甲子園100年目という節目の今年も、数々の熱闘が繰り広げられ大いに湧いた。そんな甲子園に都立高校初出場という歴史を刻んだのが、投手として都立国立高校を率いた市川武史さんだ。市川さんは甲子園に出場後、東大に入学する。高校の3年間でどんな目標を立て、どのように過ごしていくべきか。スポーツでも勉強でも目標を達成した市川さんに夢を叶えるヒントを求めて話を聞いた。(取材・平岡直樹 撮影・竹内暉英)
二次試験まで残り4日となった。「東大生が受験生に伝えたいこと」をコンセプトに行っている受験生応援記事、第二弾の今回は、『東京大学新聞』2015年11月10日号(駒場祭特集号)に掲載した草野仁さんのインタビューを再掲する。
「気持ち」で負けるな
――高校時代は投手として甲子園を目指し都立国立高校で野球に打ち込みました
甲子園に行きたいという一心で野球に取り組みました。甲子園は昔からの夢。どちらかというと勉強より野球が高校生活の中心でしたね。 練習時間の多い私立高校に都立高校が勝つためには工夫が必要です。限られた練習時間の中で強豪私立並みに打撃を鍛えることは難しい。失点を最小にする、守りが強いチームを目指して守備の練習を多くしました。
――高3の夏、西東京大会で優勝します
高2のとき肩を壊し、そのまま冬を超えました。高3の春は監督の提案もあって横から投げるサイドスローへ転向しました。私立の壁を超えるため、フォームの変更など良いと思ったことを全てやりきって、絶対に負けないという強い気持ちで大会に臨みました。
西東京大会ではやはり思うようには得点を奪えませんでした。少ない点数を守り切る接戦が続きます。特に印象に残っているのは負ければ終わりというプレッシャーのかかる都立武蔵村山高校との初戦や、佼成学園との準々決勝です。佼成学園とは延長18回でも決着がつかず再試合となりました。
どんなに長く緊張の続く試合でも心掛けていたのは一つ一つ勝利していくこと。投手である自分はバックを信用し、バックは自分を信用してくれている。そうした信頼関係が、負けるはずがないという揺るぎない自信となりました。決勝では駒澤大学高校を破り甲子園出場を決めます。
――国立高校は都立高校として初めて甲子園に出場します
甲子園に出場する初の都立高校としてマスコミなどに注目されましたが、そうしたことはプレッシャーにはなりませんでした。自分たちの野球を精一杯する。注目はいつしか後押しへ変わりました。
甲子園初戦の相手は和歌山県代表で前年度春夏連覇を果たした県立箕島高校。四回に2点、五回に1点を取られ、点差を追う立場になりました。甲子園でプレーできることは本当にうれしかったですが、その夏で初めて負けるかもしれない、と焦りました。
結果は0対5で初戦敗退。対戦相手はくじで決まりますが、今でもくじ運が良ければ1、2勝できたのではと思うことがあります。
――入学した東大では硬式野球部に所属しました
甲子園を一つの区切りとして、学業に専念するため大学では野球を続けることは考えておらず入学当初はゴルフ部に所属しました。しかし大学生活に物足りなさを感じていた秋ごろに元監督から勧誘を受けたことや、高校の野球部同期が入部していたことがきっかけとなって東大硬式野球部に入部しました。
大学の野球はリーグ戦。同じ相手と戦う中で研究され対策されてしまいます。そうした状況で勝つために基礎体力を重視していた高校時代と変わり、投球の技術やピッチングの組み立てを学びました。レベルの高い大学野球でプレーできたことも今では本当に良かったと思っています。 OBとして現在の東大硬式野球部を見て思うのは、もっと自信を持ってほしいということ。今のチームは私の時代のチームより強いかもしれません。ただリーグ戦での連敗により敗北が頭をよぎり、集中力が途切れる場面もあったのではないでしょうか。
今春のリーグ戦で1勝を挙げ、連敗を止めたことは大きいです。試合の時に大切なのは「勝つんだという強い気持ち」で相手に負けないこと。自分たちの野球に自信を持ってこれからのリーグ戦に臨んでほしいです。
つらさを乗り越え
――高校時代は野球部の厳しい練習と勉強の両立をはかり1浪した後、東大に入学します
東大を目指したのは周りに同じ志を持った人が多くいたからです。結果としてバッテリーを組んでいたキャッチャーを含め、同期の野球部から現浪合わせて4人が東大に進学しました。
高校のときは部活が忙しく少ない時間で力を付けるため、とにかく授業に集中することを意識していました。部活を引退した9月以後は、全ての時間を勉強に注ぎました。懸命に勉強しましたが、現役では間に合わず浪人しました。 勉強するとき気を付けていたのは野球の時と同じですが、やる気がなくなったときにそこで終わりとせず、あと一歩、ほんの少しでも勉強を続けること。小さな継続が積み重なり、大きな成果につながるからです。
――甲子園出場という貴重な人生経験を積んできました
何か物事に取り組むとき、その思いが強ければ強いほど自然に行動がついてくるはずです。私は目標を決めたとき、自分はその目標を達成したいのだということを脳に強く思い込ませ行動に移すことを心掛けています。
もちろん行動を起こしても目標を達成できないことの方が多いですし、行動には困難もつきものです。暑い中、水の飲めないきつい野球の練習。高1のとき自分が投げた回での失点による西東京大会1回戦敗退。甲子園という目標を掲げ野球に打ち込んだとき、肉体的にも精神的にもつらいことが続きました。
しかしそうした経験が現在の自分を形づくっています。今、私はキヤノンの半導体デバイス要素開発センターで所長を務め、カメラのセンサー部の開発などに携わっています。何か形に残るものを後世に残したい。そんな思いで製品をつくる職に就きました。仕事で多少つらいことがあっても、野球部での経験を思い出せば耐えられる。つらいことに耐えた経験は自信に変わり自分を支え、仕事に前向きに取り組む力となります。
高校生の皆さんに伝えたいことは、広い世界でさまざまな経験を積むのが大切だということ。たくさん難しいことに挑戦してください。たくさんつらいことを経験してください。今という時間の中でどれだけ強い気持ちで頑張れるか。努力の過程で、自分への自信と豊かな人間性が培われるのではないか、と思います。
ご経歴
市川 武史 (いちかわ たけし)さん (キヤノン 半導体デバイス要素開発センター)
都立国立高校出身。投手としてチームを引っ張り、80年に都立高校として初めて甲子園に出場する。東大では硬式野球部に所属し,六大学野球で7勝を挙げる。86年理学部地球物理学科(当時)卒。卒業後はキヤノンに就職し、カメラのセンサー開発などに携わる。 ※この記事は、2015年9月8日号(受験生特集号)からの転載です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。