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2019年12月13日

【福島訪問記】①福島第一原発事故後の現状〜廃炉と町の復興〜

 この記事は、工学部システム創成学科E&Eコースに通う三上晃良さん(工・3年)が事故から8年が経った福島第一原発・原発がある福島県双葉郡浪江町を訪れた際に見た現地の状況を伝えてもらう連載の第1回です。

(寄稿=システム創成学科E&Eコース 3年 三上晃良)


 

イメージと実際

 

 福島第一原発に対して、皆さんはどのようなイメージを持っているだろうか。「事故」や「放射性物質」、「廃炉」などの言葉が思い浮かび、ネガティブな気持ちになるかもしれない。正直な話を言うと、筆者は情報として原発に興味を持っていたが、後処理のように感じて、福島第一原発や、廃炉ということにしては、あまり心惹かれなかった。しかし、今年の夏、福島第一原発を見学し、その見方は180度変化した。第一原発内では、一見すると普通の工業団地と変わらなく思えるほど、労働環境が改善されていた。福島第一原発の廃炉現場は、ロボット技術や、汚染水処理のために新しい技術が集積する現場であり、明るい場所であった。また、原発内で働いている方々も皆、事故収束に向けて希望を持ち、自らの仕事に誇りを持っていた。私の中のイメージとは大きく異なっていたのだ。一方で、原発見学の前日に訪れた浪江町の現状は原発のそれとは異なっていた。震災前の全人口の1割程しか町民が帰還していないのだ。特に若者がほとんど戻っておらず、人々の生活に根差す、生きた町として復活するには、まだ時間がかかりそうであり、将来に不安を感じた。この連載では、原発事故後の現状と希望、そしてそれと向き合う人々について筆者が感じたことをできるだけそのまま記述したい。

 

 筆者は、東日本大震災後、原子炉建屋の水素爆発の映像に衝撃を受け、当時は新聞やテレビ、図書館などで、原発や事故の情報を集めまくった。マスメディアが原発事故の情報を流さなくなるにつれて、現状を知らない状態でここ数年を過ごしたが、何故か未だに原発問題に興味がある自分がいた。そこで、環境問題や核融合への興味もあり、原子力も含めて環境・エネルギーを総合的に学ぶことができる、工学部システム創成学科E&Eコースに進学した。昨年は学科の授業で、原子力発電の技術や、そのエネルギー政策における位置づけを学んだ。しかし、それらは鷹の目線であり、福島第一原発の現状と現在の周辺自治体の復興状況など、蟻の目線からも現状を考えないと、原子力発電の深い理解はできない。そこで、学科の友達とこの原発見学を教授に頼み込み福島に行けることに。ちなみに福島第一原発の見学は、東京電力の職員に知り合いがいれば、その知り合いを通じて、見学を申し込むことができる。この記事で興味を持った方がいれば、私に連絡を頂ければ嬉しい。

 

 8月の上旬、私と学科同期3人の合わせて4人は、富岡町にある東京電力廃炉資料館(福島第一の廃炉について知ることができる施設)に集合した。その後専用のバスで、敷地内へ向かうことになった。ここで、私の原発の認識が、数年前で止まっていたことに気づく。東電職員によると、現在は、原発敷地内の大半のエリアで除染が進んでいて、簡易な作業服とマスクだけで各作業は行われているらしい。震災直後にテレビや新聞などで見た、ものものしい防護服を着て今も作業をしているというイメージからは、程遠かった。一方で、原発敷地内への道中、バスから外を見ると、ショールームの窓ガラスが割れたままの、車の販売店が見えた。福島第一原発が立地している大熊町や双葉町では、未だに避難指示が解除されていない。なるほど、震災後からも時が止まっている場所も存在している、こちらはイメージ通りだ。私たちは、新しい情報を得ない限り、過去の状態が現在も続いていると思い込んでしまう、そのことを強く自覚した。

 

福島第一原発までの道すがら、ガラスが割れたままの自動車販売店 撮影日2019年8月4日
軽微な服装で作業をする作業員
撮影日2019年8月4日

 

 原発の入り口に到着すると、放射線を計測するガイガーカウンターを身につけ、簡単な事務手続きを済ませると、私服のまますぐに、見学用のバスへ乗り換えた。ガイド専用のバスで、原発構内を細かく案内してくれるらしい。意外にあっさり原発に入れて拍子抜けをした。確かに、福島第一原子力発電所は、放射性物質を扱う場所ではあるが、一企業のプラントでもある。どうして、私は遠い存在と感じていたのだろうか。その後、きちんと作り込まれたガイドブックを渡され、コースに沿って案内が始まった。施設の中から軽く廃炉中の原子炉を眺めるだけかと思っていたので、これもかなり驚きだった。

 

 さらなる驚きが待っていた。見学者の私たちが、バスの外に出て、水素爆発を起こした原子炉建屋を間近で見られるというのだ。バスを降りる前に、私は科学的に考えてみた。実際に、現在福島第一原発構内で大きな放射線の源となっているものは、溶け落ちた燃料が残っている建屋と、その周辺に蓄積している高濃度の放射性物質である。地面表面は除染が進んでいるので、原子炉建屋近くといえども、短時間で、ある程度の距離を保って滞在すれば問題はない。事故を起こした原子炉からはいまだに高レベルの放射線が放出されているが、その強さは距離に反比例して小さくなり、放射線は物凄く強くない限り、その積算量が健康被害等を引き起こすからだ。実際にバスを降りてみると、線量計の最大値は、新宿区の1000倍以上の毎時250μsv/hを超えていた。そのため5分程度しか滞在できなかったが、その際写真撮影も行った。事故現場ということもあり、笑顔を作ることはできなかった。

 

 福島第一原発の廃炉作業の進展、特に原発敷地内の除染と、それに伴う被爆線量の低下や作業服の簡素化などの労働環境の大幅な改善には、驚かされると共に、感慨深いものがあった。また、東京オリンピック招致の際に問題になった、放射性物質で汚染された水の問題も、地下水の流入量が震災直後から大幅に減少するなどかなり改善していて、廃炉の将来について希望を持てると感じた。一方で、溶け落ちた燃料(デブリ)の取り出し作業や、トリチウムを含んだ処理水の問題など、技術的社会的な問題から進んでいない分野もあり、やはり困難な事象は山積している。さらに、前日に訪れた浪江町の現状をみたが、周辺自治体の再生は進んでいるとは言い難かった。次回以降の連載では、これらの問題の現状について話を進めたい。

 

廃炉作業中の原子炉の前で、学科同期3人と一緒に。左から2番目が筆者
撮影日2019年8月4日

 

【連載 福島訪問記】

【福島訪問記】①福島第一原発事故後の現状〜廃炉と町の復興〜

【福島訪問記】②8年越しの福島〜福島の現在と原発の未来〜

【福島訪問記】③処理水と人の心

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