東京大学コミュニケーションセンター
赤門の北隣に位置する東京大学コミュニケーションセンター(UTCC)は煉瓦(れんが)造の小規模な建物ですが、本郷キャンパスの中でも関東大震災の被災を免れた、数少ない建築の一つです。この建物は明治43年に当時の図書館の製本所として建設されました。
ここで東京大学の図書館と製本所の建築の歴史を見ていきましょう。
平成29年、創設140年を迎えた東京大学ですが、本郷の地に各学部(当時は大学)が集結したのは、明治19年帝国大学令が交付され帝国大学へと再編成されてからのことでした。各学部の校舎建設が徐々に進むなか、大学における知の拠点ともいえる図書館は、文部省技師の山口半六、久留正道の設計により明治25年に竣工します。その後、明治40年度には図書館書庫の増築が、明治42年度には書庫や閲覧室増床のため2階建へ改築がなされており、この時期の図書館改修事業の一つとして、明治43年、赤門横に小使室を兼ねた製本所が建設されました。
明治後期になると全国各地に公立図書館が増えたこともあり、文部大臣より図書館施設に関する訓令が出されています。それによると図書館には閲覧室、書庫、事務室の他、必要と経費に応じ児童室、婦人室、特別閲覧室、休憩室、製本室、使丁室を設けるよう記されています。製本業界では、新刊書など大量の製本を行う数物師に対し、雑誌の合本や製本修理などを行う製本師を諸師(改製本師)と呼ぶそうですが、図書館で求められる製本は後者の方でした。大学図書館ほどの規模の図書館は、製本機能を館内に備えるのが、当時は当然のことだったのでしょう。
その後、大正12年関東大震災により、図書館は炎上全壊、蔵書はほとんど焼失してしまいます。本郷キャンパス内の校舎群は多くの被害を被り、内田ゴシックによる復興ラッシュを迎えますが、昭和4年にはロックフェラーから寄付を受け、総合図書館が再建されます。現在新図書館計画が進められていますが、総合図書館前広場には、別館建設に際し行われた発掘事業で発見された前身図書館の煉瓦基礎が、同位置にベンチとして活用されています。
製本所自体は震災の被害はありませんでしたが、この図書館再建を契機に、製本所は役目を終え車庫へと用途変更されます。さらに平成16年にはコミュニケーションセンターとして再生しました。
広い本郷キャンパスの中、赤門横にひっそりと建つ赤煉瓦の建物ですが、かつては知の拠点である図書館の蔵書を守る製本所として、現在は研究成果を発信する施設として大学での研究活動を支え続けています。
文・角田真弓(つのだ・まゆみ) 工学系研究科技術専門職員
(寄稿)
【本郷キャンパス建築めぐり】