学術

2023年8月15日

始皇帝の時代を読み偶然の歴史をたどる【前編】

 

 今夏に入って公開された映画『キングダム 運命の炎』は集英社の人気漫画『キングダム』の実写映画第3弾となる。同作品は紀元前3世紀の中国古代、初めて中国を統一した秦の始皇帝の時代を、その始皇帝の目線から描く、新たな視点の作品である。実は今、学術分野においても始皇帝や彼を取りまく時代にメスが入っている。例えば、今年2月まで上野の森美術館で開催されていた展示「兵馬俑(へいばよう)と古代中国──秦漢文明の遺産──」には新たな知見をもたらした出土物などが多く展示されていた。学術の分野ではどのような進展があるのか、揺れる歴史像にどのように向き合えば良いのか。『キングダム』の実写映画第1作からその時代考証を手掛け兵馬俑展の監修なども行う、始皇帝や秦代史研究の大家、鶴間和幸(学習院大学名誉教授)に聞いた。前編では主に文字史料と始皇帝に関する部分に迫る。始皇帝とは、秦代とは、歴史学の面白さとは──。(取材・高橋潤)

 

揺れ動く始皇帝像を捉える

 

──漫画『キングダム』やその実写映画が盛り上がりを見せています。映画の時代考証をしたとのことですが

 

 漫画で描かれていない部分を補う資料やセットの組み上げについてアドバイスしました。例えば1作目はセットで使った農民の家の壁などについて。二千年前当時の作り方に基づきました。2作目ではお香を焚(た)くシーンがあったので、当時使われていたお香についての研究者を紹介したりしましたし、映画中で使われた戦場の地図について地形へのアドバイスを加えたりなどしました。3作目に関してもいくつかアドバイスした部分がありますが、詳細は実際の映像を観てから、ということで(笑)。

 

──始皇帝は同作品中で大変魅力的に描かれていますが、よく暴君という見方がなされるのではないですか

 

 確かに『キングダム』では若き秦王・政(後の始皇帝)が統一を目指すという描き方である一方、実際の歴史において始皇帝は儒教的な文脈から批判的に捉えられることがままありました。とはいえ文化大革命など、儒教を批判する風潮が強まった時は評価されることも。やはり、後世の評価ですから揺れ動くわけですよね。ただ、一方でそれが歴史というものでもあります。その時代の人々が過去について語るので時代性が反映されるのです。『キングダム』もまた然(しか)りです。

 

──では史実の始皇帝像を捉えるには

 

 もう一回その人間というものに立ち返ることです。始皇帝は強い君主、暴君という面とその人間像を極端に作られて来ました。とはいえ彼自身のことを考えてみると、一人の生きた人間として50年の生涯をたどったというところはわれわれと共通しています。彼も皇帝である前にその時代を生きた一人の人間だったのです。ですから始皇帝自身、その在り方というのは絶えず揺れ動いていたのだと思います。それに鑑みると彼が人間としてどのように生きていたのか、ということを明らかにしていけば中国最初の皇帝という人物をより深く見ていけるのではないでしょうか。そうした「実像」を追求することを考えます。

 

 

鶴間和幸『新説 始皇帝学』カンゼン、税込み 1980 円
鶴間和幸『新説 始皇帝学』カンゼン、税込み 1980 円

 

秦史研究のあれこれ最前線(文字史料)

 

──「実像」に迫る研究を可能とした背景には何があったのですか

 

 新たな文字史料や文物の出土です。兵馬俑もその一例ですが、さまざまな秦代の竹簡や木簡の史料が出てきています。『史記』など世々の人の手を経ながら今日まで伝えられてきた史料を伝世文献と言いますが、こうしたものとの比較が可能になりました。それらの記述を改めるような研究ができるようになっています。
 研究史の面でも大きな転機となりました。以前は秦漢史という形で、秦や漢という古代中国帝国形成の歴史が論じられていました。とはいえ初めて統一を果たした秦にはあまり情報がなく、漢代を中心として、そこから時代をさかのぼりながら議論されてきました。しかし上記のような発見で、今まで分からなかった秦代の社会や法体系や国家の末端の仕組みへの考察が進みました。だんだん秦という統一の時代をどう考え抜くかという研究ができるようになってきて、漢代史から切り離して秦の研究ができるようになったのです。

 

──統一の時代をどのように捉えますか

 

 これまでの中国古代帝国の形成に関する議論では秦が統一したことは前提となっていました。そこからさかのぼって歴史を見ていたのです。でも実際その「統一」とは、確かに結果としては秦が統一したのだけれども、必然ではなくさまざまな可能性の中で秦が、始皇帝がたどった道なのです。ともすれば他国が秦と同じような道をたどったかもしれない。ですから「統一」よりは段階的に「征服」が進んだ、という見方の方が実際に近いのではないしょうか。多くの偶然の中で秦が統一にたどり着いたという側面を掘り起こしていった方が歴史の真実に近づけるのではないかと。ですから秦の支配において統一だけを持ち出すとなるとある種の虚構性が生じるのだと思います。

 

──では、いわゆる始皇帝の統一政策についてはどう考えますか

 

 貨幣や度量衡、文字、車軌などの統一ですよね。始皇帝の統一政策としてよく挙げられます。ですが、それらは統一によって新たに生み出されたのではないと考えます。もともと、かつて秦が並み居る国々の一つであった時代からの仕組みがあって、それを新たな占領地に適用していったというのが実態でしょう。

 

──統一の実態に関連する出土史料はありますか

 

 出土史料の中に『編年紀』というものがあります。秦代に地方の下級官吏であった人物の墓から出土したもので、前306年から前217年までの年表です。秦史における重要事項と墓主の家族の個人的な経歴とが書き入れられた公私にわたる記事が集められています。この中には『史記』の年表と相違する記述があります。たとえば始皇26年(前221年)です。この年、秦によって中国は統一されたのですが、同史料にはこの年次の部分に統一に関わる記述が一切ありません。なぜこんな大きな話が掲載されていないのか検討の余地はありますが、この記録をつけた地方官吏にとっては一大事でなかったからなのかもしれません。すなわち、行政の末端として働いていて赴任地から離れた場所で戦争が起こり、他国が滅んでいったことがあまり身近に感じられなかったということです。これに類するような史料は他にもあるので、やはり年代記というものを振り返る必要を感じます。かの地方官吏がなぜ秦の年表を作成する必要があったのか、掘り下げてゆくと面白いです。歴史家は歴史を振り返ってそうしたものを著しますが、役人にとっては自分の生きている時代を年表で確認する必要があって、年代記を作成したのでしょうか。過去の文献をどう見るのかということ以前に、どのような読み手が読んでいたのかということを考えます。そういうところが始皇帝に関する記述を読んでいく上でも重要なのだと思います。

 

──考古資料をどのように活用しますか

 

 考古資料は遺跡などや、その周辺の地勢や自然環境も含めて位置づけられるものです。そうした非文字資料のもつ情報は文献から得られるものとはかなり違います。兵馬俑などはまさにそうですが、当時の歴史を反映しています。それらを読み取って活用していきたいと思います。そこで兵馬俑展などの展覧会に行きついて文物に歴史を語らせるということをやりました。ただ、中国古代の世界というのは文献がないと語れない部分はあります。私は歴史学者ですから、読んだ文献からその時代を押さえていきますが、それだけでは足りない部分を考古資料で補います。性質の異なる資料同士をそうやってうまく合体させながら思考の材料にしています。

 

 

中国での兵馬俑学術討論会(1994年)。中央左が鶴間名誉 教授。袁仲一兵馬俑博物館名誉館長(右隣)と(写真は鶴間名誉教授提供)
中国での兵馬俑学術討論会(1994年)。中央左が鶴間名誉 教授。袁仲一兵馬俑博物館名誉館長(右隣)と(写真は鶴間名誉教授提供)

 

 

──既存の文献も参照する必要があると

 

 質の違う二つの史料を照らし合わせることで、よりその時代、秦という統一の時代の新たな側面が見えてくるのだと思います。全く同質のものだけでは不安ですから、片方だけを使うというわけにはいきません。

 考古資料というのは同時代の社会のある部分をダイレクトに伝えてくれます。また、同時代の史料は脚色が少ないです。詳細な裁判の記録とか、戸籍や台帳、転入・転出記録など、それこそ現在にもあるような当時の文書が遺(のこ)されています。ですから庶民の生活とか日常的な風景、彼らが自分たちとは遠い政治の世界をどのように見つめていたのかなどが分かります。一方で伝世文献には史料をまとめた人々の考え方が反映されています。『史記』であれば、秦がなぜ統一を成したのか、というところに対する漢代の考えが反映されています。さらにそうした人々は歴史を遺そうと思って書くので、偉人や為政者など当時の上流階級の人々の生き方が見えています。我々ももちろんそうですが、歴史というのはある時点からその時代を振り返って、回顧して書きます。だからやはり漢代の人が回顧した歴史というものは、それはそれで大事なのです。

 

 

鶴間先生顔写真

 

鶴間和幸(つるま・かずゆき)名誉教授(学習院大)1980 年東大大学院人文科学研究科(当時)博士課程単位取得退学。98年博士(文学)。学習院大学文学部教授などを経て21年より同名誉教授。秦代史、特に始皇帝を中心とした研究を行う。主要著書は『秦帝國の形成と地域』(汲古書院)、『人間・始皇帝』(岩波書店)。映画『キングダム』の時代考証や兵馬俑展の監修なども手がける

 

【後編に続く】

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