PROFESSOR

2025年1月27日

記者は真偽を嗅ぎ分ける「情報のソムリエ」再考する新聞の役割 林香里教授インタビュー

 

 電車を見渡しても新聞を折り畳んで読んでいる人は数少ない。スマホに映るニュース画面に視線を移す人を横目に新聞の未来を思いあぐねる。近年の急激なAIの発展など、日々変わりゆく社会の中で、新聞、そしてジャーナリズムの今後はどうなるのだろうか。ジャーナリズム研究を専門とし、21年からは理事・副学長も務める林香里教授(東大大学院情報学環)に話を聞いた。(取材・丹羽美貴、撮影・園田寛志郎)

 

林香里(はやし・かおり)教授(理事・副学長(国際、D&I担当)、東京大学大学院情報学環)/88〜91年ロイター通信東京支局で記者として勤務。97年東大大学院人文社会系研究科博士課程退学。博士(社会情報学)。東大大学院情報学環准教授などを経て09年より同教授。21年4月より理事・副学長。専門はメディア、ジャーナリズム研究。

 

新聞は変革の時 従来の役割にとらわれるな

 

──通信社での記者経験を経て研究者になりました。これまでのジャーナリズムの変遷や現在の問題意識を教えてください

 まず、昔のジャーナリズムは完全に更新されていると思います。テレビや新聞の背後にそびえるネットのプラットフォームの癖を考えないで、正しい情報さえ提供していれば良いという時代は終わりました。その考えをまずは改め、読み手を意識した情報の提供方法、編集の仕方、さらには記事の書き方を考えていかなければならないと思います。深夜の記事の締め切りや限られた紙面の枠を気にして情報を伝えるという新聞社従来の「お作法」は無用になってきているわけです。ジャーナリズムも時代の変遷と無関係ではいられないでしょう。

 

──従来の役割を超えてこれから新聞が負うべき役割とは何でしょう

 電車の中で新聞を折り畳んで読んでいる人はほとんど見かけなくなりました。スマートフォンから情報を得ている人が多いのではないでしょうか。もちろん、提供する情報のクオリティーを譲歩すべきではありませんが、こうした情報の受け取り方を前提にした情報発信に切り替えていくべきだと思います。

 

──近年では若者の「新聞離れ」がうたわれていますが、その点についてはどう考えていますか

 東大に赴任してからしばらくは、私も自分のゼミで教えていた学生に紙の新聞を読むように勧めていました。でも、実際それは現実的ではなくなってきています。2021年の情報通信白書によれば、平日の新聞閲読時間は10代で平均1.4分、20代で1.7分。読まない若者をけしからんと言うのではなく、メディアの側もどうすればそうした世代に良質な情報を読んでもらえるのかを考えなくてはならない、そんな時代に入ったのではないでしょうか。メディア自身も試行錯誤しているものの、なかなかうまくいかないという状況だと思います。

 

──紙面でもオンラインでも文章で良質な情報を伝える、という側面では変わりがないようにも思えますが、二者はどのように異なるのでしょうか

 私自身、日本の新聞にコラムを書くことがありますが、紙媒体だと、紙面の枠が限られているせいで字数合わせに非常に苦労します。他の記者さんたちも、指定の字数にこだわって最後の一行を完璧に埋めるといった作業に多くの労力が割かれている。米国やヨーロッパの新聞は次の面にまたがった記事や文字数の長い記事もあり、日本ほど厳格に字数を気にしない。日本では、伝統的な新聞社内部の権力関係が紙面編成にも影響し、「面割」が既得権益化してきた部分があります。

 

 その一方でオンラインだとそうしたこれまでの制約が全て取っ払われるのです。記事の締め切りや分量を柔軟に変更することもでき、公開後の文面の修正が比較的安易に可能になることで、細かな助詞の表現などに時間を過大に割く必要もなくなります。次の時代のジャーナリズムを考えるには企業に余力が必要ですから、まずは労力をかける部分がオンラインと紙面で大きく異なることを意識する必要があります。現在の新聞社は紙面とオンラインの両方を手がけていますが、新聞の発行部数も減少し財源確保も難航する中で、この相異なる方針を両立することは難しくなっていると思います。

 

 

AIの新風が吹き込む時代 問われる記者の力

 

──AIの発展が目覚ましく、今後新聞業界にもAIが参入していくことが予想されます。AIが記者となった場合、人間の記者との協働の可能性について教えてください

 日本の新聞社がこだわってきた字数調整や見出し作成などはAIで代替できる部分が多い。けれども、物事の真相にどう到達するか、読ませる記事とは何か、時流に応じた特集をどう組むか、といったことを考えるのはAIにはできない。それはAIが存在する以前から大切にされてきたことですが、AIが登場し、共存が求められる現代だからこそ、記者の取材力、筆力、編集力が一層重要視される時代になると思っています。

 

──記者の力がより一層試される時代になっているということですね。その一方でAIの時代の報道記者の育成には課題もあるように思いますが、いかがでしょうか

 そうですね。いろいろありますが、オンラインでニュースが読まれる時代、「オンラインの癖」を理解するスキルは重要だと思います。アテンション・エコノミーと言われますが、読者の注意力をどれだけ集めたかが、PV数(ウェブサイト内の特定のページが閲覧された回数)となって分かる時代で、それがお金に還元されるというのが現実です。これからの時代はAIやオンラインのメリットやデメリットを俯瞰して考え、AIが生成する文章や語彙の特徴も理解した上で、どう主体的に活用するか、自分で判断できる記者が重要だと感じます。

 

──先ほどPV数についての話もありました。PV数を稼ぐことができる記事と読者に伝えるべき重要な情報を盛り込んだ良い記事の作成との間でのジレンマに記者が置かれているようにも思うのですが、その点はいかがでしょうか

 オールドメディアの発想では、PV数と「良い記事」を二項対立的に捉えてしまいがちです。けれども、いささか楽観的に受け止められるかもしれませんが、「PV数を稼ぐことのできる良い記事」というのも存在すると私は考えています。もちろん、ろくに取材もせずに書いたセンセーショナルな記事がPVを集めてしまうこともよくあります。また、人々の怒りや感情が湧き上がる記事、意外性を狙ったフェイクニュースなどの方がシェアされやすいという研究もあります。ですが、良い記事で読者が感情を揺さぶられたり他者に共有したくなったりすることもあるはずです。

 

 「アテンション・エコノミーが作動し、フェイクニュースが多いのがネットだ」という決めつけばかりしていては、ネットニュースが育たない。ネットか新聞かという二者択一的な考え方自体が古いのではないかと。オンラインからの情報取得が主流になっているいま、記者として情報を送り出す側は、どうしたら読まれるのかという意識をしっかりと持ち、かつ、良質で正確な記事を書くという、両方を常に念頭に置く必要があります。

 

 かつて「新聞紙」を売っていた時代は、朝刊・夕刊をセットで買ってもらおうという姿勢だったわけです。そのような時代では、販売「部数」重視で、個別記事の中身を読んでもらえるかどうかは二の次だった。また、たとえ読者が個別記事の内容が分からなくても、「こっちが重要って言ってるんだから、つべこべ言わずについてこい」という雰囲気でした。でも現代は、オンラインで読者の興味関心がすべてデータとして可視化されるわけです。それは必ずしも悪いことではなくて、新聞にとって昔から課題だった「報道は社会に何を問題提起していくか」を、記者も編集者もより一層真剣に考えなければならない時代になったと捉えるべきだと思いますね。

 

──AIを使うことで人間の業務をより効率化することが可能になります。一方で、以前「市民がきちんとした情報を基に、自分たちで良き社会を作っていくことが民主主義の基本だ」と東京大学新聞社の取材に対して答えていますが、AIが参入することによって民主主義が混乱する可能性はあるのでしょうか

 混乱が起こる可能性は否定できません。ただ、考えるべきはAI技術そのものではなく、「誰が」「どのように」AIを使うのか、という利用の部分についてです。例えば、記者が記事をAIに全て書かせて内容の確認もしないとなると情報の質が危うくなってしまいます。

 

 プロフェッショナルな記者たちは、情報の真偽を嗅ぎ分ける「情報のソムリエ」のような存在。何が重要か、何が本物か、しっかりと見極める力がなければなりません。記者教育の場でもAIを取り入れて、その良し悪しを議論する場を設けるべきです。こういうことはやってはいけないけれど、これには使うと便利だということを学んだ上で記者になるのが理想です。20年後にはAIがある生活が当たり前になります。それまでに、そういった教育や環境整備は必要でしょう。

 

──私たちの世代が今後記者として社会に出ていくまでの数年間で、「情報のソムリエ」としての能力を備えるにはどういったことが大事になってくるのでしょうか

 そうですね。これからはテクノロジーを活用した体系的な記者教育が必要になってくるでしょう。いま、AIの使用を「ずるいこと」と思う人もいますよね。でも、AIの「癖」を理解し、どのような点がまずいのか、ブラックボックスとはどういう意味かを批判的に省察できる記者がAIを使うことはむしろ良いことでしょう。

 

 AIを「後ろめたいツール」にしてはいけません。AIを今後新聞作成において活用するとしたら、ただ単にAI使用に関するガイドラインを作成するだけではなくて、記者の間で定期的に、どこにどのようにAIを用いたのか話し合うことも非常に大切だと思いますね。

 

 また、AIを開発する側をより詳しく知る必要もあります。テック産業、そしてそこに従事する開発者に対して無批判でいるのは危険だと思います。昔から記者の役割は「権力の監視」と言われてきました。これまでの「権力」というのは主に政府だったのですが、そこにテック産業やその従事者も入ってくるのではないかと思っています。ジャーナリズムが現在の形になった19世紀は国民国家の時代で、「権力」とは政府のことでした。ただ、現代社会では「権力」というものの定義が難しくなっています。インターネットのアルゴリズムによって人々の日常的な購買行動から政治的行動までが左右されるようになった時代です。そうした潮流に鑑みると、テクノロジーも人々の行動を規定する強い権力だと言えるでしょう。単にテクノロジーの知識を付けるだけではなく、権力監視の対象として見ることも重要です。

 

──権力の監視対象の変化、という話題がありましたが、実際それに気が付いている記者はどの程度いるのでしょうか

 現代の新聞社には変化が求められています。しかし、記者は紙面の編集やオンライン媒体の運用など、目の前にある作業に追われてしまっています。支局の人員削減などもあり、現場はひっ迫している状態です。そのため、記者の教育やトレーニングを行う余裕がなくなってきました。日進月歩のテクノロジーの教育も追いつきません。また、社の上層部の年齢が高く保守的で、若手の記者が変革を求めてもそれに対して後ろ向きになってしまうのも、新聞社の改革が遅れがちな一因だと思います。

 

──新聞社は組織が巨大なだけに、変革が遅れてしまうことが考えられますが、その点についてはいかがでしょうか

 そうですね、全国紙も大変な状況ですがブロック紙や県紙も大変な状況です。日本は海外と比べても珍しい、ほとんど全ての都道府県に独立した新聞社が存在する国です。編集の独立が担保されているという意味で良いことである反面、経済合理性からすると大変です。さらに、高齢化が進んでいる地域では部数減少、オンライン版も普及しないので、まさに存続の危機にさらされています。新聞もオンラインも届かない地域ができてしまうと、情報空白地帯ができてしまうことも懸念されます。

 

 紙の新聞をほとんどの人が読んでいた時代には、新聞社はどの記事がどう読者に読まれているか、届いているか、といったことをそれほど意識していなかったのです。しかし、現代はどの記事が読者に届くのかよく吟味しないといけない時代になってきたと思います。オンラインの癖を把握して誰にどんな記事をどんな媒体でどうやって読んでもらうのかを考えて配信することが求められています。

 

 

求められる人間記者の役割

 

──近年では記者の感性や人となりなど「人格性」が目立つようになってきていると思うのですがその点はいかがでしょうか

 最近では記者が個人でSNSアカウントをもったり、発信をしたりすることも増えてきました。記者による主体的な発信によって、記者自身の生き様やものの見方に焦点が当たるようになりました。読者とコミュニケーションをとることは重要なことだとは思いますが、記者が個人的な事柄や意見を発信することによって、時に記者に対する激しい個人攻撃も起こるようになる。特に女性や外国籍などのマイノリティの属性を持った記者は攻撃対象になりやすく、仕事を続けるのが困難になってしまう人もいるほどです。

 

 これまでは、記者は組織の一人という位置付けだったので、批判は組織に向けられてきました。ただ、記者個人が目立つようになってくると、次第に個人に直接攻撃が届くようになってしまいます。組織はこの問題にどう対応するのか、しっかりと検討すべきだと思いますね。

 

 また、こうした時代の中で、記者の主観を完全に排するという意味での「客観的報道」は通用しなくなってきています。公平性を担保するためにバランスを取りつつも、記者の顔が見えることによって、ものの見方をある程度提示する必要が出てきました。私は、記者は「主体性をもって客観的な報道をすべき」だと思っており、記者の主観と客観性の担保は、訓練によって両立できると思っています。記者が重要だと感じたこと自体は主観によるものであったとしても、報道対象となる現象を丁寧に取材、調査し、報道することで主観的な内容ばかりの恣意的な記事にはならないと思います。

 

 ただ、先に述べたとおり、記事の書き手が攻撃対象になってしまうという課題は残ります。誹謗中傷によって記者を沈黙させてしまうことで、センシティブな内容や論争があるテーマ、例えば歴史認識問題や原子力エネルギーの利用など、報道すべき内容が報道されなくなるのではないかと懸念しています。さらに、ネット上の言論・表現をめぐる規制やガイドラインなどが整備されておらず、報道機関の力も弱く不安定なグローバルサウスの国々などでは、このような被害に対して一層脆弱です。権力者たちの情報操作が加速してポピュリズムの形成に利用されてしまう、といった例も見られます。

 

──スケールを大きくして考えてみてもさらに恐ろしい問題ですね。情報のプロでもある記者の情報を嗅ぎ分けるセンスや、「この情報を伝えなければならない」という問題意識を抱くところに人間の記者の意義を感じるのですが、どう考えていますか

 記者の仕事は、普段見えない社会現象を見せ、聞こえない声を広める。そんな仕事をして、社会をより良くしていくことです。それには人の痛みや悩みへの感受性があることが重要で、それはAIにはありません。人間の怒りや悲しみに対する気付きや共感は、人間の記者にしかできないこと。それが取材への第一歩になります。この第一歩が重要で、それをきっかけに何を取材するか、どういう調査をするかが決まっていきます。政府の淡々とした記者会見に参加しても、何かおかしいなと思える背景には、記者が豊富な背景知識とともに、たくさんの人の痛みや困りごとを知っているから。AIに文章作成はできたとしても、それはただ画面にプロンプトを入れて出力しているに過ぎない。社会に対して問題意識を抱けるのはやはり人間にしかできないことです。

 

──最後に、目まぐるしく変わる社会の中で、これからの新聞はどうあるべきなのでしょうか

 非常に難しい問題だと思います。新聞、ないしメディア全体の未来について考えると、まず紙媒体の新聞は今後限定的にしか残らなくなると思います。しかし、社会のある事象に対して疑念を持ち、それを報道して社会に問い掛けるというジャーナリズムの仕事への必要性は変わりません。記者は多くの時間をかけて自分の足で調査や取材を行います。そうした情報のプロフェッショナルの存在は今後も必要だし、そうした人を養う組織も必要です。ただ、メディア組織側が頑張るだけではなく、私たち情報を受け取る側も「情報にはカネがかかる」という情報の価値を考えていかなくてはならないと思います。良質な情報はタダで得られるものではないのです。高校の情報教育ではプログラミングが主だと聞いていますが、それ以上に情報を吟味する力、さまざまなメディアとの向き合い方など、情報化社会を生き抜くための批判的能力を養う教育も必要だと思っています。

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