました。そういう流れも含めて、今のいけばながありますね。

 

 20代は本当に一瞬で過ぎ去ります。どんなに若い人でもやがて年を取って、おじいちゃんおばあちゃんになっていきます。僕がいた頃もそうですけど、東大生は非常に器用だと思うんですよね。単位を取るにはどうしたらいいかとか、就職はどういうところがいいとか、資格試験に効率よく合格するにはとか、器用に情報を集めていますよね。でも20代というのは極限的な時間ですから、自分の関心があることにどんどん挑戦したり、東大の蓄えているものを貪欲に勉強したりしていかないと、気が付いたら何の意味もなく20代が終わってしまいます。新しいことにはもちろん価値もあると思いますけど、古さを知った上で新しいことを知っていかないと、ただ荒唐無稽なことになってしまいます。自分がやりたいことを突き詰める芯の強さを持ちながらも、歴史や過去の知の蓄積から学んでいく謙虚さを持ち続けていくこと、つまり古さと新しさという両輪を持って生きていくことが大事だと思いますね。

 

 

青く若き日々を大切に過ごして、有意義な大学生活を

 

──五月祭や駒場祭など、学園祭の思い出は

 

 焼きそばを作ることになって、キャベツを何玉も買って、クラスメートの家でひたすら千切りしました。人生であんなに千切りしたことないと思います(笑)。今思うとそれも良い思い出ですね。出す側も一緒に作ると連帯感が生まれるというか、キャベツ切ったのですら思い出になるので、若いみなさんにはぜひ学生のうちに、学園祭を満喫してほしいですね。社会人になると、みんなで準備をして出し物をする機会はなかなか得られないので、今のうちに積極的に参加して楽しんでほしいです。

 

──今年、五月祭は100周年を迎えます。テーマは「はなみどり」。新緑の薫り、才気とともに満ちあふれる青い若さなど、さまざまな意味を持つ緑に祭りの華やかさを重ねるという意味だそうです。このテーマについて感想は 

 

 今日久しぶりに本郷キャンパスに来たんですけど、本当に緑が美しいと思いました。今(取材時4月)の緑は若葉の緑ですから、透き通る浅い緑ですね。駒場の方は銀杏並木が記憶に残っているんですけど、本郷は緑が印象深いです。図書館で勉強していた時に、窓から見えるきれいな緑が記憶に残っています。

 

 いけばなの世界っていろんな流派があります。池坊は仏教と結び付いていて、因果の「因」、つまり原因とか過程を大事にするんですね。だから、花が咲いた時の美しさではなく、つぼみや葉っぱ、花が衰えていく姿を意味があるものと考えます。いけばなは「花を生ける」と書きますが、僕は葉っぱの方が大事だと思っています。命の源ですからね。僕の生ける花にも必ず葉っぱや緑を入れています。

 

 大学とは社会の発展の基礎になるものですし、若き大学生はこれからの社会の土台を担っていく立場の人たちです。「はなみどり」という言葉が感じさせる「ここに命が蓄えられ花が咲いていきますよ」「これから繁栄していきますよ」というイメージはなんだか気持ちが明るくなりますね。東大生の中にも、コロナ禍でいろいろなことが制限されて、思い描いていたような大学生活を送れなかった方がたくさんいると思います。今年はいろんな人の努力のおかげで、五月祭を久々に入構制限なしで開催できるのだから、思いっきりこの新緑のお祭りを楽しんだら良いんじゃないかな、と思いますね。

 

 

──五月祭に臨む学生へのメッセージをお願いします

 

 大学生活は有限です。一つ一つの行事や過ごす時間を大事にしていくと、きっと自分の宝物になっていきます。この五月祭も積極的に関わってみるときっと良い体験になるんじゃないかな。東大に通って知の最先端に触れていた日々はとても恵まれた環境だったのだと、卒業してから本当に実感します。思う存分勉強に打ち込める機会は、今後卒業するとなかなかないと思います。皆さんには良い企業に就職するとか、成績を効率よく取るとか、そういう目の前のことではなくて、もっと長い目で考えて、自分の本当に興味があることは何かを探したり、それに向かって努力したりして、東大での4年間を大事に使ってほしいと思いますね。自分自身が求めることに対して実直に向き合うことが、就職後や、あるいはずっと先の未来で役立つかもしれません。五月祭をはじめ、これからの一つ一つの時間を大切にしていって、大学生活が皆さんにとって自分の在り方を模索する有意義な時間になることを願っています。

 

池坊専宗(いけのぼう・せんしゅう)さん 
東大法学部卒。華道家元池坊 家に生まれる。卒業時には成績優秀として「卓越」受賞。 華道家・写真家として活躍。

 

 

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