科学研究、生産技術、医療に欠かせない「ヘリウム」の価格高騰の影響を調査する本企画。今回は大型低温重力波望遠鏡「KAGRA」(岐阜県飛騨市)の低温技術を開発している木村誠宏准教授(東大宇宙線研究所)に、KAGRAとヘリウムの関わりについて話を聞いた。(取材・上田朔)
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光・真空・低温技術の結晶、KAGRA
アインシュタインの一般相対性理論では、質量を持った物体が存在すると、その周囲には時空のゆがみが生じると考えられている。もしその物体が運動したら、時空のゆがみが「重力波」として空間を伝わってゆく。宇宙線研究所らが建設した望遠鏡「KAGRA」は、超新星爆発などの天体現象が起きたときに発生する重力波を検出するための装置だ。
KAGRA以前に国内外で開発されてきたレーザー干渉計型の重力波検出器はマイケルソン干渉計(図)によるものだった。マイケルソン干渉計は2本の腕を持ち、交差点(ビームスプリッタ)で2本に分かれたレーザー光が腕の先で反射して戻ってくる。重力波が干渉計を通過すると腕の長さがわずかに変わるために2本のレーザー光の干渉の具合が変わり、重力波の信号が検出できるという仕組みだ。
既に100近い重力波の検出が欧米から報告されているが、これらをマイケルソン干渉計でとらえようとすると腕の長さは100km以上にする必要がある。予算、土地確保の点から困難であるので、KAGRAではマイケルソン干渉計の腕を合わせ鏡の構造(ファブリーペロー型光共振器)に置き換えている。鏡と鏡の間の距離は3kmだが、鏡の間を光が往復することで実効的な腕の長さを長くできるのだ。
感度を高めるため、KAGRAでは、高い反射率実現のために反射膜を施したサファイア製のミラーを使用している。さらに、空気の屈折率揺らぎによる雑音を防ぐためレーザー光が通る管(ダクト)の中を真空にしている。
このようにレーザー干渉計の感度を高めても、今度は地面の揺れなどのさまざまなノイズが重力波の観測を妨げる要因になる。地面の揺れを軽減するためにKAGRAは旧神岡鉱山の地表から200m以上の深さにある地下トンネルに施設を設置している。加えて、鏡が常温だと鏡が熱で振動しているためにノイズが発生する。このノイズも取り除く必要があるため、KAGRAではサファイア鏡を約20K(-253℃)まで冷却している。重力波を観測するには、光・真空・低温の専門家が協働する必要があるのだ。
ヘリウムで微小な穴を探す
サファイア鏡を20Kまで冷やすにはもちろんヘリウムが必要だが、液体ヘリウムで冷却しているわけではない。液体ヘリウムの流動によって発生する揺れを取り除くのが困難だからだと木村准教授は説明する。「加えて、地下トンネルの中で液体ヘリウムがトンネル内に漏えいすれば周囲の人が窒息する危険もあります」。KAGRAでは気体のヘリウムが入った小型の冷凍機と鏡の間を、熱を伝えるワイヤーでつなぐことで鏡を冷却している。やわらかいワイヤーを使うことで冷凍機の振動が鏡に伝わらないようにしているのだ。
冷凍機の中には大気圧換算で約750Lのヘリウムガスが充塡(じゅうてん)されている。このヘリウムを完全に閉じ込めればヘリウムを冷凍機につぎ足す必要はないはずだが、実際には少しずつヘリウムは漏れる。そのため、冷凍機には半年から1年に一回、1リットル前後のヘリウムガスをつぎ足しているという。
ヘリウムは、真空状態のダクトに穴が開いていないかどうかを検査するときにも必要になる。ヘリウムガスや水素ガスの分子はとても小さいため、微小な穴の中にも入っていきやすい。なお、水素ガスは取扱が難しいためこのような検査には使わない。「ヘリウムガスを用いた漏れ検査は精密機械の生産の現場でもよく行われています」
KAGRAは液体ヘリウムを使う実験装置のように大量のヘリウムを使用しているわけではないが、近年のヘリウム危機の影響は確かに受けていると木村准教授は話す。「物流の停滞や国際情勢、円安などの影響を受けて輸入品であるヘリウムの価格は高騰してきました」。現在は特にヘリウムが手に入りにくくなっているため、注文時にはかなり前もって業者に連絡しておく必要があると話す。
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