特撮怪獣映画『ゴジラ』シリーズの最新作『ゴジラ-1.0』(ゴジラマイナスワン)が11月3日に公開された。監督・脚本・VFXを務めるのは『永遠の0』や『STAND BY ME ドラえもん』などを手がけた山崎貴監督。本作は国内の『ゴジラ』シリーズでは30作目となり、令和初の『ゴジラ』シリーズでもある。公開日である11月3日は第一作『ゴジラ』の公開日と同日となっている。
太平洋戦争の最中、戦闘機パイロットの敷島浩一は特攻に怯んで大戸島の臨時飛行場に不時着する。そこで敷島はゴジラ(呉爾羅)と呼ばれる怪獣に遭遇する。敷島は恐怖からゴジラを撃てず、大戸島にいた整備兵のほとんどを死亡させてしまう。運良く生き延びた敷島が終戦後東京に帰ると、両親は空襲で死んでいた。同じく両親を失った大石典子と、空襲中に典子が託されたという孤児・明子に住みつかれる形で、3人は共同生活をすることになる。敷島は生活のために機雷撤去の職に就く。順調に社会復帰していくかに見えたが、一方では特攻やゴジラから逃げた罪悪感が頭から離れずにいた。そんな中、ゴジラは再び敷島の前に現れる。
本作の舞台は終戦直後の日本、第一作『ゴジラ』が公開された54年より前の時代である。ゴジラと対峙するのは、敷島ら戦争から生き残ってしまった人々だ。「死ねなかった」ことに後ろめたさを覚える彼らは、先の戦争に決着をつけるためゴジラとの戦いに臨む。ゴジラ討伐のための「海神(わだつみ)作戦」を立案した技術者の野田は、この戦いを「これからを生きるための戦い」と表現する。戦争でゼロになり、ゴジラがマイナスにした日本。彼らは絶望の象徴であるゴジラとの戦いに日本の未来を懸ける。日本はここから再始動していく。
終戦直後の話でありながら、現在にも通ずるものがあるように感じられる。むしろ、令和を生きる我々だからこそ見えてくるゴジラの姿がある。敷島たちにとってのゴジラが戦争の残滓(ざんし)なら、我々にとってはコロナ禍とその余波である。3年に及ぶ新型コロナウイルスの流行は、現代社会に大きな爪痕を残した。一旦の収束を迎えた今も、その影響は色濃く残る。こうした状況の中で、スクリーン上のゴジラは不安の象徴として妙な現実味を帯びてくる。敷島たちはゴジラに挑むことで戦争を終わらせようとした。我々も新型コロナウイルスとの戦いに決着をつけ、前へと踏み出さなくてはならない。【海】