PROFESSOR

2025年1月11日

渡邉英徳教授インタビュー 過去を未来へ伝えるために【後編】〜デジタルアーカイブと戦争〜

 

 1年前の1月、能登半島地震が起きた。未曽有の大災害を前に、情報は錯綜(さくそう)し、人々は混乱した。震災当時の実情、そしてその後の復興の過程を次世代に継承することは可能だろうか。さらに2025年は戦後80年の節目を迎える。戦争体験者から直接体験を聞くことが困難になる中、戦争の記憶をどのように継承していけるだろうか。

 

 デジタル・アーカイブを用いて記憶の継承に取り組む渡邉英徳教授(東京大学大学院情報学環)に、「震災」「過去の戦争」「今の戦争」という三つの観点で、デジタル・アーカイブの今と展望について聞いた。後編では、「過去の戦争」「今の戦争」に焦点を当てる。(取材・本田舞花)

 

【前編はこちら

前編では、関東大震災、能登半島地震、関東大震災など「震災」に焦点を当てました。

 

デジタルアーカイヴのパネル展示前で語る渡邉教授。War in Cities展にて。(撮影・本田舞花)

 

渡邉英徳(わたなべ・ひでのり)教授(東京大学大学院情報学環)

筑波大学大学院システム情報工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。首都大学東京システムデザイン学部准教授を経て、2018年より現職。ハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所客員研究員などを歴任。

 

ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ 過去の戦争と今を重ね合わせて

 

──戦争のアーカイブに込めた思いは

 当事者の皆さんからミッションを受け取り、一緒に制作する形を取ってきています。戦争は自然災害とは違って人為的なものです。そして被害者の立場で作ることが多いため、僕のメッセージを伝えるのではなく、当事者の思いが伝わるように、それを大事にしてコンテンツをデザインすることを心掛けています。美術館をデザインしている、と考えていただくと良いかもしれません。

 

──ヒロシマ・アーカイブ」や「ナガサキ・アーカイブ」では原子爆弾を赤い玉で表していました

 原子爆弾を抽象化して表現しています 。これ以外の解は、今のところ思いつかないです。例えば禍々しいデザインにすると、過度に「原子爆弾」に意識が向いてしまうおそれがあります。

 

「ナガサキ・アーカイブ」より。長崎の市街地と原爆を表す赤い玉
「ナガサキ・アーカイブ」より。長崎の市街地と原爆を表す赤い玉

 

 また、「ヒロシマ・アーカイブ」を開くと、米国から広島に向けて移動。そして、原爆投下前の広島の地図が見えてきて、降下すると火の玉が現れ 、原爆による被害を示す同心円があって……と、B29の視点に沿って展開します 。B29は実際はテニアン島から飛び立ったのですが、爆弾は米国が開発したものなので。

 

「ヒロシマ・アーカイブ」より。広島の古い地図の画像が表示される
「ヒロシマ・アーカイブ」より。原爆投下前の広島の地図の画像が表示される

 

──被害を受けた方のメッセージを伝えるアーカイブだけではなく、加害をした側からのアーカイブを作る可能性はあるのでしょうか 

 2016年に「The Pearl Harbor Archive」を作成しています。真珠湾においては、日本軍の攻撃でアメリカの市民が被害に遭っています。このように「加害者」「被害者」というのは相対的なものです 。大日本帝国はアジア諸国を侵略していましたし、その視点からのデジタルアーカイブを作ることもあり得ると思います。

 

「The Pearl Harbor Archive」より
「The Pearl Harbor Archive」より

 

──真珠湾の情報はどのように提供されたのでしょうか

 ハワイで真珠湾攻撃の被害者に取材し 、書籍として出版したKatrina Luksovskyさんと友人の山本みづほさんからマップの制作を依頼され、引き受けました。

 

 2016年は、写真の自動カラー化技術が生まれた頃でした。悲惨な風景だけではなく、平和な日常の写真をカラー化し載せたことによって、当時の人々の息遣いが蘇るような感じがします。

 

──沖縄戦のアーカイブ化は、広島や長崎のアーカイブ化より大規模なものですね

 「沖縄戦デジタルアーカイブ〜戦世からぬ伝言」は、沖縄タイムス社・GIS沖縄研究室と共同制作しました。沖縄タイムス社は戦争体験者の方一人一人に綿密に取材し 、いつごろ・どこにいたかという行動記録を作成していました 。僕はそのデータを生かしてマップを作成しました。

 

 こうした大規模な調査は、研究室の学生でチームを組んだとしてもできるものではありません。マスメディアの取材力 、そして地元の方との信頼関係があってこそ蓄積できた貴重な資料です。

 

「沖縄戦デジタルアーカイブ~戦世からぬ伝言」 より。戦争体験者の行動記録と戦地の写真
「沖縄戦デジタルアーカイブ~戦世からぬ伝言」 より。戦争体験者の行動記録と戦地の写真

 

──東日本大震災の際に岩手日報社と作成した「忘れない 震災犠牲者の行動記録」も、メディアの力あってこそですね

 亡くなった方の行動記録は、やはり地元紙の岩手日報社だからこそ集められたデータです。5年かけて1326人のデータを集め、震災発生時にいた場所からご遺体が見つかった場所を結びつけて、行動を推測したそうです。家族が一緒に行動していたり、多くの人々が一斉に避難所に向かっていたり。例えば、当時は避難所となっていた陸前高田市民会館に逃げ込んでいますが、避難された方の多くは亡くなっています。

 

 岩手日報社は「同じことを二度と起こさない」というミッションを掲げて取材を行い、同意     を得た遺族の方々から情報を集めていきました。みなさんの思いがはっきりと伝わるように可視化することが僕の仕事でした。

 

──制作で特に工夫したことは

 思いを伝えるために必要な情報を厳選することでした 。文字情報やメッセージは、時には「押し付け」感を生んだり、ノイズとなってしまうことがあります。犠牲者の顔写真のデータも存在していますが、2016年は震災から5年しか経っていないこともあり、ご遺族の心情に配慮して掲載を控えました。  

 

 この5年後には、再び岩手日報社と共同で、遺族が移住した記録のアーカイブ「忘れない 震災遺族10年の軌跡」も制作しました。

 

「忘れない 震災遺族10年の軌跡」より。上に表示された時間軸に合わせて行動記録が表示されていく
「忘れない 震災遺族10年の軌跡」より。上に表示された時間軸に合わせて行動記録が表示されていく

 

──こういった長期的なデータを集められるのも、地元紙と地元の方々の信頼関係あってこそですね

     紙面では、震災の体験者のうち、限られた人数にしかフォーカスすることしかできないかもしれません。多数の人々の長期に渡る行動を、いちどに可視化して伝えられるのはアーカイブの強みですね。

 

──今年10月に日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の方々がノーベル平和賞を受賞されました

 日本被団協の皆さんは、草の根的な活動で市民の信頼を得て、粘り強く活動されてきた点が素晴らしいです。事務局長の木戸季市さんは、僕たちがニューヨークや広島で展覧会を開いた際にも実際に足を運ばれて、自発的にお話されたり、 デジタルアーカイブを体験したりしててくださいました。木戸さんをはじめ、被団協の皆さんは被爆者の思いを伝えるため、 一人の人間として行動されています。その歩みがずっと積み重ねられてきたからこそ、今の被団協があるのだろうと思います。こうした組織のあり方は、一人一人のデータを蓄積して大きな全体像を描いていくデジタルアーカイブと親和性がありますね。

 

──今年は戦後80年です。今後戦争体験者の方からお話を伺う機会はより一層困難になりますが、若い世代が記憶を継承するためにはどのような取り組みが必要になると思いますか

 実は最近、高校生が頻繁に研究室を訪問してくれるんです。先日は長崎東高校と広島の舟入高校の生徒さんが探究学習の一環として来てくれました。広島や長崎の子どもたちは、旧来の平和活動を越えていきたいという問題意識を持ち、戦争の記憶の新らしい伝え方を考えようとしています。

 

 僕は、テクノロジーやデザインの力を活かして、遠い時空間で起きたこと・起きていることと、今の自分たちがいる場所を重ね合わせていくことが必要だと考えています。デジタルアーカイブなど、若い世代の自発的な活動が、活発になっていくと嬉しいです。

 

 渡邉研究室の博士後期課程学生、片山実咲さんは、Minecraft(マイクラ、ものづくりゲーム)を活用した平和学習の研究を進めています 。小学生たちが、原爆投下前の広島・長崎をマインクラフトで再現しながら、被爆者と対話していくという取り組みです。入口は大好きなマイクラで、楽しく取り組みはじめる。その中で悲劇について学んでいくというコンセプトです。

 

ウクライナ、ガザ 戦争の全体像をリアルタイムで

 

──ウクライナ衛星画像マップはどのように始まったのですか

 長年の友人で、空間情報技術の専門家である     古橋大地先生(青山学院大学)が     ウクライナの衛星画像のジオリファレンス(座標を特定しマップ内に配置すること)を始められたんですね。僕はXでその投稿を見て、すぐにマップ化を始めました。こうして、「ウクライナ衛星画像マップ 」プロジェクト が始まりました。

 

 最初にオープンデータとして公開された、ロシアの攻撃を捉えた衛星画像では、「Chuhuiv(チュグエフ)」という地名しか分かりません 。しかしマップ化すると、ロシアとウクライナの国境から数十キロしか離れていないことが分かり 、ロシアが先制攻撃した理由も読み取れるようになります。 一つ一つの個別の情報をマップ化することで、戦争の文脈や全体像が表現できるのです。

 

──特に印象深いデータはありますか

 キーウ近郊のチェルニヒウにあるヤヒドネ学校のデータです。ロシア軍に監禁された子どもたちが 壁にたくさん絵を描いていたり、閉じ込められてからの日付が刻んでいたりします。解放されるまでに、約10名の市民が亡くなってしまったそうです。絵の上手な子もいるのですが、よく見るとハートが破れていたり、天使が泣いていたり。子どもたちの小さな声で、悲痛な体験が語られています。今後、例えばこの学校が取り壊されたら、この記録は消えてしまいます。それを避けるために、地元のCGクリエイターYaroslav Halajcikさんが、自ら現地に赴いて3Dスキャンを行い 、データを公開してくれました。Yaroslavさんからはこの学校以外にも、多数のデータが提供されています。

 

「ウクライナ衛星画像マップ」 より。壁に閉じ込められてからの日付が刻まれている
「ウクライナ衛星画像マップ」 より。壁に閉じ込められてからの日付が刻まれている

 

「ウクライナ衛星画像マップ」 より。壁に泣いている天使や破れたハートが描かれている
「ウクライナ衛星画像マップ」 より。壁に泣いている天使や破れたハートが描かれている

 

──では、「ガザ地区日本支援施設の被害マップはどのように始まったのですか

 ガザ紛争勃発の直後から、衛星画像の分析結果をXで情報発信していたところ、JVC(日本国際ボランティアセンター)の並木麻衣さん(当時JVC在籍)から、日本が支援していたガザの施設の被害をまとめたいという依頼があり、始まりました。 

 

 現在はカタールのAl Jazeera Media Network(中東を代表する衛星放送企業)と共同で、ガザの戦争被害を追体験するVRコンテンツの共同開発を進めています。 

 

──特に印象深いデータはありますか

 二つあります。一つ目は、ガザ地区の北部、アズハル大学付近の衛星画像です。モスクが破壊され、庭に車両の走行跡でダビデの星(ユダヤ人やユダヤ教の象徴とされる星形)が描かれています。とても強烈でした。この紛争におけるイスラエルの姿勢を顕しているように思います。ただ、僕はこの画像について特に論評はせず、見た人が自分自身で、その意味を考えてもらいたいと思っています。

 

渡邉教授のXより。アズハル大学付近の破壊されたモスクの広場に,車両走行跡で描かれている
渡邉教授のXより。アズハル大学付近の破壊されたモスクの広場に,車両走行跡で描かれている

 

 二つ目はアル・シファ病院の新生児のベッドで、想像を超えるものでした。イスラエルによる退避勧告時には39名の新生児がいましたが、避難前に8名が死亡しました。ベッドに多数の新生児が並べられていますが、この後どうなったのかについては、誰でも想像できるところかと思います。イスラエルの侵攻によって起きていることを、強いメッセージとともに伝えてくれるデータです。

 

「AI Shifa Hospital Babies 01」より。アル・シファ病院の新生児ベッド
「AI Shifa Hospital Babies 01」より。アル・シファ病院の新生児ベッド

 

──病院といった本来攻撃されるべきではない施設が破壊されているのですね

 街路の破壊の様子などは、まだ僕たちの想定内かも知れません。でも、例えばこの破壊された病院の中庭に集まる患者たちの状況は、想像を絶するものです。侵攻の被害を最も受けているのは、何の責任もない市民や子どもたちだということを、これらのデータはありありと表現しています。

 

「AI Shifa Hospital People 01]り。倒壊したアル・シファ病院の中庭の様子
「AI Shifa Hospital People 01」より。壊したアル・シファ病院の中庭の様子

 

──ガザのアーカイブは、本当に歩いているような臨場感がありますね

      最新の技術である「3DGS(3Dガウシアン・スプラッティング)」を用いています。映像を機械学習で処理させると短時間でリアルな3Dデータにしてくれます。今回は、Al Jazeera Media Networkが戦地で撮影した貴重な映像を立体化しました。この技術により、これまで蓄積されてきた、さまざまな出来事を捉えた膨大な映像をリアルに立体化できるのです。

 

 Al Jazeera Media Networkはイスラエルに排除されており、手間のかかる3Dスキャンを行なうことはできないのですが 、過去に撮影した映像を用いて、現地の状況を再現することができます。

 

──ウクライナのアーカイブ制作とガザのアーカイブ制作で、違いはありましたか

 ウクライナのプロジェクトでは、民間企業による衛星画像をデジタルアーカイブ化したこと。ガザにおいては海外のマスメディアや国連機関との連携が生まれたことですね。

 

 特に、ガザ地区における「過去の映像の立体化」が可能になったのは 、3DGSという画期的な技術が登場したおかげです。衛星画像や3D化など、時代の流れとともに生まれる新たな技術を活用することで、アーカイブのかたちも変わっていきます。

 

──現地の今を記者やリポーターを通じて伝えることと、デジタルアーカイブでマップ化して伝えることでは、どのような違いがありますか

 テレビでは1度映像が放送されたら、基本的にそれでおしまいです。先ほどの新生児のデータも、Al Jazeera Media Networkの番組においても 一瞬流れるだけでしょう。冒頭に説明したフローとストックのコンセプトでいえば、メディアはフローです。どんどん流れ去っていき、後から遡(さかのぼ)って検証することは、基本的にありません。一方、僕たちが作成したアーカイブでは、新生児がどんな状態でベッドに寝ているのか、病院はどういう状況なのか…と、その場所にタイムスリップしたかのように、思い思いの角度から観察できます。過去の空間を再現できるアーカイブは、フローとして流れ去っていく出来事を、ストックする場としても機能します。

 

 また、メディアにストックされていた映像データを、最新技術で再活用して対話を生み出していく「ストックのフロー化」と解釈することもできます。これまで、メディアはとにかく情報のフローを流し続けることが使命でした。技術の進化に伴い、ストックされた映像データの再活用の可能性が拓けたということです。    

 

──災害や戦争といった国内外の出来事を、若い世代が自分ごととして捉えるために、テクノロジーには何ができますか

 テクノロジーを活用することで、時間的・空間的に遠い出来事を、自分がまさにその場にいるかのように感じられますね。例えば、能登半島地震のデジタルアーカイブについて 、被災地からズームバックしていくと地球があります。このことにより、被災地と自分が住んでいる街は、同じ地球上に存在している、と感じることができます。この体験が、被災地と被災者への共感を生むのです。

 

 さらにマイクラを生かした平和学習の例のように、子どもたちが好きなを活用することで     学びのハードルが低くなり、重いテーマを扱う平和学習にも、楽しく取り組むことができます。戦争が進行中のガザやウクライナについて「楽しく」学ぶのは難しいことですが、過去の戦争について学ぶにあたり、楽しめるかたちからスタートする、というのは良いことだと思います。

 

 今後も新たな世代による記憶継承の在り方が生まれ、発展していくことを願っています。

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