インタビュー

2014年4月10日

江川達也はいま学生だった! 「映像を自分でつくる勉強をしています」

大学生の平均年齢を20歳とすれば、今の大学生が生まれたのは、およそ20年前。その頃の『東京大学新聞』でも、「大学とは、大学生とは何か」ということは、大きなテーマの1つだった。編集部員は、気鋭の作家や学者が発表した作品に刺激を受けると、取材を申し込んで話を聞き、記事にまとめていた。
この20年で、大学は、そして社会は、どう変わり、変わっていないのか――。20年前のインタビュー記事を、再度、そのまま掲載するとともに、当時取材した編集部員がもう一度、20年ぶりに、同じ人物にインタビューして記事にする。その2つの記事を読み比べたら、何が見えてくるのだろう?

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漫画家・江川達也
20年前のインタビューを読む)
前回のインタビューを読む)

「東京大学」から「日露戦争」へ

――『東京大学物語』が終わって、次に取り組んだ作品は『日露戦争物語』でした。

江川 司馬遼太郎もね、東京大学っていうのは「配電盤」のようにね、全国に西洋的な文化とか技術を広める学校だと言ってますよね。官僚を作るための大学でもあるし、それがまあ日本の教育界のありようだった。

そうなってくると、東大をどうこうっていうよりも、日本の明治維新以降の歴史認識がいちばん問題で、ストレートにね、そういう歴史認識の問題をみんなが知らないから。東大生も誰もが知らないから、やっぱり描かなきゃってことで『日露戦争物語』ってことになりましたね。「教えてやらなきゃ」と。「お前らみんなバカだから、自分で調べないから」みたいな(笑)。それで『日露戦争物語』という流れになっていったわけです。

――本棚にはいろいろな史料がありますけど、相当読み込んで描いたんですか?

江川 まあそれなりに調べますよね。勉強っていうか、好きだからね、いろいろ調べるの。でも俺そんなに一生懸命……、あ、やってました(笑)。

で、俺のまた不幸はさ、必ず、最初に立ち上げた担当編集者が早めに消える、っていう(笑)。ひどい運があってね。それで、最初はさ、その担当が一生懸命やってくれてたのにその担当がいなくなっちゃって、なんかもう自分で調べなくいけなくなっちゃって大変でした。一人でね。でも、どんどん調べていったらどんどんはまっていっちゃって。『日清戦記』を読み込み始めて。
俺、感動したのは、この本は印刷だけど、恵比寿にある防衛研究所の図書館に行くと、これの原版があって、原版は普通に書いてあるんだよ。

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――手書きで?

江川 そうそう、手書きで。しかも同じこと書いてあるの。

俺、平壌戦とかすごい読み込んで描いたんだよね。どの部隊がどうなって、って頭に入ってるわけじゃない。で、防衛研究所に行ったら、原版があって、その原版は手書きで、たぶん実際に戦地に行った人が報告書として書いた原版があって、まさに同じことが書いてあって、すごいなって思って。原版は、地図も文章も手書きで書いてあって、それを見ると、なんか、「近いんだな」っていう感じはしたね。実際に行った人が書いたものを読んでるわけだから、その人と対話してるような。

「原書」で「勉強」する意味

でも、こういうことは小学校のうちから教えるべきだよね。原書読もうね、みたいな。

多分俺は、結局自分が子どもの頃に、こんな漫画とかこんな教育がほしかった、ってことを今やってるだけで、それだけなんだよね。高校の頃も『源氏物語』を授業でやった時に、「これ、誰か原文をそのまま漫画で描いてくれないかな」と思ったんだけど、「ああ、じゃあ俺が描こう」って思って、それが何年か後に実を結んだりとか。そういう感じですね。

原文おもしろいですよ。びっくりすること書いてあるんで。だいたいいま出回っている本は誤訳ですからね。ウソばっかり訳してくるんで、学者はね。そういうところをやっぱり変えていかないと。若い人はね。

日清戦争の黄海海戦も、前半戦はみんな詳しいんだけど、後半戦はほとんどみんな書いてない。やっぱり日本人って頭ばっかり好きで、後半どうなっていったかって、そういうこと嫌いなんですよ。それでね、先の大戦も負けちゃったんですけど。でも、『日清戦記』には書いてあるんですよ。そりゃそうだよな、ちゃんと記録だから(笑)。

相当長く、だらだら書いてあるんで、これはね、本当、楽しかった。いずれ、絶対映像化したいと思ってるんですけどね。CGで船を作って。

まあすべて、ある時代の人たちが何を教育されて、何をどういうパラダイムの中にいて、どう行動したかっていうのを考えなきゃいけないし、そういうことを考えるのが好きなんだけど、そういうことを考えて書く人ってあまりいない。勝手に自分の妄想を歴史にあてはめている人がすごく多いのはどうかなと。やっぱりその当時の人はどう教育されたとか、どういうマインドコントロールだったか、それからどう抜け出そうとしてるのかとか、考えなきゃダメですよね。。

あと石原莞爾もね、大好きなんで。いいですよ。石原莞爾は本当におもしろい。『東京大学物語』でも出てくるよね、少し。30年前から少しずつ研究してたんだけど。石原莞爾も一冊本を描きました(『マンガ最終戦争論』)。

 売れないけどおもしろい出会いがあるような作品はいまちょこちょこ描いてるし、これからはもう映像なんで、自分で映像を作ってネットで流すっていう形を考えていて、いま学生やってるんですよ。デジハリ(デジタルハリウッド)に通っております。

「江川達也」はいま、「学生」だった!

――具体的にはどんな勉強をしているんですか?

江川 漫画家になるにあたって、まあ要は自分が描きたいものと世間で売れるものは違うってことは明確にわかっていたんで、世間に売れるものを描いてお金貯めて、何本かヒットを出して、50歳くらい過ぎたら、自分で好きに映像を作るぞっていうふうに計画してたんですよ。いま53歳なんだけど、そろそろそういう時期にさしかかってきたんで、計画通り、映像を自分で作るっていうふうに動き出していて。

もともと俺は大学の卒論がアセンブラでコンパイラ作ってたんで、コンピューターが進んでいったら個人でCGを簡単に作れるようになるだろうなって思っていたんですよ。

それで、渋谷のデジハリに行って、こういうことをやりたいって言ったら、最初にWEBコースに行かされて、まずはイラストレーターとフォトショップ。それでその次にHTMLで、その次にCSS、スタイルシート、そのあとJavaScriptというコースで。それを一応まず受けました。

俺、一番つらかったのはイラレで、これ欠陥ソフトなんじゃないかって(笑)。作った奴出してこい、みたいな。やっとJavaScriptになって楽しくなってきたんだけど、他の人を見てると、挫折してるんだよね。俺はアセンブラやってたんで、機械語に近い方がぐっとくるんですよ。で、次にMAYAを使ったCGコースっていうのに行きました。いまはお茶の水で、1年コースに通っております。

――『東京大学物語』にしてもそうですが、「教育って何だろう」「勉強って何だろう」ということをテーマにしてきた江川さんが、あれから20年たち、50代になった今も、自分自身で「勉強」を続けているというのは、それ自体がすごく重いメッセージのように思います。

江川 もう年取るとね、覚えられなくて。3秒くらい前に聞いたことが、「はい、やってください」って言われると、「何だったっけ」って、わかんないくらい入らないんだよね。

でもまあまあ、やりたいことはできそうだなっていう感じにはなってきました。CGの人物には感情移入できないんで、2Dの手描きの人物と、3DCGの背景を組み合わせた感じで、どうにかこうにかね、いま中間課題の動画の修正をしてる感じかな。

でもまあ、卒業する頃には動画をがんがん作れるようになるかなって。で、動画作って、サイトで配信しようと。

まあそこらへんも『BE FREE!』で予言してたことなんだけどね。だいたい、30年前にコンピューターを勉強して将来像をイメージできる人だったら、だいたい今の姿っていうのはイメージできたと思いますよ。

 それは、昔からあるんですよ。マインドコントロールっていうか、要するに物理的な制約があって戦争が起きたりとか、基本的に戦いの原点は思想なわけですけど、どんどんコンピューターが進化するとそれは取っ払われて、そのままの「生の精神」がぶつかり合うことになる。しかもその単位が国家とかでかい単位から、すごく小さい個人同士のぶつかり合いになり、その先には、個人の中がもっと分裂して、その個人の個々の感情の分裂した感じがせめぎ合うっていう、どんどん抽象的な世界になっていく。

それっていうのは何十年も前に予知してて、まさにその通りになっていってる。リアルなのか妄想なのかわからない世界だけど、その世界での武器は、映像とかね、文字とか、演出だから、それを駆使してちょっと参戦しようかなって思って、そのための武器を磨いてるってところですかね。

――そういう武器を駆使して、これから何をするんですか?

江川 悪く言うと、「バカな奴らに教えてやるんだ」って(笑)。ええ。啓蒙してやろうと。無知蒙昧な大衆を啓蒙してやろうと思っております(笑)。っていうか教育っていうのは、教育しようってことは、他人がみんなバカだっていう前提だからね。傲慢だけど。そういう前提がなけりゃ教育は生まれないからね。

ただ、教え込むんじゃなくて、「育てる」っていう方が大事だと思うんで。そういうことは幼稚園の頃から考えてたんで。おかしいよな、俺。幼稚園児なのに。幼稚園の頃からそういう人だったんで、普通の勉強は嫌だったよね。自分が受けた教育が許せないっていうか、違うなって思ってたんで。

でも俺が考えた教育の方が、これからの時代には大事だってことが皆さんやっとわかってきたかなっていう感じですね。今まで描いたマンガを全部自分で映像化したいというのはありますね。だから卒業生制作何やろうかなって。今まで描いたマンガをオムニバスで映像化するとか考えてたんだけど、最近ちょっと高天神城に行って、戦国時代がクローズアップされたんで、織田信長の桶狭間の合戦を映像化してみようかなとか。最近ちょっと湊川が気になってきて楠木正成から特攻の話を映像化してみたいなとか。そんなことばっか。やりたいことばっかりでね。もうちょっと長生きしなきゃと思って、ヨガに通ってます(笑)。

やっぱりテレビとか出版とか、もう誰かが権利を握っているようなところはダメだし、崩壊しつつあるんで、やっと来た、っていう感じですね。やっと『BE FREE!』の最終巻あたりの世界が実現するのかなっていう感じですけどね。だから楽しみですね。もっと若い頃に来てほしかったですけどね。

江川達也(えがわ・たつや)
1961年名古屋生まれ。83年、愛知教育大学教育学部数学科を卒業。同年、名古屋市内の中学校で数学講師を経験。84年『BE FREE!』で漫画家デビュー。また、江川漫画研究所を設立、漫画を科学的に分析している。

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