書家として展覧会を開催し、書道教室を営む畠田心珠(優衣)さん。天文学者に憧れ東大に入学したが、留年を経て文学部に進学。一度は就職するも2年弱で退職し、書の本場・中国に留学した。現在は、東大大学院教育学研究科の博士課程で書道教育を研究している。書家・畠田さんの生き方と書について聞いた。(取材・松崎文香)
留年中に出会った社会学文学部で書道界を考える
──東大を目指したきっかけを教えてください
小学6年生の時に友達に誘われて、地元・山口県のプラネタリウムに行ったんです。星の光が長い時間を掛けて地球に届いていることを知り、感動して……。自分の悩みは星と比べるとちっぽけだ、などと考えながら空を眺めるようになり、天文学者になりたいと思い始めました。いざ高校生になって進学先を考えた時に、天文学を学べる大学を探して浮かんだのが東大でした。
──理Iに入学し、文学部社会学専修に進学しました
東大に入学し、駒場でいろいろな分野の授業を受けてみると「あ、文系の学問もすごく面白い」と思ってしまったんです。そこから理系の勉強に身が入らなくなり……。理Iは女子学生が少なく居心地が悪かったことや、成績があまり良くなかったことで、理学部天文学科に進学する意思が揺らいでいました。
実は、進学振り分け(当時)で進学先を選ぶ前に留年しているんです。ちゃんとした理由はなく、単に点数が足らなかったからです。東大に来るまでずっと「できる側」にいて、逆の立場に置かれるのが初めてだったのでショックでしたね。でも、いざ留年してしまうと「そういう世界」を生きるしかなくなったというか。今良い思い出かのように話しているのも、少し後付け感がありますが、自分の中ではとても大きい出来事でした。
留年によって進路選択が1年伸び、マクドナルドやコンビニでアルバイトしたり、せっかくだから教員免許を取ろうと教職の授業を受けたりしながら過ごしていました。そんな中、上野千鶴子先生の本に出会って、すごくワクワクしたんです。当たり前だと思っていることは当たり前じゃない、と思いながら物事を見つめたいと感じました。その後、先生の講義を直接聞く機会があり、生で見た先生がパワフルで話が面白くて「絶対社会学に行こう」と決めました。
──文学部ではどのようなテーマに取り組みましたか
本郷に進学するのと同時期に書道を再開したんです。書道が楽しくなってくる一方で、書道「界」は気持ち悪くも感じました。権力や「偉い人」によって、本当に良いものが良くなくなってしまっているというか……。「偉い人」は本当に偉いのか、なぜ書道界がこうなってしまったのかを考えるようになりました。フェミニズムを研究しようと上野千鶴子ゼミに入りましたが、最終的には、書道の世界を社会学的に考える研究をしていました。
あまり形にはなりませんでしたが、その時考えたことは今に生きていると思いますね。
入社2年目で退社し中国へ「全部の時間を書道に費やす人生」
──書道を始めたきっかけは
自分から始めたわけではなく、親の勧めで小学生の時書道教室に入りました。もともと字を書くのは好きで、窓が結露すると絵を描くよりは、字を書いて遊ぶ子どもでしたね。どうやったらこの平仮名が良く書けるのか、などを研究していたと思います。
──学生時代は書道とどのように関わっていましたか
小学生で書道を始めて高校生まで続けていたのですが、大学入学と同時に上京してからは休んでいました。後期課程に進学するタイミングで、所属していた運動会躰道部を辞めて時間ができたので、近所で月謝が安い教室を探して通い始めました。その教室の先生に今でも師事しています。
──教室ではどのように書を学びましたか
書道で書くのは、昔に書かれた文字なんです。書道をやるなら学ぶべき、昔に書かれた石碑の文字や手紙の文字があり、それを順番に学んでいきました。大学から通い始めた教室は、家で書いたものを持って行き、先生に見てもらうスタイルでしたね。先生から手本をもらって練習するところもあると思いますが、もう一歩進んだところに「古典」と呼ばれる書を自分で勉強する学び方があります。
──大学卒業後、一般企業に就職しました。書道を仕事にする考えはありましたか
最初から考えなかったです。別のことでお金を稼ぎながら、趣味として続けるつもりでした。ただ、東京に残って書道を続けたい気持ちがあり、東京で働くと決めました。書道をするためのお金を自分で稼ぎたいと思っていたので、大学院には進学せず、学部卒で働き始めましたね。なんとなくイベントが好きだったからか、展示会の運営をする会社に就職しました。
──社会人2年目で退社し、書の勉強をするために留学しています
仕事を終えて家に帰ってから、字を書くのがすごく楽しみになってしまって……。仕事をしているせいで書道に時間をかけられないのが嫌になったんです。全部の時間を書道に費やす人生を送ってみたいと思い、退職を決めました。人生で一度は留学に行きたかったので、入社2年目の秋から準備を始め、冬に退職して中国に留学しました。
その頃の私はすごくポジティブでしたね。バイトでもすれば、最低限食いつなげるだろうと、仕事を辞めることへの葛藤はあまりありませんでした。両親には「中国に行くことにしたので、仕事を辞めました」と事後報告でしたね。
──留学先に中国を選んだのはなぜですか
中国が書の本場だからです。中国では美術大学で書道を教えているので、有名美術大学の一つ・中国美術学院に1年間留学しました。
大学の卒業旅行で中国に2週間ほど滞在したのも理由かもしれません。「シルクロードを巡る」と掲げたツアーに参加し、上海から西安、内モンゴルと、個人では行きにくい場所を、バスや列車で旅しました。特に砂漠は印象的で、私は海の近くで育ち、上京後も東京湾が近くにあったので「海がない世界で暮らしている人がいるんだ」と新鮮に思いました。
ツアー中、朝の少ない自由時間を使って「西安碑林博物館」に行ったのも覚えています。書の大家の字が刻まれた石碑がたくさんある博物館なのですが、時間がなくて門の前までしか行けず……。絶対にもう一回来るぞ、と決意しましたね。
旅で出会った人たちが温かくて、中国って素敵なところだな、こんな旅行をもう一度一人でしたいな、と思っていました。
──留学中はどのように過ごしましたか
初めの半年で中国語を勉強して、残りの半年で書道に取り組みました。日本には半紙というサイズがありますが、中国ではそういった縛りはなく、自由なサイズの紙が売っているんです。筆も中国の方が小さいなど違いはありましたが、とにかく中国の道具でひたすら字を書いていましたね。オムニバス形式のように、複数の先生について書を学んだのですが、中国の先生にはあまり褒められませんでした(笑)。
在籍していたインターナショナルクラスには、全大陸の出身者がそろっていたんじゃないかと思うほど、世界中から美術を学びに来ていました。定年後に夫婦で留学しに来た人など、年齢もさまざまで、いろんな生き方があることを、そこで知ったのかもしれません。
──帰国後はどんな仕事をしてきましたか
企業に再就職するか迷いましたが、せっかく辞めたのにまた会社員に戻るのも違うなと思い、就職はしませんでした。私がフリーであることを知った書道関係の方から小学校の書道の非常勤講師を紹介してもらったり、知り合いの先生の助けを借りながら書道教室を始めたり、徐々に生活の基盤を作っていきました。
書家としては、展覧会に出品したり個展・グループ展を開催したりするほか、依頼があれば篆書(てんしょ)体の印鑑である篆刻の制作もしています。現在もグループ展を企画中です。
──東大の同級生など、周囲の人と自分のキャリアを比べたことはありますか
比較して落ち込んだ時期もありました。帰国後、家賃が払えたら拍手といったフリーターのような生活をしている時に、同年代の子が高級なお店でご飯を食べたり、結婚して子どもがいたりするのをSNSで見るのはつらかったです。私自身は普通の生き方をしてないし、せっかく東大に入ったのに、という思いも自分の中にあって……。Facebookを見ないようにしていた時期もありました。
最近はお仕事も少し軌道に乗って、書家としてもなんとか生活できているので、少し復活してきましたね。東大の大学院に入って、自分が考えたいことを考えられていることも、大きいのかもしれません。
書の教育への違和感から東大に再入学
──2021年に東大大学院教育学研究科教育心理学コースの修士課程に入学され、現在は博士課程に在学中です。大学院に入学した理由は何ですか
2020年2月に初の個展を開催して、これからという時にコロナ禍が始まり、何もできなくなってしまいました。いろいろと考える中で、大学院で自分のやりたいことをきちんと学べば自分の中のちょっとした自信の無さを払拭(ふっしょく)できるのでは、と思い始めました。以前から学びたい気持ちはあったのですが、時間があるコロナ禍がチャンスだと思い、2021年度入学の東大大学院入試を受験しました。
──専攻は学部時代の社会学ではなく、教育学を選んだんですね
教育にはもともと興味があって、自分が自分であるのは全て教育のおかげというか、教育のせいで今の自分が出来上がっているんだ、と大学生の頃から考えていました。今の指導教員が芸術と心理学をテーマにしていたことも、教育学を選んだ理由の一つです。
小学校や書道教室で、自分が教える立場にあることも影響しましたね。小学校で生徒の書の展示をした際に、良い作品にもかかわらず、保護者が「ちゃんと書いてない」「下手」と言う時があるんです。書に対する認識が違うな、ともやもやしました。
例えば清書という考え方にも違和感を感じます。清書だから間違わないようにきちんと書こう、という指導がありますが、私が書家として書を書く際に「これが清書だ」と思って書きはしません。山ほど書いて比べるのですが、リラックスして書いた時の方が良い作品のことも多いんです。「清書」と緊張させて書くようなものではないと感じています。
他にも「手を汚しちゃいけない」とか「墨は真っ黒になるまですらなきゃだめ」とか、あまり大事じゃないことをとても大事かのように伝えている。本当の書が見えなくなり、良いところが伝わらなくなっている気がしています。だからこそ、自分が正しいと思う形で書を伝えたい、書の大事なことを伝えられる書の教育に作り直していきたいと思い、教育学研究科に入学しました。
今は、書の教育に多様性という要素をどう組み込むべきか、組み込んだらどうなるかを研究しています。
──絵画などの他の分野の芸術と比べ、書に触れる機会は少ないように感じます。書の魅力はどんなところにありますか
書は私たちが読めるものを題材にしているので、何と書いてあるのか疑問に思ったり、どこが「整った」文字なのか理解できなかったりすると、書が分からないと感じることもあると思います。
書を、限られた1枚の紙の中を、白と黒の2色でどう構成するか考えるもの、と捉えると芸術として理解できる気がしませんか。同じ黒でも、ものすごく黒いものもあれば薄い黒もあるし、墨がたっぷり付いた筆跡もあれば、かすれているのもあるし……。限られた紙面をどう使うか、しかも同じものは決してない。こういった点に注目してもらえると、面白いのかなと思います。
──今後はどのように書に取り組んでいきますか
書道界で地位を得ていくことが書家として生きる一つの方法だと思うのですが、そうやってのし上がる人が本当にすごいのかは疑問です。今は大学院で、書の本質や、書の何を教育で伝えるべきかを考えたいと思っています。書家として名をはせて書道界でのし上がろう、みたいな気持ちはあまりなく、書ってなんだろうと自分の中で考え続けたいなと思っています。
──東大生にメッセージをお願いします
東大に通っていたのを引け目に感じて生きてきたことが多かったので、どうですかね……。私自身は自分がワクワクする方向にいつも進んできて、そういう生き方をしている人と話すと楽しく感じます。自分のワクワクを一番大事にすると、楽しい人生になるんじゃないかな。他人からすごい人だと思われるかどうかで、将来の道を選ばなくてもいいと、そう思います。