『東京大学新聞』は今号で創刊3000号の節目を迎える。2000〜01年に編集長を務め、現在は朝日新聞で記者として働く高重治香さんと、21〜22年編集長の鈴木茉衣(文・4年)、現在編集長を務める本田舞花(文III・2年)を交え、東大新聞の編集部の変遷や今後について語る座談会を行った。(構成・高橋柚帆、司会・撮影・金井貴広)
参加者
高重治香さん 2002年東大法学部卒。04年東大大学院学際情報学府修士課程修了。00年〜01年に東大新聞編集長を務めた。初の女性編集長。東大卒業後は朝日新聞で記者として働く。東大学際情報学府博士課程に在籍している。
鈴木茉衣(文・4年)20年東大新聞入部。21年7月より1年間編集長を務めた。2人目の女性編集長。今春より新聞社に勤務する。
本田舞花(文III・2年)22年東大新聞入部。23年7月より編集長を務める。3人目の女性編集長。
東大新聞編集部の今・昔
──東大新聞に入部した経緯を教えてください
高重:地方の出身で、当時はインターネットも充実していなくて、高校時代は東大の情報もあまり持っていませんでした。夏休みに東大を訪れた際、東大新聞が毎年販売している東大受験情報本(現『東大を選ぶ20XX』)を買って読んで、面白そうなサークルだと興味を持って。高校時代も学生新聞を作っていたこともあり、入部を決めました。
鈴木:中高では演劇部で裏方と役者を両方していたのですが、大学ではもっと社会課題と関わりを持ちながら何を表現できるような活動がしたいと思っていました。文章を書くことも好きだったので、いくつかサークルを見学して東大新聞に決めました。
本田:私は高校時代美術部で人物画を好んで書いていました。相手をよく観察して、その魅力を最大限伝えられるような絵を描きたくて。それが新聞のインタビューにも似ていると感じたことや、100年という東大新聞の長い歴史も魅力的だったこともあり、入部を決めました。
──三者三様ですね。現在月刊の『東京大学新聞』は、20年度まで週刊でしたが、高重さんが在籍していた当時、どのように活動していたのでしょうか
高重:今は2年生が編集長をするのですね。私の頃は3年生の7月から4年生の6月まで編集長をしていました。
本田:就活の時期と重なって大変そうですね。
高重:私は法学部で卒論がなく、大学院に進学するつもりで就活はしていませんでしたが、私の少し前の代までは編集長をすると留年する人が多かったです(笑)。
本田:学業との両立は大変でしたか?
高重:週刊だったので作業が多かったです。法学部の授業に出てはいたのですが、試験前に一夜漬けしてなんとか単位を取るようなことが多かったですね。
──当時の東大新聞の女性部員は何人ほどでしたか
高重:たまに顔を出す程度の人も含め部員40人前後に対して、女性部員は10人程度。20%台ですかね。
本田:現在は精力的に活動している1〜3年の部員45人程度のうち女性は20人なので、5割近くまで増えつつあります。
高重:当時は女性比率が低いことへの問題意識はありませんでした。同期の女性で、現在同じ朝日新聞に勤めている友達もいます。私が朝日新聞を受けたのは先に入った彼女に勧められたからでした。
本田:今でも東大新聞の方とつながりがあるんですね。
高重:他にも二つサークルに入っていたけれど、東大新聞が一番ホームと感じられる場所でした。決してお行儀が良いわけじゃなく言ってしまえば猥雑(わいざつ)、でもだからこそいろんなタイプの人が雑居できる雰囲気で。それぞれが興味のあることを深掘りしていく空気感が好きでした。今はどういう雰囲気でしょうか?
本田:コロナ禍を経てハイブリッドで編集会議をやるようになったからか、猥雑さはないですかね(笑)。話してみると個性的な人は多いですが。
──当時は週に何回くらい部室で作業していましたか
高重:編集長になってからは毎日行っていましたね。作業も多いし、部室は部員の溜まり場になっていました。
本田:今は、週2回部室に来る人で多い方ですね。メインで記事を書くのは1、2年生ですが、駒場Iキャンパスに主に通っているのでオンライン参加が多いです。
鈴木:私が入学した20年はオンライン活動しか認められておらず、紙面の入稿作業も全部オンラインで進めました。もし対面での活動が主だったら、確かに少し馴染みづらさを感じていた可能性はあります。オンラインになったことで、良くも悪くもきれいな面が見えて馴染みやすくなったのはあるかもしれません。
高重:私もコロナ以降は週に1回ほどしか出社していなくて。以前は、対面の会議で他の出席者がほとんど先輩の男性だったりすると、発言しにくいこともあったのですが、オンラインだとよりフラットに意見が言いやすいと感じます。
女性編集長として、当事者目線での記事発信
──女性編集長として苦労したことや意識的に取り組んだことはありますか。高重さんは東大新聞で初の女性編集長でしたね
高重:当時は今ほどジェンダー意識が高くない時代で、女性初とは自分も周囲もあまり気にしていませんでした。でも、あとから振り返ると女性だから精力的に取り組んだと思う記事はあります。例えば、東大で2000年に起こった女子トイレの盗撮事件とのぞき事件に関する記事です。盗撮事件では、自分も撮られたかもしれないという当事者意識があり、学内の噂を端緒に、取材して記事化しました。その後のぞきの事件があった時には、のぞきをした学生の学部名を記事に出したことで、加害者にも人権があると大学側から抗議されました。事件の調査をしていたその学部の教員がほとんど男性だったこともあり、被害が軽視されて対応が曖昧にされないよう、学部名を出して監視する必要があるというのが、当時の意図でした。
──鈴木さんはいかがでしょうか
鈴木:私の代はコロナ禍だったこともあり、編集長候補者が少なくて。私以前にしばらく女性が編集長になっていなかったのは、女性が編集長になりにくい雰囲気があったというよりも、女性部員自体の少なさなどが理由だと思います。
高重:でも、私が2016年ごろに当時の東大新聞部員と交流した際「女性も編集長になれたんですね」と驚かれたので、女性が編集長になりづらい雰囲気は少なからずあったと思いますよ。先例を作った点で、鈴木さんが編集長になった意義は大きいと思います。朝日新聞でも、上のポジションに就く女性の数は目に見えて増えてきました。1人だけだと「女性枠」だとかその人が優秀なんだとか思われることになりがちですが、複数いると女性がそのポストに就くことが当たり前になります。
本田:私が入部した時の編集長が鈴木さんでしたし、私の同期は7割が女性で、その居心地の良さも、自分が今編集長をしていることにつながっていると思います。私は、誰にとっても居心地の良いサークルの雰囲気作りを意識しています。女性だけでなく、例えば関東圏外出身で長期休みに帰省する人など、活動に参加する障壁を感じている人は多いと思うんです。オンライン化が進んだことで実家からの会議参加も可能になりました。コロナ禍で生じた変化のうち、良かったものは今後も引き継ぎたいです。
──鈴木さんは、ミス・ミスターコン検証企画など、ジェンダー関連の記事を多く書いてきました。その際意識していることはありますか
鈴木:記事執筆の動機は、編集長や女性という立場とはそこまで関係がなく、単純に興味があったからです。ジェンダー関連記事を書く時は、特定の価値観を押し付ける「お説教」記事は嫌なので、あえていろいろな立場の人に取材し、それぞれの主張を検証しました。そうすることで、読者がそれらの主張の妥当性を自身の頭で考える手助けになる記事を目指したつもりです。
高重:現代社会は、ジェンダーについて反対の意見を持つ人同士で和やかに話をするのは難しい状況にあります。例えばミスコンの記事の場合、ミスコン主催者側にも話を聞いて彼らの考えを記事で伝えるのは、学生同士だから本音で話しやすい面もあるでしょうし、学生メディアの意義の一つだと思います。東大生がジェンダーに関する問題をどう考えているか発信することは、社会的にも意義がありますよね。
本田:最近では、駒場Iキャンパスのトイレに無料で生理用品が設置されたニュースや本郷保健センターに女性診療科が開設されたニュースがありましたが、これらの記事に対して男性と女性では感じ方が全く異なると思うんです。のぞき事件やミスコンを巡る問題など、特にややマイノリティー的側面がある情報に関しては、当事者である女性が発信する意味があると思います。
鈴木:一方で、難しいところですが、私がジェンダー関連記事を多く書いていたことで、下の代の部員に、女性だからジェンダー関連の記事を書かないといけないとか、ジェンダー関連の記事は女性の担当だとかは思ってほしくはないですね。
高重:一般メディアでは、オンライン化によってジェンダー関連記事はよく読まれることが可視化され、それが後押しになり書きやすくなった側面はあると思います。昔は、社会でジェンダー問題に取り組む女性に対して「望ましい女性」の規範から外れていると馬鹿にするような雰囲気があったと感じます。情けないことですが私もそれをふりはらう勇気がなく、ジェンダー関連記事に積極的に取り組むようになったのは、10年前に結婚してからでした。会社内でも、ちょうどその頃から、男女差別やジェンダーをテーマにした企画が増えていきました。最初は問題意識を持った有志の同僚たちが動いていましたが、徐々に社内でも定着していって。くわえて、人物紹介欄の「ひと」で「年間を通じて男女どちらの性も40%を下回らない」などと数値目標が掲げられ、意識的に女性に取材をするようになりました。目立つ場所にはいないかもしれないけど、耳を傾けるべき知見や経験を持つ女性はたくさんいます。
本田:私は東大新聞の巻頭インタビューの男女比が1対1になることを目指しています。東大新聞購読者には、東大生だけでなく受験生やその家族も多いので、東大には多様な素晴らしい人がいるというイメージを持ってほしくて。
高重:東大のコミュニティーには男性が多いので、1対1にするのは大変ですよね。素敵な努力だと思います。
──東大の学部学生の女性比率が21.0%(23年11月時点)に留まっていることは東大内外でよく問題視されています
高重:東大に行きたいのに足を引っ張られている女性の足かせをはずすことは必要だし、東大にとっては女性が増える意味は大きいと思います。一方で、東大一極集中でなく、さまざまな地域や場所に力のある女性がいることも大切だと思います。私の場合、高校生の時に、男の先生から女だからと馬鹿にされたことが、文Iを目指した動機の一つでした。実際仕事でも、東大卒だから女性でも邪険にされにくかったんだろうと感じることも若い頃はありました。でも、そのように「東大卒」の肩書きを使う必要のない社会になると良いなと思います。同時に、その肩書にまだ何か力があるなら、新入生の方はその力を自分以外の誰かのためにも使ってほしいです。
──高重さんは現在、東大大学院学際情報学府の博士課程に在籍していますが、現在の東大についてどう感じますか
高重:駒場で「ジェンダーを考える」という授業を聴講した時、受講者が思ったより少なく驚きました。10代20代の方はもっとジェンダーの問題に興味があると思っていたので。さまざまな研究科や現場の先生がオムニバスで講義をする贅沢(ぜいたく)な授業だったのでもったいないと感じました。ジェンダーに関する知識は、今の社会を生きる上で非常に重要かつ基本的なリテラシーなので、ジェンダーの授業は必修にしても良いのではと思います。
今後の東大新聞はどうあるべき? 学生メディアとして求められること
──ネットメディアの発達により新聞を取り巻く環境は大きく変わっています。我々は「東大新聞オンライン」というオンラインメディアも運用していますが、今後組織として東大新聞はどうしていくべきでしょうか
本田:東大新聞は、東大生による東大にフォーカスしたメディアなので、その点で特異な面があると思います。進学や就職など実用的な情報もあれば娯楽など文化的な情報もあり。一方で、高重さんが所属していた時よりも学内メディアとしての存在感は相対的に小さくなっていると思うので、もう少し東大生に働きかけるメディアになっていけたらと考えます。
鈴木:コロナ禍でオンライン活動が増えたことも東大内での認知度低下の原因の一つなので、元に戻すのは大変だと思います。ですが、幅広い情報を扱った信頼できるメディアが学内に存在する意義は大きいと思うので、これからも頑張ってほしいです。
高重:現在も紙面を発行する狙いは何でしょう?
本田:オンラインでは一つ一つの記事が独立した形になりますが、紙面では「受験生特集号」や「就職特集号」のように、号ごとのテーマに沿ってまとまった情報を届けられる点が魅力だと考えています。
鈴木:地方出身の東大生の保護者が東大の様子を知るために定期購読してくださることもあります。
本田:しかし、東大生はやはりオンラインで記事にアクセスする場合が多く、紙面そのものが東大生のためのメディアの役割を担うのは難しくなっていますね。
高重:紙面とオンラインで発信する内容をうまくすみ分けすると良いかもしれませんね。オンラインは外部の人も気軽に読めるので慎重になる側面がありますが、紙面は東大生の保護者や卒業生など東大関係者が読むことが多いと思います。紙面は、東大生や東大当局に取材して深掘りした東大の「今」を、東大への関心が深い関係者向けに発信する、と位置付けることもできるかもしれません。
──東大新聞での経験が今の仕事に役立っている場面はありますか
高重:新聞は学生時代に経験したので就職は他の業界にするつもりでしたが、内定をくれた朝日新聞社に入社しました。インタビューをして記事を書くという流れは、学生時代の東大新聞での活動と同じことを変わらずやっていますね。1周回って新聞を作るって良い仕事だと最近感じます。子育てでも政治でも、生きていく中で抱いた疑問を、記事を通して問題提起できるので。はっきりそう思えるまでに20年かかっているんですけどね(笑)
──3000号の節目を迎える東大新聞にメッセージをお願いします
高重:SNSが発達しメディアが多様化した中で新聞の影響力は相対的に下がっていますが、これだけ情報が錯綜(さくそう)している今だからこそ、きちんと取材をして信頼できる情報を提供する価値は高まっていると思います。学生メディアだからこそ当事者に聞ける話もありますし、いろんな立場からの意見のぶつかり合いも見せられる記事を今後も届けてほしいです。
【記事修正】2024年4月15日午後6時39分 一部削除しました。