文化

2024年11月12日

文法も違う!個性輝く日本語の方言 方言研究の魅力と保存の意義

(右画像:「日本語の方言区画地図(日本語の説明付き)」, Enirac Sum,  https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Japanese_dialects-ja.png?uselang=ja)

 

 地方出身の学生の中には、故郷で方言を話していた人も多いだろう。その中には、上京してなんとなく使わなくなってしまった人もいるかもしれない。しかし、方言は驚くほど多様で、研究し、話し、守っていくに値する魅力や価値があるものだ。フィールドワークなどを通して日本語の方言を研究する小西いずみ准教授(東大大学院人文社会系研究科)に、方言研究の面白さと保存の意義について聞いた。(取材・小原優輝)

 

同じ日本語でも文法やアクセントが違う 方言の面白さ

 

──小西准教授は、山梨県早川町の奈良田方言の研究をしています。きっかけは

 

 大学のゼミで1998年に調査に行って興味を持ち、ゼミが終わった後も1人で調査に行くようになったのが最初です。一度研究が途切れていましたが、2016年に国立国語研究所で危機言語・方言のプロジェクトが始まり、奈良田方言は今記述しなければ間に合わないということで研究を再開しました。

 

 98年当時から、奈良田方言は山梨県の他の方言とは違うアクセントの特徴を持っているということで方言研究者の間で有名でした。山梨県の方言は一般的に東京方言と同じようなアクセント体系を持っていますが、奈良田方言ではそうではありません。例えば、「飴(あめ)が」は東京では「低高高」となるところ、奈良田では「高低低」となります。「雨が」は奈良田では「低高低」となります。また、サ行の音が[θ](英語thingのthの音)、ザ行の音が[ð](英語thatのthの音)で発音されることがあります。その後の研究で、文法面でも県内の他の方言と異なる特徴を持つことが分かってきました。

 

──そのほかの方言の面白いところは

 

 東京の口語では目的語を表す助詞「を」は省略できます。「が」も「雨降ってる」などの場合は省略できますが、「太郎が本読んでる」などの場合は「が」の省略は不自然です。しかし富山方言の場合、「太郎本読んどる」が一番自然になります。このように、「が」や「を」を省略できるかどうかには方言差があることが分かっていて、主語が生き物か否かや、動詞とどれだけ離れているかが省略の可否に影響する方言もあります。

 

 また、能力によって可能になっているのか、状況によって可能になっているのかによって可能を表す表現が二つに分かれている方言が西日本や東北に見られます。例えば福岡の方言には「(ここは遊泳禁止ではないので)泳げる」と「(泳ぐ能力があるので)泳げる」を別の形式で表すものがあり、後者は「泳ぎきる」と言います。東北の方言には、前者のような可能を「泳ぐのにいい」にあたる形式で表すものがあります。

 

「記録に残るのを喜んでもらえる」フィールドワークの苦労と楽しさ

 

──方言に興味を持ったきっかけは

 

 もともと日本語の歴史に興味があったのですが、当初は方言には関心がありませんでした。ですが、大学の教養科目の授業で私の母方言である富山方言のアクセントが取り上げられ、自分が何気なく使っていた言葉に学術的な意味があることを知り驚きました。その授業の先生が最終的に指導教員になり、初めて奈良田方言の調査に行ったのもその先生のゼミでした。それが今につながっています。教養科目の授業も侮れないなと思いますね。

 

──実際に研究していて苦労することはありますか

 

 方言研究に特徴的なことなのですが、調査に協力してくれる方がなかなか見つからないのが一番大変なところです。自分の力ではどうにもならないことなのが厳しいですね。

 

 また、ある文法について知りたいとき、標準語の文を訳してもらうことが多いのですが、こちらの質問が悪く、翻訳がうまくいかずに苦労することもあります。

 

──翻訳がうまくいかないときはどうするのですか

 

 例えば共通語の文を方言に訳してもらうとき、うまくいかなければ、その地域の方が想定しやすい文脈や文にするなどします。学生に翻訳課題の文を作ってもらうと、高年層が想定しにくいような文を作ってくるんですね。「学校に遅刻した」などです。そうではなく、どんな属性の方でも想定しやすく、しかも自分が知りたいことを確かめられるような文にします。

 

 フィールドワークの工夫は他にもあります。同じようなことを繰り返していると協力者が飽きてくるので、翻訳式の質問をある程度したら途中でロールプレイ形式にしたり、基礎語彙(ごい)の調査にしたりします。日常生活で使う道具の名前を教えていただいて、それを使って文を自由に作っていただいたりすると、生活のことも知ることができるのでこちらとしても面白いです。

 

 翻訳式の質問だと、ある種答え合わせのようになってしまい、「自分の訳は間違っているかもしれない」と思ってしまう協力者の方もいらっしゃいます。そのように感じさせない工夫はしています。

 

 言語にはいろいろな異なる側面があるので、その側面のうちどれかを知ることだけに目的がある研究も多いです。そのような場合はその側面だけを引き出すことに努力すればいいのですが、私が今行っている研究では、奈良田方言全体を記述するのが目標です。そのため、こうした工夫をしています。

 

──伝統的な方言の話者は高齢化しています。今後調査協力者を見つけるのがますます困難になるのでは

 

 何を調査対象とするかによると思います。若い世代の言葉においても保持されている特徴を研究する人もいます。ですが、奈良田の方言はすでに80代以上の方しか話せなくなっており、厳しい状況です。

 

──研究で楽しいことは

 

 月並みになりますが、研究を進めるうちに自分が知らない方言や母方言の仕組みが分かってきたり、言語変化が説明できるようになってきたりするのが楽しいです。方言調査の協力者は高齢の方であることが多いのですが、調査のとき雑談として方言以外のことをお聞きできるのも楽しいです。

 

 自分の研究成果が表に出たときや、協力者ご本人や家族の方々が自分たちの言葉が記録に残ることを喜んでくださったときはうれしくなります。

 

言葉の違いの起源を解明 方言研究の意義

 

──方言を研究する意義とは

 

 日本語の方言を研究することは、日本語の標準語やその他の「~語」と呼ばれる言語を研究することと変わりありません。「方言か言語か」というのは社会的な認識の問題でしかなく、方言と言われるものでも言葉としての仕組みを持っています。

 

 日本語族(日本語と、奄美諸島以南で話され琉球方言と呼ばれることもある琉球諸語を合わせて言う名称)の地域言語や方言に限定して言うと、皆祖先が同じ言語なので日本語の標準語と共通する部分は当然多いのですが、やはり違った言葉です。その違いがどのように生じたのかという問いを、過去の中央語(その国の政治や文化の中心地で使われる言葉)で書かれた文献とも照らし合わせながら研究できるのが大きな意義だと思います。

 

──方言研究は国語学全体においてどのような位置づけにありますか

 

 国語学にあたる学問が近代に成立したときから、中心的な位置の一角を占めていました。当時の方言研究には標準語を制定するための研究だという意識もありましたが、それは建前で、方言研究自体を目的にしている研究者も多かっただろうと思います。

 

──「言語」か「方言」か、といった議論があります

 

 言語とみなすのか方言とみなすのか、というのは歴史的な経緯に基づく社会認識の問題であって、言語学的にどちらなのか追究する意味はないのではないかと。そのような認識の研究者が一般的だと思います。

 

 ヨーロッパでは「方言」という捉え方自体が不適切なものだと思われるようになり、学術用語として「方言」を使わないようになってきています。日本でも、今方言と言われているものを全て「言語」と呼び、その中にまた小さな地域的な言語があるという捉え方をしてもあまり困らないのではないかと思います。

 

方言消滅は「人間の財産の損失」 地域方言は均質化しつつある

 

──方言を保存する意義や目的は

 

 答えるのが難しい重大な問いです。方言であっても言語であっても、ある言語体系が失われてしまったらそれがどのようなものであったか知る材料が減ってしまうというのが一つの答えなのですが、これは言語研究者の視点ですよね。もう一つのより一般的な答えとしては、言語は地域や共同体の中で継承されてきた文化の一つで、それが失われることは人間の財産の損失だからと言うことができると思います。ですが、これも少し抽象的で、切実な答えにはなりにくいのかもしれません。

 

 消滅の危機に瀕(ひん)する言語がなぜ消滅の危機にあるのかというと、次の世代に継承されていないからですよね。その理由は、その言語は話す価値がないとされてきたからです。

 

 言語学者は、言語は全て価値が等しいと思っていて、そう思われるべきだと思っているのですが、実際問題、少数言語の話者は他の言語を習得しなければいけません。それは特定の言語に対する蔑視があるということでもあり、使用言語により経済的な不平等が生まれているということでもあります。このような状態は健全なものではないというのが重要です。言語が消滅の危機に瀕しているという状況自体が異常で、問題だと考えたらいいのかなと自分では思っています。

 

 ですから、方言の保存活動にあたっては、その方言は話す価値があるものなんだという意識を広めていくのが重要です。

 

──関西方言が根強く残っている理由は

 

 関西はもともと政治や経済や文化の中心地だったので、そこの言語ももともと高く価値づけられていたわけです。それが現代での関西方言に対する価値づけにもそのまま影響しているということだと思います。

 

──上京後に方言を使うのを控えている地方出身の学生も多いようです

 

 私が大学生の時も、方言を話さないようにしていました。自身が富山方言を低く価値づけていたからですね。通じないからではなく、恥ずかしいと思って控えていたんです。今でも地元以外の人と方言で話すのは難しくて、それは方言を低く価値づけているからというよりは、同じ言葉を話していないと話せないという感覚なんですよね。

 

 ですが、少なくとも十分に通じるのであれば方言を使うことは全く問題ありません。細かいところが通じなくても文脈から分かるので。使うのを恥ずかしいと思う必要もないと思います。

 

──方言が完全に消滅することはありえるのでしょうか

 

 全体としてはどんどん方言が標準語化あるいは東京方言化して均質になってきています。言語研究者にはそれをよしとせずに活動している人が多いでしょう。ただ、完全になくなるということはおそらくないと思います。

 

 言語はコミュニケーションの道具であると同時に、自分のアイデンティティを示したり、他者との関係を間接的に表示したりするものでもあります。日本語には敬語がありますし、敬語にあたるものがない言語であっても、話す相手によって同じ内容でも言い方を変えるということは普遍的に見られます。それを考えると、密にコミュニケーションをする集団の中で言語が似てきて、別の集団とは違った言語になるということは自然に起こります。

 

 このままだと、限りなく均質にはなっていくのでしょうが、完全に均質にはならないと思います。ただその差は地域差ではなくなり、社会差だけになるかもしれません。地域方言の保存にコストをかけなければ、最終的にはそうなるのではないでしょうか。

 

小西いずみ(こにし・いずみ)准教授(東京大学大学院人文社会系研究科)/08年東北大学大学院博士課程修了。博士(文学)。広島大学准教授を経て、20年より現職。

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