報道特集

2019年6月4日

東大入学式2019・上野祝辞アンケート分析③ 自由記述紹介前編(ジェンダー編)

 東京大学新聞社は、2019年度学部入学式で上野千鶴子名誉教授が述べた祝辞について、東大内外の全ての人を対象にアンケート調査を行い、東大生(院生含む)603人を含む4921人から回答を得た。この記事では、アンケートの末尾に設けられた自由記述欄に寄せられた祝辞への反応を多角的な視点からまとめ、前後編の2回に分けて紹介する。前編ではジェンダー問題についての意見を取り上げる。

(構成・武井風花)

 

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東大入学式上野祝辞 依頼した東大執行部の問題意識とは

 

2019年度入学式

 

※凡例

・基本的に原文を尊重し、表記統一は施していない。

・各意見の末尾には、年齢、性別、所属・職業を付記している。

 

女性の実体験の想起促す

 

 アンケートの回答者は、女性が62.7%を占め、またそのうち特に中高年の女性は祝辞に好意的な反応を見せた人が多かった。その背景には、彼女らが日頃感じている女性に対する目に見えない圧力と、それによって苦しんだ実体験が存在する。回答者ごとに多種多様なエピソードがあり、全ての内容を紹介することはできないが、以下に一部を紹介する。

 

 二階の保護者席にいました。後半から何故だかじ〜んときてしまいました。ここで泣くのはおかしいかな、と必死に涙を堪えていたところ、あちらこちらから鼻をすするすすり泣きが聞こえられ、こういう反応は私だけではなかったのだ、と思いました。保護者の知り合いは多かったので、皆さんそのような反応でした。今は仕事を辞めていますが、ここに至るまでに共感することはたくさんありました。(中略)上野さんだけでなく上野さんを呼んだ東京大学にも新しい時代を予感させるとても良い選択でした。私は卒業生ではありませんが、大学は社会学科で当時三十代の上野千鶴子さんを大変頼もしく思っていたので、今回は本当に直接お話を伺わせてもらい本当によかったです。

(50代、女性、主婦、新入生の保護者)

 

すばらしい祝辞でした。私は1980年代に東大を卒業したが、その時は一学年の女子は1割に満たなかった。初めて女子の新入生が200名を超えたとき男の先生たちの中に「東大が女子化する!」「学問の力強さが失われる」「受験秀才ばかりになり、スケールの大きい研究をする者が排除される」と大騒ぎされている方もあった。そのようなご自分の言動を目の前にいる女子がどのように受け止めているかという想像力も働かないのか、とがく然とした。(中略)そのころこのような祝辞を新入生として聞けたらどんなによかったかと残念で、今の学生がうらやましい。しかしその一方で、上野氏に祝辞をしていただき、過去の汚点も隠さず前進する契機とする決断をした東京大学が、自浄能力、向上の精神、学ぶ姿勢を自ら示したことは、卒業生として、特に女子の卒業生として誇りに思い、また嬉しく思う。

(50代、女性、教員)

 

東大だけでなく他大学でも

 

 今回の祝辞は東大生に向けたメッセージだったが、他大学でも同様の男女差別があるようだ。

 

 大学において女性教員は厳しい立場に置かれているという、女性の大学教授からの意見。

 

私の在籍する大学は男性社会です。女は要らないと暗黙の了解で、女性教員を増やすは単なるスローガンでしかありません。数々の嫌がらせの中で生き残っています。しかし次の世代に引き継ぐために踏ん張っています。上野さんの祝辞、昨年のロバート氏の祝辞に続き学生と読んで話し合いたいと考えています。

(60代、女性、大学教授)

 

 東大女子が入れないサークルをはじめとする大学内の男女差別や、女性にとって学力は印象向上につながらないことについて、他大学にもそのような文化が存在するという声も寄せられた。以下に具体的な大学名を出している意見を3件紹介する。

 

(前略)私は東工大女子で、東大女子とある程度同じような境遇なところがある。学内では入れないサークルはあったし、社会に出てから、男女平等ではないことを知った。知らなかったから、あたふたして苦労し、生きづらさも感じた。実際に、鬱になった子や、自殺をしてしまった友人もいる。力になれなかったことを悔やんでいる。
早めに問題を認識するということは、そのための心の準備ができるし新入生にとってもいい謝辞であったと思う。

(30代、女性、IT企業勤務)

 

東大だけでなく京大も似たような問題を孕んでいた。もっと沢山の人にこの事実を知ってもらいたい。これに尽きます。

(30代、女性、会社員)

 

私の所属している早稲田大学でも「ワセ女(早大女子)お断り」というサークルが存在するらしく、先輩で実際にそのようなサークルから加入を断られた経験をした人もいます。これが、決してまっとうなことではないこと、そして私は、同じ早大生でも男子と女子とに向けられるまなざしが違うことを上野さんの祝辞によって気づくことができました。今回の祝辞はもっといろんな人に知ってもらいたい内容ばかりでした。

(10代、男性、私立大学学生)

 

地方の意識差が浮き彫りに

 

 祝辞が大きな関心を集めたとはいえ、広がりには地域によって限界があるのではないかという意見もいくつか寄せられた。性差に対する意識が相対的に弱い地方に住んでいる人にとって、この祝辞は一つの希望であった一方、周囲の環境の旧態依然とした現実に改めて気付かされる契機にもなったようだ。

 

 祝辞をSNSでシェアしたところ、地元の男性から反発があったという記述。

 

上野先生の祝辞をFacebookでシェアし、共感できると発信した。いいね!は多くはなかった。私は人口6千人以下の東北の小さな町に住んでいる。上野先生の祝辞をシェアすることさえ、勇気がいった。想定どおり住民の男性から、上野先生の祝辞は上から目線、東大に入ることが偉いのか…という要旨のコメントが。
このようなコメントが増えていくのは、本意ではなかったし、顔の見える社会で生活していくには、プラスに働くとは思えなかったので、シェアを削除しました。祝辞に賛同することさえ、言えない男尊女卑が日本の現実です。

(50代、女性、地方公務員)

 

 鹿児島県在住の学生からは、地元の問題意識の低さを指摘する声が寄せられた。

 

(前略)私は鹿児島に住んでおり、ジェンダー教育が最も進んでいない県と言っても過言ではありません。そのため、そのような性差別的な出来事は少々目にしてきました。いまだに戦前のようなパラダイムや男尊女卑が存在します。しかし、それを受け入れている、もしくは差別と思ってすらいない女性も存在することも否めません。そのため、環境を変えるよりも、まず一人一人が声を上げるように気づかせることこそが大事ではないかと考えます。

(20代、男性、私立大学学生)

 

海外の視点で日本を相対化

 

 海外と日本を比較する意見も数件寄せられた。はじめに、英国と日本を比較している記述を紹介する。

 

私はイギリスの大学に在学しており、大学に登録されるサークル・団体はすべて加入者に対する宗教の差別、性的嗜好の差別(性別の差別だけでなくLGBTQも含む)、人種の差別を禁止するということが宣言されている環境にいる。私の大学はそれだけでなく、それらの行為が発覚した場合、団体・サークル活動取り消しをかしており、今更上野氏のスピーチを通してそのような秩序が当たり前にあったものではなく、多国籍なイギリスの大学らしい厳しい態度で学内の風紀を保ってくれていたのだと気づいた。
(中略)今回の上野氏の祝辞は日本社会から遠ざかった私にとって逆カルチャーショックだった。(中略)自分の出身国の学術をリードする最難関のアカデミア(東大)がそのような差別溢れる状況であるという現実はあまり聞きたくなかった。まして、今その雰囲気を保存しているのはおそらく私と同世代の日本の学生たちで近い存在。帰国子女がよく鬱陶しがられる“ イギリスでは〜” などという、海外の環境を武器に日本の大学を批判するような文脈をできればいいたくないのだが、どうしても人権や他者へのリスペクトといった大切なことに疎く、無頓着で、そのような環境の被害を受けている人に無関心な印象を日本社会に対してぬぐいきれない。
上野氏のスピーチは少なくともこうした改善するべきポイントに東大祝辞という場でライトを当てたものとして支持している。

(20代、女性、海外大学学生)

 

 米国と日本を比較し、日本では進学に際し女子学生が周囲に足を引っ張られることがあるのに対し、米国では素直に応援してくれるという意見も。

 

この問題への内外の反応を通じて、東大女子学生だった30年前と比べてあまり状況が改善していないことを痛感しました。
現在米国で大学院生ですが、こちらでは女子だろうがおばさんだろうが、上司や同僚、恋人や夫などが第一に応援してくれますが、日本の家族は進学について引けていました。もっと女子にも、年配者にも、その他マイノリティにも、広く高等教育への就学の機会、知的労働への就労の機会が、日本でも開かれることを願ってやみません。それこそが21世紀の日本社会が停滞から脱出し先進国の一員らしく振る舞い、豊かになる鍵だと思います。

(50代、女性、ワシントン大学大学院学生)

 

 東大の女性教員が少ないことに対して海外の研究者から質問を受けたという研究者からの意見。

 

ちょうど先月、海外に行った折に、複数の研究者から「なぜ東大にはあんなに女性教員が少ないのか」という質問を受けました。その場にいる複数の研究者が、そのように認識しているようであり、また過去にも何度か同様の質問を、海外で受けたことがあります。その直後であったこともあり、また、私自身が東大で非常勤ながら勤務した経験を持っているため、上野さんのご意見に深く同意せざるを得ませんでした。(後略)

(50代、女性、研究者)

 

 明らかな性差別にも「これが日本の文化だから(This is Japanese culture)」で片付けてしまう日本のジェンダー環境に疑問を持つ、外国からの留学生の意見もあった。

 

素晴らしいスピーチに感謝します。今こそ、日本社会で女性が直面している差別とジェンダー差別の問題により公然と取り組むときです。私は研究のため日本に住んでいる外国人ですが、日本に滞在している間、上野教授(編集部注:原文ママ)が述べた問題全てに触れました。さらに驚くべきは、日本人(女性を含む)が「これが日本だから」や「これが日本の文化だから」といった体制順応的な発言をし、これらの問題を無視していることです。男性から「あなたたちは、女性だからこそ奨学金がもらえるのだ。政府は自動承認によってパーセンテージを増やそうとしている」という話を聞くのは、うんざりです。ストーカーの話を耳にするのは、うんざりです。男性が普通のことだと考えているからといってセクハラを受けるのは、うんざりです。「研究をやめろ、さもなければ結婚できないぞ」「男は強い女が好きじゃないから、強くあるべきじゃない」などと言われるのは、うんざりです。私はもう、うんざりです。
日本に住んで4年になりますが、私が本来の私のままでいることができ、これらの問題を公然と論じることができるまでは、日本は私のふるさとには決してならないでしょう。(後略)

(20代、性別回答しない、工学系研究科・博士1年)

※英語で書かれた原文を東京大学新聞社が翻訳

 

これからどうするべきか

 

 さまざまな論点からの意見を紹介してきたが、それでは実際に東大の男女差別を改善するためには具体的にどうするべきか。

 

 東大が女子学生を増やしたいなら、例えば「東大女子が入れないサークル」について、大学側が学生に積極的に環境改善を促す必要があるのではないかとする意見。

 

学生自治の観点、多様性の観点から女子学生が参加できないサークルが世の中に存在しても良いとは思う。しかしながら、それらの団体に差異をつけず、学内施設(コート、体育館等)を使用させていたこと、そのことについて、祝辞、セミナー、シンポジウム、提言などで学生に気付きを促す活動を積極的に行ってこなかったこと、上野氏の祝辞への反響により、学生はもとより、大学側にも今後は積極的に取り組むなどして欲しい。少なくてもそんなサークルがある時点で、女子学生が東大を進学の選択肢から外す可能性は高いと思われる。

(50代、女性、不動産業)

 

 大学に加えて学生にもできることがあるのではないかとする意見。

 

学生であれ教職員であれ問題意識を持ったのであれば、まず身近なところからアクションを起こしていくべきだと思う。例えば自分の所属するサークルの在り方を少し見直してみるなど。加えて、学生自治会や大学組織が音頭を取って進めていく面も必要だろうと思う。

(20代、男性、国家公務員)

 

 「男女差別」というと男性側に問題があると考えがちだが、女性自身の行動にも問題があるのではないかという意見もあった。

 

 大学名を言えないのは、女性もどこかで男性に守ってほしいと思っているからではないかという意見。

 

合コンで大学名を言えないと言う女性は実際にいるが、その女性にも守られる立場でありたいという思惑があってのことだと思う。私も有名私大卒で周りにも同様の友人がいたが、対等でいたいという思いがあり、合コンなど出会いの場でも大学名を聞かれれば答えたし、パートナーを探す上でも、対等に支えあえる人を選んだ。女性側も古い慣習にとらわれずに振る舞うべきだと思う。

(30代、女性、営業職)

 

 女性自身も、女性の特権を利用して都合良く逃げるのはやめるべきだという意見。

 

(前略)でも自分自身、どんな不利益を被っても、社会で男性と同じように仕事をしてきました。ただその中で足を引くのは常に女性であったことも忘れてはいけないと思います。
上野さんの祝辞は素晴らしいし、このような取組が行われることは今後もぜひ推進していただきたいです。
一方で、女性も同じような理解、認識を持たなくてはなりません。
都合のよい時にかわいく、都合よく逃げてはいけません。逃げ道を確保しているといっても過言ではありません。
パワハラ、セクハラ、ブラック企業から逃げるな、ということとは全く違います。
女性の特権を利用して、都合よく逃げることを女性自身が止めなければなりません。
今回の上野さんの祝辞で唯一残念なことはその点です。
論点がぼけるからあえてはっきりおっしゃったのだろうと感じますが、ぜひ女性としての認識も改めるべきではないかと思っています。(後略)

(40代、女性、会社員)

 

LGBTQにも目を向けて

 

 また、男女差別のみが問題に挙げられていることに違和感を持つという記述も寄せられた。

 

 上野名誉教授はジェンダー二元論と異性愛を前提とし、同一化しない学生(LGBTQ)を切り捨てているのではないか、聞き手を「正常な国民」として想定し、それをシンボリックな場で話すことに上野名誉教授のナショナリズムを感じる、という学生からの意見を紹介する。

 

内容にはほとんどすべてに賛同します。他方で、次の三点がきになりました。1:上野は男女というジェンダー二元論と異性愛を前提化しており、それに同一化しない、できない新入生、学生を傷つけた可能性はないのか。2:東京大学というある種日本においてシンボリックな場でジェンダー二元論と異性愛を前提化した話をする点に、彼女は聞き手を「正常な国民」として想定しているように思えてならない。その点で彼女の研究上の傾向であるナショナリズムを感じる。3:こうした話をしたことには意味があると信じている一方、まだこんなことを話す必要がある、という点に社会における不寛容がある時期からまったく改善されていないことを突きつけられたような気もしてつらい。実際、上野の話を不快だという男性の院生と話すと心が死ぬ。

(20代、性別回答しない、総合文化研究科・博士3年)

 上野名誉教授の祝辞は、東大内の問題以外に、社会一般で女性が置かれている不利な立場をも議論の対象として明るみに出した。ある人は祝辞を機に自身の体験を想起し、ある人は東大以外の大学・環境にも同様の問題があることに思い至り、またある人は東大・日本と海外・地方との環境を比較・検討した。その思考の幅の広がりから見ても、今回の上野名誉教授の祝辞は多くの人の関心を引き、思考を促す内容だったことは間違いない。

 

 私たちは、無意識に男女差別的な考えをしていたり、抑圧されていたりすることがあると自覚すべきだ。そして、男女だけでなくLGBTQにも目を向ける必要があることも忘れてはならない。このように、一人一人が日本のジェンダー環境について問題意識を持つことが環境を変える第一歩になるだろう。

 

 後編では、祝辞の後半で触れられた弱者と強者についての意見を中心に紹介する。

 

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