こんにちは!
意識の高い一流大学生を目指していたら、いつの間にか一留大学生になっていた筆者です!
突然ですが、こちらをご覧ください!
赤い点がイッパイですね〜。実はコレ、都内の「カレー屋」を検索した結果です。
なんと、赤い点の全てがカレー屋(!)です。
『うわっ・・・都内のカレー屋、多すぎ・・・?』
では、東大の最寄りである本郷三丁目駅付近はどうでしょう。
本郷三丁目駅・東大付近だけでも5軒以上!
曜日ごとに、違うカレー屋に足を運べるレベルですね。
昔は「本郷歩けばラーメン屋に当たる」なんて言われていましたが、
今や「本郷歩けばカレー屋に当たる」時代へ!?
どうしてこんなにカレー屋だらけナンだ…。
知的好奇心に駆られた取材班は謎を解き明かすため、赤門を飛び出した!
・・・到着。到着!?
徒歩20秒、走れば5秒。(注:取材班は小走り10秒で到着。)
東大生御用達と噂のインド料理店『ダージリンレストラン DARJEELING』にやってきました!
日頃の運動不足がたたって汗だくの私たちを温かく迎えてくれたのは、ダージリンレストラン店主 シャランさん と、ビジネスパートナー シオタさん。
左:シャランさん 右:シオタさん
早速取材班は、「本郷歩けばカレー屋に当たる」理由をお二人に伺いました。
シャランさん:私たちがこの店を開いたときには、ここ(本郷)にはあんまりインドの店はなかったです。このときはあまりカレーが繁盛するとは思いませんでした。ただ、このお店がすごく並んでいたので・・・ネパールの方がカレー屋をやりたい、やりたいって。
シオタさん:本郷三丁目周辺のカレー屋は、インド人じゃなくてネパール人が多い。「インドカレーは儲かるぞ!」っていう噂をどこかから聞きつけたネパール人が、出稼ぎのために次々と来ちゃったみたいだね・・・。最近は、インド人は、日本に来なくても十分稼げるからあんまり来てないね。
たしかに、本郷周辺のカレー屋の看板をよく見てみると「インド料理」ではなく、「インド・ネパール料理」の文字があります。
インド・ネパール・アジアン料理
インド・ネパール カレー
「本郷歩けばカレー屋に当たる」のは、ネパールの方が経営している店の増加が原因だったのか・・・。
というか、そもそもインド料理って一体ナンなんだ!?
取材班は疑問を解消すべく、100年以上の歴史をもち、大隈重信・渋沢栄一が創設した「公益財団法人 日印協会」にお邪魔しました。
担当してくださったのは、公益財団法人日印協会 業務執行理事 常務理事の笹田さん、同協会 事務局長の青山さん。
取材班:インド料理といえばインドカレーというイメージですが、インドカレーについて教えてください!
笹田さん:インドカレーは北部と南部で味や形態が異なります。ナンとカレーという組み合わせは、北部の富裕層のものです。というのも、ナンを作るタンドールというお釜は、非常に高価ですし、精製された小麦粉も未精製の小麦粉に比べて非常に高価な食材です。なので、北部の人は、普通、チャパティと呼ばれる未精製の小麦粉を使用した、おせんべいのようなものを食べています。
チャパティ
笹田さん: また、インド北部・南部では食文化も全く異なっていて、カレーを食べる際も、南部ではご飯と共に、北部ではチャパティやナンと共に食べるのが一般的です。インドの食文化のイメージは「カレー」だと考えている方も多いかもしれませんが、多くのインド人はカレーを国民料理として認識していません。
ほぉぉぉぉ…なんだか文化的な話になってきた!
これはまだまだ奥が深そうだ……!
知的好奇心を刺激された取材班のもとへ
なんと、去年卒業されたOBの先輩に、日本におけるインド食文化の受容について研究された方がいらっしゃるという情報が!!
その先輩とは、昨年教養学部を卒業された豊田さん。
早速あらゆるコネを駆使して先輩にお会いしました。
取材班: 先日、日印協会で「インドの人々にとって、インド料理=ナンとカレーというイメージではない」と聞いたのですが…そもそもどうして日本では、インド料理=ナンとカレーってイメージがついてしまったのでしょう?
豊田さん: そうそう。インドにはもともと本当に多様な料理があって、インドの方々の中ではインド料理=ナンとカレーって発想ではないのですよ。
豊田さん: 日本の文献に初めて「カレー」が出てくるのは、なんと明治5年(!)。インドを植民地化していたイギリスを経由して伝わったので、最初は『西洋料理指南』で西洋料理として紹介されたのですよ。
取材班: たしかに、今でもカレーって洋食レストランのメニューにありますもんね。でも、今の「インドカレー」とはだいぶ違う印象……
豊田さん:その通り。というのも、そもそも最初に日本に入ってきたのはイギリスで洋風にアレンジされたカレーだったのです。イギリスに伝わったのちに、小麦粉でとろみをつけたりカレー粉を利用したりというアレンジが加えられ、それが日本に入ってきて「カレー+ライス」と認識され、食の洋風化の中で広まっていったんですよ。
取材班:—-ということは、南インドの「カレー+ライス」の文化が紆余曲折を経て日本に入ってきたのがカレーの始まりナンですね。それが、いつから「カレー+ナン」がインド料理、というような印象になってきたのでしょう……?
豊田さん:1970年代になると、万博で多くの人に北部インドのナンを使った料理が振る舞われたり、ナンやタンドリーチキンを使ったインド料理が女性誌で取り上げられるようになってきました。
豊田さん: 先程の話にもありましたが、インド南部のカレーは「カレー+ライス」の文化ナンですよね。「これが本場のインド料理です!」と言われても、どうしても日本のカレーライスとあまり差異がない感じがしてします。でも、インド北部の「ナン」という料理がカレーと一緒に出てきて「これが本場のインド料理です!」と言われれば、物珍しさもありお客さんがたくさん来ます。こうして、当時のエスニック料理ブームにも乗っかって、北部インド料理を「インド料理」として出す店が増えてきました。
豊田さん: そのような中で、カレーをナン、サラダ、タンドリーチキン、デザートなんかと一緒にフルコースとして出す店が現れたり、今度はそれをナン食べ放題のランチセットとして格安で提供する店が現れたりと「カレー+ナン」の形で料理を出す店が、競争の中でビジネスモデルを確立していったんですね。
豊田さん: このようなプロセスで北部地方のカレーがいわゆる「インド料理」として確立してしまったため、今では本来南部地方出身のシェフでも、お店では北部の料理を出したりもしているんですよ。
取材班:—-なるほど。本来多様なインド料理が、日本では「カレー+ナン」のように思われているのは、日本に元からあった「カレー+ライス」の文化と差別化しやすい北部インド料理がビジネスモデルを確立していったからナンですね。
豊田さん: だから、みなさんが先に取材に行ったダージリンは、本当に北部出身者が北部のインド料理を出している少し珍しいケースでしょうね。
ということは、日本で「インドカレー」として認識されているカレーとナンというこの組み合せは、日本人ウケを考えて生まれたんだな・・・
アァ、一留大学生なりに頭使ったら
腹減った。
ということで、シャランさんのお兄さんのお店『ダージリン 日暮里店』にカレーを食べに行ってきました!!(さすがに小走り10秒ではつきません。)
異国情緒漂う店舗入口
取材班を迎え入れてくれたのは店主のランジャンさん。
ランジャンさん
もともと兄のランジャンさんが日本でカレー屋を始めていて、シャランさんは最初兄を手伝いに来ていた、ということを事前にシャランさんから聞いていた取材班。
美味しいカレーをいただきながら、お兄さんが日本にやって来てカレー屋を開くに至ったいきさつをお聞きしました。
「元々はインドでホテルの仕事をしていたのですが、今のワイフ(日本人)と出会ったことがきっかけで日本に来たのです。
最初は紅茶屋さんを開いていたのだけど、あるときカレーを作って出したら美味しい!と言ってもらえたのがカレー屋を始めたきっかけ。
はじめ紅茶屋さんだったから”ダージリン”って名前のお店ナンですよ。
ここのお店はシャランの店(本郷店)とは違って、少し高級路線ナンですよ。紅茶にもこだわっています。」
ちぎちぎ、ひたひた、もぐもぐ……いやぁ知見を広げてから食べるカレーというのは今までとひと味もふた味も違って感じるなぁ。
さあ、お腹も膨れてきたのでそろそろビシッとイイこと言って、長かったこの記事も終わりにしようと思います。
インドカレーは奥が深い。
他のインドカレー屋さんにも、その店独自の背景や、文化や、こだわり―――
ただ無意識のうちに通り過ぎていたそこには、ナンとも奥深い秘密が隠されているのだ!
あなたの街のカレー屋さんにも、きっとあるはず……
カレー屋さん以外にも、ラーメン屋さんとかにもあるはず。うん。きっとあるはず。
(取材・文 江﨑 文武、澤田 航平、堀越 伶、湯本 真知)
※この記事は、東京大学大学院情報学環教育部の授業の一環で執筆されました。