東京都は、来年度から東京都立大学で授業料免除の対象を拡大する。授業料全額免除の対象となるには、世帯年収が約910万円未満で、生計維持者が都内に在住していることが条件となる。
それを受けて、東大でも学費減免を望む動きが出てきている。高等教育無償化プロジェクトFREE東大は10月12日、東大総長に提出するとして「都立大に続き学費減免抜本的拡充と学費値下げを求める署名」を集める運動を駒場Ⅰキャンパス内で行った。11月21日時点で、220人の署名が集まっている。請願項目として、「現行の授業料・入学金減免の対象と規模を抜本的に拡充すること」「授業料・入学金を値下げすること」「国に対して、大学予算の拡充を、東京大学として求めること」を掲げている。署名と共に集められたメッセージでは「親に仕送りをする余裕はないので、奨学金とわずかなバイト代が生活の頼りです。奨学金のことを考えると大学院に行くこともすごく躊躇(ちゅうちょ)されます。無償までいかなくとも、もう少し支援を手厚くしてほしいです」(理Ⅰ・2年)「地方出身者としては東京での生活は常に金銭の心配が付きまといます。学費免除の拡充によってより地方学生の上京へのハードルが下がり、大学の多様性向上にもつながると考えます」(理Ⅰ・2年)などと東大生の窮状と要望が伝えられた。
経済的な理由により進学や進路、課外活動の選択肢を制限される学生がいるとしたら、教育機会に不平等が生じているといえるのではないだろうか。教育の機会均等を達成するため、現行の学費制度の問題点と、学費無償化は実現し得るのかについて、専門家に取材した。(取材・井上楽々、佐竹真由子)
諸外国や過去の日本と比較現行の学費・奨学金制度とは
現行の学費制度はどのようにして作られたのか。問題点は存在するのか。諸外国や過去の日本の制度と比較することで、日本での現行の学費制度を分析するため、高等教育学、教育社会学を専門とする小林雅之教授(桜美林大学教育探究科学群)に話を聞いた。
──現在、国立大学の年間授業料は535,800円ですが、年間授業料が36,000円の時代もありました。なぜこれほどまでに高騰したのでしょうか
実は、国立大学の年間授業料は、1971年まで12,000円でした。これが、72年に36,000円となり、76年には96,000円となりました。当時、大学進学の需要増加に伴い、主に国立大学が少ない地方で、受け皿としての私立大学が量的に拡大していました。この状況下で、財務省を中心に、国立大学と私立大学で同等の授業料に移行するべきだという意見が強まりました。しかし、国家財政が厳しく、私立大学に助成して授業料を下げることは難しかったのです。そのため、国立の授業料を上げてイコールフッティングするしか方法がありませんでした。それが、国立大学の授業料が値上げした理由です。
──日本における奨学金制度は歴史上どのように構築されてきたのでしょうか
公的な奨学金は、第二次世界大戦中の1943年、大日本育英会の設立で始まり、戦後は貸与型奨学金が中心になりました。84年には、財政投融資を財源として、3%を上限とした有利子の第二種奨学金が創設され、99年に大幅に拡大されました。その理由は、バブル経済以降の低成長で、財政投融資の資金を貸し付ける先がなくなったことにあります。奨学金の貸し付けを拡大するために、学力基準と家計所得基準を大幅に緩めました。その結果、多くの人が奨学金を借りるようになった反面、返還できない人の数も増加してしまったのです。学力水準が低い人に貸し付けても、奨学金の返還に十分な所得を得られる職に就くことが難しい可能性がありました。また、教員職や研究職に就いた人を対象に奨学金返還を免除していた返還特別免除制度は、1998年に教員職、2004年に研究職で廃止され、全面的に制度廃止となりました。2004年以降、日本育英会が日本学生支援機構に変わり、奨学金の返還を免除する制度は大学院生を対象とした優秀者免除となり、院生のうち1割は全額免除、2割は半額免除となっています。また、2008年のリーマンショック時には、奨学金の取り立てが強化されました。奨学金は国民の郵便貯金を原資としているため、財務省としては、利息を付けて全額返還してもらう必要があったのです。しかし、奨学金というものはもともと返還能力が低い人に貸与するものであるため、全額は返って来ないことを念頭において制度設計しなければなりません。ここに、制度上の矛盾があると思います。
──高等教育が無償化されている国は、世界にどれほどあるのでしょうか
北欧のデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドでは完全に無償化されています。スウェーデンやフィンランドでは、私立大学も無償です。また、フランスでは、高等教育の無償について憲法で規定されており、数万円の登録料はありますが、実際に無償となっています。ドイツでは、2度目に入学する人や長期在学者を中心に学費を徴収する場合はありますが、原則無償です。完全無償ではなくても、スペインやイタリアといった南ヨーロッパでは、学費が比較的安く、学生のパートタイム労働で賄うことができます。イギリスやオーストラリア、ニュージーランドといった英連邦の国々は特殊で、学費が後払い制です。在学中は学費負担が一切存在せず、卒業後に支払うことになっています。また、アメリカは学費の多様性に富んでおり、無償に近く、学生のパートタイム労働で賄えるような大学が2種類あります。一つ目は、公立のコミュニティカレッジで、日本の短期大学や専門学校に該当します。二つ目は宗教系の学校で、宗教の性格により、学費が安くなっています。
──高等教育の学費負担の低減に成功した国はあるのでしょうか。その経緯についても教えてください
韓国が挙げられます。授業料の高騰が問題になっていた中、2011年のソウル市長選で、ソウル市立大学の学費を半額にすることを掲げていた候補が当選しました。公約は実現され、複数の大学が追随しました。
──学費の無償化や低減を成功させた国々と比較して、なぜ日本では高等教育の学費減免の拡充が進まないのでしょうか
日本にも教育の無償化を公約に掲げる政党はあります。また、2017年には、憲法改正の中に高等教育の無償化を組み込むことに安倍元首相が言及しました。このように政治的な動きがありながら、実際に政策が進まない理由は、日本の教育観にあります。「子どもの教育には親が責任を持ち、資金を払う」という考え方が強く、「自分の子どもや孫には教育費を出資するが、公共政策として教育費のために税金を出すことは望まない」という思考につながっています。複数の調査で、高等教育の無償化に賛成する人は国民の約3割であることが分かっています。高校卒業生の保護者を対象に調査しても、この結果は変わりません。国民の支持がないため実施できないというのが現状です。
──教育費のために公共政策として税金を出すことは望まないという考え方への打開策はあるのでしょうか
大学が社会の信頼を取り戻す必要があると考えます。大学やその卒業生が社会に役立っていることや、自分の子どもや孫が大学から恩恵を享受できることを実感できなければ、税金を高等教育の費用に充てることに賛同は集まらないでしょう。1960年代後半に大学に通っていた人の中には、大学生は遊びに精を出して勉学に取り組まないと考えている人も一定数います。学生数が飽和状態に達し、大学の大衆化が進む一方で、教室数が足りず、試験だけ出席する学生が存在するなど、あまり良い教育が行われていませんでした。1960年代後半から1970年代にかけて行われた学生運動を目の当たりにした世代は、大学に対する不信感をいまだに抱いている場合があります。また、学生調査で明らかになった大学生の学習時間を見ると、現在の大学生の学習時間が十分であるとも思えません。このような状況から、現在、大学が社会の信頼を十分に得られていないのです。
──日本において所得階層間での教育機会の格差を是正するために、有効な打開策はあるのでしょうか
大学進学者が、高校を卒業後すぐ働き始めれば得られた所得を放棄所得といいます。現在高卒者の平均年収は約250万円なので、大学に4年間通う人の放棄所得は約1,000万円となります。現在の日本の財政では、放棄所得や生活費まで補償することは難しいため、大学進学を望んでも、諦めて働かなければいけない人たちがいます。仮に進学できたとしても、アルバイトに長時間取り組んだり、貸与型奨学金を借りたりする苦しい生活になるため、中退者が多く出ます。日本では中退者が落後者と同一視されてしまう厳しい考え方があります。2020年度に新設された修学支援新制度により、給付型奨学金の制度が開始されたものの、学生が大学に入学したら放任するのではなく、中退の防止や、卒業後の社会での活躍まで見届ける制度を設ける必要があると思います。
給付型奨学金と組み合わせて幅広く助成を
教育基本法に定められた「教育の機会均等」の本旨からも、経済状況によって高等教育を享受する可能性が狭められることには問題がある。高等教育の私費負担をより縮減するために、学費の無償化を求める声は大きいが、これにはどれほど実現可能性があるのだろうか。教育財政が専門の村上祐介教授(東大大学院教育学研究科)に、家庭の高等教育費の負担を下げるための政策について話を聞いた。
──教育費用の私費負担を減らすために、どのような政策が有効でしょうか
公的扶助の拡大は、民間の奨学金よりも大規模に支援でき、より有効です。公的扶助の方法としては、授業料の無償化、またはそれに近い状態にすることと、給付型奨学金の拡大の二つが考えられます。どちらか一方だけでなく、二つを組み合わせることも可能です。例えば、学費が高いアメリカでも、大規模な給付型奨学金によって私費負担は抑えられていることが少なくありません。その点では、授業料がある程度高額でありながら国の給付型奨学金が存在しなかった2016年以前の日本の状況は例外的といえるでしょう。
──日本において、高等教育の無償化は実現できるのでしょうか
高等教育、つまり大学の学費無償化には、年間でおおむね3兆円必要だとされています。確かにハードルは高いですが、2019〜20年に始まった幼児教育と高等教育の負担軽減には年間約1兆5000万円が費やされており、私費負担軽減政策が実現されたことを踏まえると、政治的な決断次第ではありますが、全く不可能なことではないと考えます。
──高等教育の私費負担を減らすには、授業料無償化が最善の政策だと考えますか
授業料無償化よりも、給付型奨学金を組み合わせて機会均等を保証する幅広い助成をした方が良いと思います。高等教育には授業料のみならず、自宅外通学者の家賃などさまざまな費用がかかりますが、授業料の無償化では、地域間格差などが埋められないためです。
──困窮する学生を支援するために、大学にできることは
学費減免などの「現金支給」のみならず、寮などの「現物支給」も可能です。また、民間企業との連携などによって独自で予算を獲得して給付型奨学金制度を整備することや、請願や陳情などによって政財界に学生の窮状を知らせるロビイングも求められます。
高等教育の経済的負担を下げるために、東大の学生、構成員や卒業生にもできることはあるはずです。地域間格差、経済格差への想像力を持って、それぞれにできることを通して、現状を打開していけると良いと思います。
【記事修正】2024年3月20日午後11時49分 給付型奨学金制度の表のキャプションを変更しました。