文化

2023年8月20日

【前編】「最古の災害文学」「最古の論文」読み継がれる『方丈記』の魅力に迫る

 

 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。」この有名な一節で始まる『方丈記』は、1212年に鴨長明により成立した。『方丈記』は「日本三大随筆」の一つとして、そして災害描写の正確さゆえに「災害文学」として、受容されてきた。関東大震災をはじめ災害のたびに記事や記録で引用され、それをきっかけに多くの人々が『方丈記』を読み返した。中世日本文学に詳しい木下華子准教授(東大大学院人文社会系研究科)に、成立から800年以上経つ今もなお読み継がれる『方丈記』の魅力や、災害文学の在り方について聞いた。取材・本田舞花)

 

『方丈記』は日本最古の「論文」!?

 

──『方丈記』は「日本最古の災害文学」と言われています。それまでの日本では、災害について大きく扱った文学はあまりなかったのでしょうか

 

 火事を例に取りましょう。平安京では、家は木と紙と土で作られていた上に、明かりを火で取っていたため、頻繁に火事が起こりました。ただ、それを『方丈記』のように記したものは基本的に見当たりません。

 

 鎌倉時代の他の文献で火事がどのように描かれているかというと、「火の粉がひらひらと粉雪のように舞っていて綺麗(きれい)」「火事の時に宮中の女性たちを助けに来てくれた武官が格好良かった」といったものであれば残っています。しかし、『方丈記』とは少し筆致が違うものという印象を受けますね。

 

 実は古典文学を扱う際に気をつけなければいけないことは、決して今見ている古典作品が全てではなく、失われたものがとても多いということです。よって、全くなかったと言うことは難しいかもしれませんが、残った作品の中では、『方丈記』が現存最古の「災害文学」だと言えます。

 

 しかし、『方丈記』は災害を描きたかったか、というとちょっと違うかもしれません。『方丈記』は五段構成と考えられています。「行く川のながれは絶えずして」で始まる「序」、安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉(ききん)・元暦(げんりゃく)の大地震(おおない)という五つの災害を記した「五大災厄」、そして「鴨長明自身の人生とすみかの来歴」、「日野の草庵での充足した暮らし」、最後に「自己批判の弁」で作品を閉じる、つまり謙遜で結ぶという形になっています。災害というテーマで取り上げるならば、2段目の「五大災厄」ですね。私たちは「五大災厄」と読んでいますが、『方丈記』自体には一言も災厄や災害とは書かれておらず、「不思議」と書かれています。「不思議」、おそらく因果関係をあまり正確に見出せないもの、自分たちの思慮を超えているものというような意味だと思います。つまり長明は『方丈記』で災害について記そうとしたというよりも、彼が「不思議」と思って書いたものが、結果的に私たちにとってとてもリアルな災害に思えるということだと思います。『方丈記』はおそらく「災害を災害として記そう」と思って書かれた文学ではないけれど、私たちは『方丈記』を「災害文学」として受け止めてきたのでしょう。作品とは、作者の手から離れたら読者が育てるものだとよく言われますが、『方丈記』という作品は、何百年にもわたって読み継がれる中で読者が育ててきた部分がとても大きく、その最も象徴的な側面が「災害文学」ということだろうと思っています。

 

(表)方丈記の構成 テーマと内容表 (記者作成)

 

 私たちが災害だと思っているものは、かつては「自分たちが間違ったことをしたために神が怒り、罰を下した」と解釈されていました。例えば地震が起こった時、現代ではプレートや断層の動きが原因だと解釈します。しかし『方丈記』が書かれた時代には、「政治が悪かったり戦で死人がたくさん出たりしたために神が怒った。その怒りを鎮め、次は起こらないようにしなければならない」と災害を捉えるのが一般的でした。当時の貴族の日記にはごく普通にそのように書かれていましたし、彼らなりに、訳の分からない現象に対して私たちと同じように因果関係を与え、理解しようとしたのでしょう。しかし『方丈記』には、そのような解釈は書かれていません。例えば、「元暦の大地震」を源平の戦で滅んだ平家の怨霊のせいとは書かず、災害の中で壊され、動かされてしまう「人とすみか」に焦点を当てているわけです。

 

──『枕草子』や『徒然草』など、前近代の日本では多くの随筆作品が記されていますが、『方丈記』の特徴や特異性について教えてください

 

 『枕草子』・『徒然草』・『方丈記』は「三大随筆」とよく言われますが、『方丈記』だけは随筆ではありません。『枕草子』や『徒然草』は、多様な話題を、多様な文体で多様な視点によって書いていますよね。しかし『方丈記』は徹頭徹尾「人とすみか」のはかなさについて、一貫した文体でとても論理的に書いています。

 

 『方丈記』は論文に近いと思います。まず序で「そのあるじとすみかと、無常をあらそふさま、いはゞ朝顔の露にことならず。」と述べる、つまり「人とすみか」のはかなさ、常なきありさまについて書くと宣言します。次に「五大災厄」のところで五つの「不思議」、つまり私たちにとって災害に当たるものによって人の営みや家が破壊される様子について書きます。さらに、そのようなつらい状況でどうやって人生を送るべきかを考える上で、自分の人生の来歴を述べ、日野の草庵での暮らしの素晴らしさを説明します。最後に、草庵を愛してこんなことを書くなんて、この世への執着で仏教的には罪だと批判をして終えます。テーマを述べ、具体的な事例を5個挙げ、そこから自分の体験を基に議論を展開し、最後を自己批判で結んでいます。

 

──確かに、論文の構成そのものですね

 

 ある意味、日本最古の論文かもしれませんね。これほど論理的に物事を論じた作品は、『方丈記』以前にはあまり思い当たりません。

 

(表)三大随筆 基本情報の比較図表(記者作成)

 

──『方丈記』の地震の描写は非常に科学的ですが、鴨長明はなぜ正確な地震描写をすることが可能だったのでしょうか

 

 描写の正確さを当人の経験や記憶の在り方だけに還元させてしまうよりは、どこかで他の記録や文字を参考にした可能性があると考える方が世界が広がります。長明は正式な宮仕えをした経験があまりなく、今で言う「ニート」ですので、当時の摂関家や納言クラスの人々とは、持っている情報量が明らかに違います。長明は親交のあった藤原家の日野長親のあっせんで日野に来たと考えられています。日野氏の氏寺である法界寺の文庫で貴族が記した地震の記録を読んだのかもしれません。

 

 また、長明は後鳥羽院の下で『新古今和歌集』の編さんに携わり、和歌所(わかどころ)の寄人(よりうど)として勤めました。宮中で地震の記録に触れられたのかもしれません。また、『方丈記』は、実は文学ジャンルとしては「記」に属します。『徒然「草」』や『枕「草子」』とは違って、「記」は元々漢文のジャンルで、「本質は記録にあり、筋道を立てた論理性と叙事的な記述を特徴とする」というものです。さらに『方丈記』は現存最古の「仮名文」の「記」です。そのため、臨場的かつ正確な災害叙述が可能になったのだと思います。

 

鴨長明『方丈記』「元暦の大地震」,勝村治右衛門,刊年不明.国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2539922 (参照2023-08-02)
鴨長明『方丈記』「元暦の大地震」, 勝村治右衛門, 刊年不明. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2539922 (参照2023-08-02)

 

【後編はこちら】

【後編】「最古の災害文学」「最古の論文」読み継がれる『方丈記』の魅力に迫る

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