2018年の学生生活実態調査によると、東大の約8割の学生が男子で、約7割の学生は実家を東京・関東に持ち、約7割が現役で東大に合格しています。つまり、「首都圏出身・男子・現役」というのが東大の多数派といえます。一方の私は、鹿児島県の公立高校出身の女子で、1浪して昨年文科三類に入学しました。私は「地方出身・女子・浪人経験者」であり、多数派とは真逆の道を通って東大に来たといえるでしょう。そこで、「地方出身・女子・浪人経験者」という一種のマイノリティーの視点から私の東大受験について振り返ってみたいと思います。
まず、私はそもそも「東大を目指す」ことへのハードルを高く感じていました。私の出身高校で東大に合格するのは年に数人だったので、圧倒的に落ちる確率の方が高いと思い、それが怖かったのです。また、距離が遠いので入試前にキャンパスに行ったのは修学旅行の1回だけで、東大について聞ける人も身近にいませんでした。私にとって東大は常に雲の上の存在で、東大を受験して合格するというイメージが全く湧かなかったのです。「東大に挑戦してみたいけれど私なんかが受かるわけない……」という気持ちがなかなか消えず、高2の11月から3月までの約5カ月間、東大を本気で目指すかどうか悩みました。
加えて、私の地元の親世代にとって「女性が高い学歴を持つこと」は手放しで喜ばれるわけではありませんでした。もちろん全員がそうではないですし、私の親は東大受験も浪人も応援してくれました。しかし、冗談っぽく「東大女子ってモテないらしいよ」、「女の子は東大行ったら結婚できないんじゃない」と親が私に言ってきたことも事実です。東大で1年過ごし、東大の友人達のさまざまな恋愛話を聞いたり多くの魅力的な東大女子と出会ったりした今では「そんなことあるわけない」と軽く笑い飛ばせますが、最初に聞いたときには驚き「もしそうだったら嫌だな」と少し不安になりました。
しかしこのような不安要素以上に東大に行きたい気持ちが高まり、私は東大を受けました。私が東大を選んだ1番の理由としては、進学選択制度があったからです。当時、私は特にメディア論に関心があったのですが、それ以外にも心理学や数学、経済学や法律など勉強したい分野がたくさんありました。そのため、2年の前半までは専門を決めずにさまざまなジャンルの授業を受けられる東大のシステムに魅力を感じたのです。現役時は不合格となったので1年間浪人しましたが、東大以外に行きたい大学もなかったので浪人に迷いはありませんでした。また、周りに東大志望の女子が少なかったのですが、だからこそ浪人中に同じ予備校の東大志望の女子とは文理問わず皆とても仲良くなりました。予備校で一緒に浪人していた東大志望の女子は私を入れて5人だけで、全員同じ高校の同級生でした。高校時代はクラスや部活での接点が少なく、あまり面識がありませんでしたが、浪人中にクラスが同じになったり東大対策の授業などで一緒にいる機会が増えたりして、どんどん仲良くなりました。他にも予備校で知り合った他校生や先生方など、浪人中には多くの人との出会いがありました。
また、私は浪人中、自分で立てた週の学習計画に沿って1日13時間ほど勉強する毎日を送っていたのですが、そのような生活をやりきったことは今でも自信になっています。浪人生活は正直とても単調です。高校と違い自由な時間が非常に多い上に、文化祭などのイベントもありません。宿題もないため、現役時代以上に自分で考えて勉強していかなければならない大変さもありました。自分で自分を律する経験をできた浪人の1年間は、私にとって今でも貴重なものです。
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そしてここからは、文科二類1年の松山桃花さんにインタビューしていこうと思います。松山さんも鹿児島県の公立高校出身で2年間の浪人を経験しています。特に浪人時代のことについて詳しく聞きたいと思います。
━━地方から東大を目指すことについて不安はありましたか?
数は多くないですが、高校でも予備校でも周りに東大を目指す仲間がいたので、地方だからという理由で不安を感じることはほとんどありませんでした。しかし、都会の名門校には勝てるわけがない、その中でどう合格をつかむのかという思いは時々抱いていました。
━━浪人を決断したときのことを教えて下さい。
出身高校がランクを下げての現役合格より、浪人してでも第一志望への進学を勧めるスタンスで、家族も落ちた場合の浪人を了承してくれていました。現役時は東大一本で挑み、不合格だったため浪人が決まりました。合格まであと9点だったこともあり、1年浪人すれば受かると考えていたし、2度目の受験前には自分ではすごく勉強した、力がついたと思っていましたね。
━━しかし、2度目の受験でも惜しくも不合格となってしまいました。
2度目の不合格は現役時とは比べ物にならないくらい悲しかったです。後期で横浜国立大学に合格しましたが、悲しみは拭えず高校や予備校の先生に何度も相談しました。将来やりたいことをじっくり見つめ直し、留学やサークルなど横浜国立大学での大学生活プランや就職先を具体的に考えてみました。冷静に考えた結果、どの大学に行くかより大学で何をするかだと思い、横浜国立大学への進学をほぼ決心しました。
━━しかし、結果として松山さんはもう一度東大への挑戦を決めましたね。何故そのような決断に至ったのでしょうか? また、2浪を決めた際に周囲の方々はどのような反応でしたか?
横浜での家を探すなど新生活の準備を進める間、どうしても大学を楽しみに思えませんでした。1年浪人して駄目だったのにもう1年やったって結果は変わらないと思うし、1浪目の勉強を自分で否定しているみたいで2浪にそれほどの価値を見出せませんでしたが、沈む私を見て母が「あと1回受けるだけ受けたら」と提案してくれました。高校にも1人だけ2浪を勧めて下さった先生がいて、自分の気持ちを改めて考え直しました。その結果、望んでいなかった未来を選び進んでいくことへの不安からもう一度浪人することを決めました。
家族や友人、先生方に2浪する決心を伝えると、皆応援してくれました。2浪目は今までで一番たくさんの人に強く応援された1年で、本当にうれしかったです。しかし鹿児島で一部見られる男女格差の名残かもしれませんが、「女の子なんだし2浪までしなくてもいいと思う」といったことを言われたこともあり、そのときは「何で!」と悔しく思いました。そのため、あと1年頑張って合格できたら少しは地方女子みんなの後押しができるのではないかなど大きなことを考えることもありました(笑)。
━━最後に、地方から東大を目指す女子にメッセージをお願いします。
あなたの頑張っている姿が周りの人に勇気を与えているはずです! 応援してくれる人はたくさんいると思うので、自信をもって東大にチャレンジしてください! 私も地方女子の皆さんを心から応援しています!
「地方だから」、「女子の志望者が少ないから」、「現役で受かりそうにないから」という理由で東大を選ばなかった人や諦めようとしている人は少なからずいると思います。私も都会の名門校にはかなわないと何回も思いましたし、浪人中つらいこともありました。しかし「東大で学びたい」という気持ちがそれをずっと大きく上回っていたから頑張れたのだと思います。挑戦できる可能性がある限り「東大で学びたい」という気持ちを大事にし、その気持ちを信じてほしいと私は強く思います。