FEATURE

2024年12月24日

「できないこと」を自覚し続け、より良い医療を目指す 東大附属病院 田中栄病院長インタビュー

 

 東大医学部附属病院は「臨床医学の発展と医療人の育成に努め、個々の患者に最適な医療を提供する」ことを理念とし、診療・臨床研究・教育を行っている。東大病院が目指すものとは何か。東大病院だからこそできることとは何だろうか。2023年4月に病院長に就任し、自身も東大医学部の卒業生で整形外科分野の医師・研究者である田中栄病院長に話を聞いた。(取材・石橋咲、撮影・五十嵐崇人)

 

田中栄(たなか・さかえ)病院長 (東大医学部附属病院)/87年東大医学部卒業。博士(医学)。 96年東大大学院医学系研究科修了。東大大学院医学系研究科教授。東大医学部附属病院副院長などを経て、23年4月より現職。
田中栄(たなか・さかえ)病院長 (東大医学部附属病院)/87年東大医学部卒業。博士(医学)。96年東大大学院医学系研究科修了。東大大学院医学系研究科教授。東大医学部附属病院副院長などを経て、23年4月より現職。

 

診療・研究・教育の3本柱で社会貢献

 

東大病院の理念と目標

 

━━東大病院の理念と目標には、どのような意味があるのでしょうか

 

 「(当院は)臨床医学の発展と医療人の育成に努め、個々の患者に最適な医療を提供する」という理念は20年ほど前に設定されました。大学病院の役割は、診療・研究・教育の3本柱です。先端的な医療を安全に行うことはもちろん、それを担うような次の世代を育てることや、今は治らない病気を治すための研究を行うことも重要な役割です。理念の実現のために「患者の意思を尊重する医療の実践」「安全な医療の提供」「先端的医療の開発」「優れた医療人の育成」という四つの目標を掲げ、理念や目標の達成を通じて、より良い社会を作っていくことを目指しています。

 

 医療や医学は明確なゴールがあるものではありません。いくら研究が進んでも、治せない病気や解明されていない病態もたくさんあります。そういう意味では目標を達成できているとはとても言えませんが、できないことや足りないことを自覚しながら、少しでも良い医療を目指すことが大切だと考えています。そのために、毎週病院の最高意思決定委員会である執行部会で病院の問題点を洗い出し、解決策を議論しています。また、2年に1度、病院長が交代するタイミングで病院の目標を盛り込んだ「東大病院の目指す方向」を公開し、1年後に中間評価、2年後に最終評価を行い、それを踏まえた新たな「目指す方向」を作成しています。

 

━━診療面で大切にしていることは何ですか

 

 東大病院として、最先端の医療を提供したいという思いはとても強いです。難しい病気の患者さんを全国から紹介していただくこともよくあります。最近東大病院で増えているのが脳死臓器移植で、心臓や肺、肝臓の年間の脳死臓器移植件数は東大病院が日本で1番多いです。他にも、手術支援ロボットを用いた手術やがんのゲノム医療、難病に対する新規治療薬を用いた治療などを行っています。一方で、よく開業医の方に「東大病院に紹介したいが、普通の病気で紹介するにはハードルが高い」と言われることがあります。でもそんなことはありません。大学病院とはいえ、患者さんの多くは一般的な病気のために受診されています。このような病気に対してもしっかりと診療を行うこと、それによって地域医療に貢献することが大事だと考えています。

 

 地域医療への貢献という点で、東大病院の特徴の一つとして非常に広範囲に医師を派遣しているということが挙げられます。東京、関東はもちろん北海道や沖縄まで医師の派遣を行い、その地域の医療を支えています。理念実現のための目標にもあるように、患者さんの意思を尊重すること、安全な医療を提供することは重要です。

 

 高難度な治療を行う場合であっても、安全に行うということを何よりも大事にしています。日本では1990年代の後半、患者さんの取り違えや手術ミスなどの医療事故が契機となり、医療安全の重要性が広く認識されるようになりました。これを受けて、病院や医療機関では安全管理体制の強化が進められました。東大病院でもその流れの中で、日々の細かなヒヤリハット事例(事故に至らなかったが危険だった事例)の蓄積とフィードバックなど、医療安全に向けた取り組みに力をいれてきました。人間は誰でもミスをしますが、大きな間違いや事故につながらないように、細かいミスをうやむやにせず情報共有をすることがとても大切だと考えています。

 

手術支援ロボット(アーム)を用いた手術(写真は東大医学部附属病院提供)
手術支援ロボット(アーム)を用いた手術(写真は東大医学部附属病院提供)
手術支援ロボット(コンソール)の操作(写真は東大医学部附属病院提供)
手術支援ロボット(コンソール)の操作(写真は東大医学部附属病院提供)

 

━━新型コロナウイルスの流行にはどのように対応してきましたか

 

 とにかく誰も経験したことがない事態だったので、まずは病院内である程度の方針を決め、地域の他の大学病院や医療機関、東京都、厚生労働省などに相談しながら、その場その場で次の一手をどうするか考えて試行錯誤しながら柔軟に対応していったというのが実情です。東大病院と白金台キャンパスの東大医科学研究所附属病院(医科研病院)を合わせると、国立大学病院の中で1番多くの患者さんを受け入れて治療を行い、治療の成績も非常に良かったと自負しています。救急・集中治療科や感染症内科、呼吸器内科の先生たちが中心になり、病院全体で協力して診療に当たっていました。

 

━━病院運営の難しさを感じることはありますか

 

 東大病院の病床数は約1200床なのですが、特にコロナ禍では病床を効率良く運用することの難しさを感じました。新型コロナウイルス感染症流行時には東京都から患者の受け入れのためベッドの確保の要請が来ていました。毎日決まった人数が来るのなら良いのですが、感染拡大時にはたくさんの患者さんが来て、そうでないときにはあまり来ず、ベッドが空いてしまうことがあります。そうなるとコロナ以外の患者さんが入院できるはずなのに、無駄になってしまう。経営という観点でも、ベッドが空いていると診療報酬が入ってこないので困ります。

 

 コロナ禍を経て、外来患者さんも減少しました。原因の解析は難しいですが、例えばコロナ禍前は毎週来院していた患者さんが、感染を防ぐために受診を控えるようになり、コロナ禍後も来院のペースがそのままになったということもあるのではないかと思います。コロナ禍では空床や外来患者の減少などの事情をカバーするために国からの補助金があったのですが、今ではなくなったので経営に大きなダメージがあります。

 

最先端の研究をスムーズに臨床へ

 

━━東大病院が研究面で目指すものは

 

 分野ごとに果たしてきた役割は異なりますが、さまざまな研究を通して医学や医療の発展に貢献してきました。最先端の研究によって現在は分かっていない病気の原因を解明したり、治らない病気の治療法を開発したりすることを目指しています。一般の病院に比べて研究に人材や資金を割きやすいという面がありますし、総合大学である東大には医学部の他にも工学部、薬学部などさまざまな学部があり、各分野の世界トップクラスの研究者と協力して医療の分野に応用できることが大きなアドバンテージとなっています。私の専門の整形外科では、工学系研究科との共同研究で新しい医療機器や診断ツールの開発などに取り組んできました。

 

 研究を実際の臨床の場につなげられるような形で発展させていくことにも意識的に取り組んでいます。例えばアルツハイマー病の研究やがんのゲノム研究などの分野では成果を出してきました。しかし、コロナ禍で痛感したのは、海外の研究者が疾患の原因解明や治療法の開発を行っていった中で、日本は一歩も二歩も遅れてしまったということでした。日本の研究者が劣っていたということではなく、研究内容を臨床につなげていく流れがスムーズでなかったことが最も大きな問題だったと考えています。研究者同士や政府、製薬会社などとの連携が取れていなかったために、ある研究者が解明したことを利用して他の研究者がワクチンを作り、社会に出すという流れをうまく作れませんでした。

 

 その反省のもとに、感染症研究で有名な東大医科研の河岡義裕先生が中心となって新世代感染症センター(UTOPIA)という研究機構が形成されました。東大病院も拠点施設として、次のパンデミックに備えてワクチン開発に協力し、実際にワクチンができたらそれをどういう形で社会に出していくかということに取り組んでいるところです。UTOPIAには製薬会社なども含めて多くの機関・企業に参加していただいていて、いざというときにすぐ連携が取れる協力体制の整備を行っています。

 

━━教育面では、どのような人材を育成したいと考えていますか

 

 臨床医には、患者さんを治す技術や知識に加えて人間力もなくてはなりません。まずは患者さんや家族の思いを人間としてしっかり受け止められる医師になることが何よりも大事です。その上で、高度な医療を実践できるように自ら勉強してトレーニングを積んでいってほしいと思います。

 

 東大医学部の学生が優秀であることは間違いないので、そのような方々と、いかに医学・医療の面白さや日本の医療への貢献という目標を共有できるかが大切だと考えています。教えるのも世界でトップクラスの人たちばかりなので、国家試験対策の勉強に留まらずに世界で行われている最先端の治療法や研究を日々の授業に盛り込んでいくことで、学生に「社会に貢献する」という意識を持ってもらえるとも考えています。

 

 学生の中には、医学の勉強をしていく中で「思っていたのと違う」と感じる人もいらっしゃいます。そういった人たちには、幅広い医学分野の中で自分に合った分野を選べるようにアドバイスしたり、基礎研究に適正のありそうな方は研究へと導いたりなど、一人一人に最適な方向性を示せるように支援を行っています。一方で外国人の医学部生や医師が非常に少ないことは課題です。海外との連携を深めて医療を発展させていくことを考えるとグローバル化は必要ですが、特に診療の分野ではまだまだだと感じています。

 

院内には理念、目標が掲示されている(写真は東大医学部附属病院提供)
院内には理念、目標が掲示されている(写真は東大医学部附属病院提供)

 

「できないこと」を自覚し続け、より良い医療を目指す

 

━━医師を志したきっかけを教えてください

 

 幼い頃から漫画などを通して医療・医学の面白さを感じて、難しい病気を治せるようになればいいなと思っていました。中高時代に医学部を目指す友人たちと一緒に勉強したり、将来について話したりする中で医学部に行きたいという意思が固まりましたね。研究という点では医学以外にもたくさん面白い研究がありますが、医療・医学の面白さは、研究が比較的直接的に社会につながるところではないかと思います。医師を志した当時は社会貢献というような大きなことは考えていませんでしたが、今は医療・医学を通じて社会に貢献することが最も大切だと考えています。

 

━━東大在学時の教育で印象に残っているものはありますか

 

 今でも覚えているのが臨床講義です。昔は授業に実際に患者さんを連れてきて診察をしていたようですが、僕たちの時代には患者さんを連れてくることはせず、患者さんの臨床情報から、どういう病気が考えられるか、どういう検査をすれば良いか、どのような治療を行うか、ということを実際の診療のステップに沿って考える授業でした。学生が自分で考えながら治療計画を立てるという経験は大変刺激的でした。

 

━━多くの分野の中で整形外科を選んだ理由を教えてください

 

 整形外科には腰や膝の痛みなど体の動きに関する病気の患者さんが来ます。運動に関係する骨や軟骨、筋肉などに問題が生じて困っている患者さんです。高齢化社会が進むにつれて、このような患者さんが増えることが予測されたので、整形外科の重要性が増すだろうと考えて決めました。実際、患者さんは思った以上に増えたので、大変ですが整形外科を選んで良かったと思います。

 

 僕が医者になった30年前と比べると、同じ病気でも現在は格段に治療後の経過が良くなっています。例えば昔は大腿骨頚部(だいたいこつけいぶ)骨折の手術後に歩けるようになるまで何週間もかかっていたのが、今は手術の次の日から歩く練習をしています。研究面では、私は主に骨粗鬆症と関節リウマチの研究をしてきました。まず研究自体がすごく面白いですし、病気のメカニズムが解明できれば新しい治療薬の開発につながります。研究を始めた頃には想像もできなかった良い薬が今はたくさん出ているのをみると、研究してきて良かったなと思います。

 

 「自分は何でもできる」と思って満足してしまうとそこで成長はストップしてしまいます。できないこと、分からないことを自覚して、それを克服しようとする中で、進歩が生まれますし、高度な医療の開発にもつながってきます。常に次のステップ、そして良い医療を目指し続けることがモチベーションとなっていると思います。

 

━━23年4月に東大病院の院長に就任しました

 

 その前に副院長を務めていたこともあり、東大病院全体の現場のことはある程度分かっていました。そのような経験の中で、東大病院はとても良い病院だという思いが強くなりました。医師だけではなく、看護師をはじめとしたメディカルスタッフが最高の医療を提供しようと日々努力しています。ぜひ多くの人に東大病院のすばらしさを知ってもらいたいです。

 

田中栄病院長

 

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