第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が1月2、3日に開かれ、陸上運動部の秋吉拓真(工・3年)、古川大晃(総合文化研究科・博士4年)がそれぞれ関東学生連合チーム(学連チーム)として8区(平塚─戸塚)、9区(戸塚─鶴見)に出場した。2人の力走を写真とコメントを交えて振り返る。
一時は区間トップも 2冠・國學院大學匹敵の好タイム
7区の栗原舜(明治学院大学・4年)から18位相当で襷(たすき)を受け取った秋吉は茅ケ崎のチェックポイントを21選手中トップで通過するなど序盤からハイペースな走りを展開。その後も快走を披露し、区間7位相当の好成績を記録。戸塚中継所では古川への「赤門襷リレー」が実現した。
走れる喜び胸に 粘りの走りで思いをつなぐ
一昨年は補欠、昨年は学連チームが編成されず涙をのんだ古川が起用されたのは復路最長区間。待望の箱根路で8区から続いた法政大学の走者とのつば競り合いに食らいつき8キロ手前の権太坂でも並走状態。その後じりじりと離されたものの粘りの走りは続き、10区の福本陽樹(武蔵野学院大学・4年))襷をつないだ。
秋吉選手のコメント
当日の戦略については、もちろん初めて走るコースなので、実際に走ってみないとコース難易度というのは分かりませんでした。そのため、慎重にいきすぎて後悔することは嫌だったので、区間新記録を目安に走ることにしました。区間記録のペースとしては1キロ2’58程度であり、平地であれば十分21.4キロ走れる距離だったので、15.5あたりの遊行寺の坂までにこのペースに対してなるべく貯金を作っていき坂以降は粘るという戦略でした。
実際にレースを振り返って見て、序盤は順調にペースを刻めていて、茅ヶ崎では区間トップでしたが自分の中では無理している感じは全くなく、むしろ遊行寺の坂へ多少温存しながらの入りでした。遊行寺の坂までの二度にわたる給水では力をもらえました。遊行寺の坂は想像以上にキツかったのですが、ある程度予想の範囲内で耐えられました。しかしながら、その後平地でペースを戻した後に、再びある程度の登りにさしかかったところで足が止まってしまいました。最後は足がつりかけたりしましたが、古川さんに笑顔で襷をつなげて良かったです。後半粘りきれなかったことは力不足、経験不足で悔しさを感じますが、その日自分に出来ることは出来たかなと思います。
8区出走は12/7、8にあった富津合宿の最後に古川さんと2人で呼ばれて伝えられました。正直、結構調子の良さをアピールできていて、往路かなと思っていたので一瞬驚いてしまいましたが、夢であった箱根を走れることが決まり嬉しかったです。8区は遊行寺の坂があるタフな区間だなと思いました。
終盤は本当にキツかったですが、古川さんの姿が見えて、自然と笑顔になりました。無事に襷を繋げて良かったですし、最高の瞬間でした。
箱根駅伝を目指していく中で、出るだけではなく勝負したいという思いが出てきて、今回ある程度それを実践できたかなと思います。なので、これからはその気持ちを他のレースでも具現化していき、学生トップランナーと認めてもらえるように頑張りたいです。
古川選手のコメント
権太坂(約8㎞地点)の下りで少し休めるので、そこまではある程度ハイペースでいって、権太坂を下り終えてからの後半13㎞をひたすら粘る戦略をイメージしていました。
念願の箱根路は長らく夢が叶わなかった分、走っている時の喜びもひとしおでした。沿道の圧倒的な応援に心震え、「今、箱根駅伝を走っているんだ」と噛み締めていました。
出走予定と聞いたのは箱根本戦から25日前の最終選考レース(16㎞単独走)の後、監督から呼び出しがあり、秋吉とともに8区・9区と告げられました。その日のレースでうまく走れず、選ばれない覚悟を決めていたので、初めはあっけにとられました。その日の帰り道、じわじわと箱根に手が届いた嬉しさがこみあげてきました。
秋吉選手との襷リレーは非常に清々しく、晴れやかな気分でした。伸び悩んでいた僕を追い越し、心に火を灯してくれた秋吉が快走して笑顔で襷を運んできてくれたあの景色は強く印象に残っています。
給水は基本的には走れなかった同期に任せるパターンが多いようですが、僕には陸上部に同期選手がいません。誰にお願いしたら最も喜んでもらえ、パワーをもらえるかを考え、僕が学部生の頃から僕の陸上をこよなく楽しんでくれた八田先生が思い浮かびました。
箱根駅伝は本当に心震える素晴らしい舞台です。後輩が続いてくれたら、OBとしてそれほど嬉しいことはありません。今後の現役生の活躍を本当に楽しみにしています。