2024年1月1日、能登半島地震が起きた。未曽有の大災害を前に、情報は錯綜(さくそう)し、人々は混乱した。震災当時の実情、そしてその後の復興の過程を次世代に継承することは可能だろうか。さらに2025年は戦後80年の節目を迎える。戦争体験者から直接体験を聞くことが困難になる中、戦争の記憶をどのように継承していけるだろうか。
デジタルアーカイブを用いて記憶の継承に取り組む渡邉英徳教授(東京大学大学院情報学環)に、「震災」「過去の戦争」「今の戦争」という三つの観点で、デジタルアーカイブの今と展望について聞いた。前編では、「震災」に焦点を当てる。(取材・本田舞花)
【後編はこちら】
後編では、広島と長崎への原爆投下や沖縄戦などの「過去の戦争」、そしてウクライナやガザで起こっている「今の戦争」のデジタルアーカイブに焦点を当てました。
渡邉英徳(わたなべ・ひでのり)教授(東京大学大学院情報学環)
筑波大学大学院システム情報工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。首都大学東京システムデザイン学部准教授を経て、2018年より現職。ハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所客員研究員などを歴任。
デジタルアーカイブの今 資料を「ストック」から「フロー」へ
──渡邉研究室では、どのような研究をしていますか
社会に蓄積された資料をテクノロジーを用いて利活用する研究をしています。このことにより「ストック」されていた資料を「フロー」化し 、人々のコミュニケーションを生み出せる流れに変えていくことを目指しています。戦争や災害に関するデータはもともと人の目に付きづらいところにストックされていることが多いですからね。
──その具体的事例として、「多元的デジタルアーカイブズ」(データをVR・AR空間にマッピングする取り組み)に取り組んでいるのですね。デジタルアーカイブ研究の「今」について教えてください
もともと「アーカイブ」とは「保管庫 」のような意味です。「デジタルアーカイブ」の概念ができた頃には 、書籍や写真をデジタル化して保存するという意味合いが強かったのですが、最近では最初からデジタルで作成されるデータ・資料の方が多くなっています。
また、先日、東大で開催されたデジタルアーカイブ学会の研究大会でも話題になったように、「生成AIとどう向き合っていくのか」について考える必要も出てきています。デジタルアーカイブは真実に基づく資料を保存することがミッションですが、果たしてAIが作り出したものは真実なのか、というのが論点です。
──結論は出たのでしょうか
結論は出ませんでした。僕は、人とAIがコラボレーションするのが良い着地点だと思います。AIに手伝ってもらいながら、今まで人類が積み上げてきたさまざまな営為・思いを未来に継承していくというのが現在の目指すビジョンです。
──AIを便利なツールとして活用していくような形でしょうか
ツールよりも格上の「人類のパートナー」ですかね。ChatGPTの最新版「o1」のIQは120を超えるとされ、大抵のヒトよりも賢いともいえます。AIはすでに知性を獲得していると考え 、敬意を持って共同で「取り組んでもらう」と位置付けるのが良さそうです。
──渡邉教授は、さまざまな震災や戦争のアーカイブを作成していますが、どのような経緯で制作したのでしょうか
2010年の「ナガサキ・アーカイブ」は、その前年、09年の「ツバル・ビジュアライゼーション・プロジェクト」がきっかけで制作されました。南太平洋の島国であるツバルは、海面上昇による水没危機に瀕しています。しかし実際の人々の暮らしや街の姿はほぼ知られていません。ツバルに暮らしている人々の日常を伝えるために、ツバルで活躍している写真家の遠藤秀一さんと一緒に作りました。
「ツバル・ビジュアライゼーション・プロジェクト」は文化庁メディア芸術祭で受賞・展示されました。展示を見た長崎の被爆3世・鳥巣智行さんたちから、同じ手法で長崎の被爆者の記録を発信できないかとオファーがあり、「ナガサキ・アーカイブ」を制作しました。するとそれを見た広島の被爆2世の方から連絡が来て「ヒロシマ・アーカイブ」を。さらにそれを見た沖縄の方から打診があり「沖縄戦デジタルアーカイブ 〜 戦世からぬ伝言」ができました。バトンタッチされるような感じで作っていったんです。
能登、東北、東京 過去と未来を重ね合わせる
──昨年1月には「能登半島地震フォトグラメトリ・マップ」を制作しました。制作の経緯は
1月3日に国土地理院が空中写真(2日に撮影)を公開したのがきっかけです。2023年2月のトルコ・シリア地震の時はMaxar technologiesという衛星写真を配信している会社のデータを使用していました。高コストなので入手が難しいのですが、災害時にはオープンデータにしてくれるんです。しかし能登半島地震の時は公開してくれなくて。どうしたもんかと思っていたところ、国土地理院のデータを見つけました。
被災状況が分かるマップを制作しようとしていたところ、CG制作会社のSTUDIO DUCKBILL が能登半島を3Dモデル化していることを知りました。能登半島の地形は起伏に富んでいるので、立体マップのほうが状況把握に適していると考え、STUDIO DUCKBILLがデータをX上で公開してから6分後にデータを使用したいとリプライしました(笑)。マップを公開したのは、それから大体5時間後です。
このスピード感は24年ならではですね。プログラミングをしなくてもマップを作成できるツールや写真から3D化する技術を簡単に利用できるようになりました。東日本大震災のアーカイブ化の際はマップの作成や写真のアングルの再現に膨大な時間がかかりましたから、当時の自分が現在の仕事のスピード感を見たら驚愕(きょうがく)するかも知れません。
デジタルアーカイブという語感には、過去のデータをコツコツと蓄積していくような印象があるかも知れません。しかし災害発生時にはリアルタイムでデータを処理して、速やかに人に届けるというニーズがあり、それも可能になってきています。
──読売新聞社の「令和6年能登半島地震被災状況マップ」にも学術指導として携わりました
2023年の4月から読売新聞社と学術指導契約を結び 、デジタルアーカイブの構築手法を1年かけて教えてきました。1期生のチームは20名ほど。24年は約30名の2期生に指導を行っています。
ジャーナリストと研究者は、得られたデータが真実かどうか検証する必要がある点でかなり似ていますね。震災発生当日にコンテンツを公開できたのは、記者の方々にそもそも優れた情報収集能力があり、さらに訓練を積みアーカイブの制作能力を磨いてきたことがあると思います。
──メディアが記録をアーカイブ化する意義とは
読売新聞社が取り組んだデジタルアーカイブには、 震災対応のような即時性のあるものだけではなく、例えば 「世界自然遺産・天地人」という アーカイブなどもあります 。これなどは、大量の写真や資料を保有しているメディアならではのアーカイブといえます。
また、新聞社がデータ報道(オープンデータを解析し、見つかったニュースをビジュアル化して伝えること)に徐々に舵を切りつつあることは良いことだと思います。メディアがスタイルを変えつつある時期に、デジタルアーカイブの手法が役立っていることはうれしいです 。僕の子どもたちもそうですが、若い人たちは新聞を読まないしテレビも見ないですよね。どうすれば、こうした世代に情報を届けていけるのか。 従来の取材力を生かした、新たな報道の形があり得るはずです。その一つの例が「令和6年能登半島地震被災状況マップ」だと思います。
──震災の記憶をアーカイブ化することで復興に向けてどのような影響がありますか
能登半島は地理的にアクセスしづらく、被害の実態を知ることが難しい土地です。例えば、デジタルマップで震災前後を比較してみると、地殻変動で港が使えなくなり 、漁師の方々が生活できなくなってしまっていることが分かります。港を改めて作り直すとしても途方もないお金がかかります。どのように復興するべきか、という根本的な問題が見えてきます。
また、こうした震災は、日本のどこでも起こりえることなのだ、という意識の啓発も必要です。デジタルアーカイブは、現地の実情を知り、支援の在り方について真剣に考えるきっかけになるものと思います。
1月15日に石川県で「災害デジタルアーカイブの最前線」というイベントを開催し、デジタルアーカイブの展示や地元の方を交えたパネルディスカッションを行う予定です。その際に、地元の方々にデジタルアーカイブ作りを教えるワークショップを行います。専門家がいなくとも、現地のかたがボトムアップで災害データをアーカイブ して、即時に活かせるような動きができると嬉しいです。
──「東日本大震災アーカイブ」制作の過程は
東日本大震災の発災直後には、まずホンダやTOYOTAが公開していた通行実績情報をデジタルマップに重ね合わせ、公開しました。次いで、被災地の写真のアーカイブも作成し、大きな反響がありました 。その後、朝日新聞社から、被災者の方の証言データを提供したいと申し出があり、アーカイブが完成しました。
2012年には、Twitter Japan(当時。X Corp. Japan)が研究用途向けに、東日本大震災発生直後の全ツイートデータを提供してくれました 。位置情報が含まれる約5000件のツイートををマップに載せてみると、いわば「その時の気持ち」のアーカイブができあがりました 。例えば被災地では「みんな生きてるか」「母は避難したのか」といった、切迫した内容のつぶやき が多いです。震度五強を記録した東京では交通機関のマヒなど、非日常を捉えたつぶやきが多数みられます。関西以西では、「大変だね」「頑張ってね」といった、当事者意識のないつぶやきもみられます。このように、その時の人々の感情がそのまま情報空間に残されているのです。
──関東大震災のアーカイブ化もされています。リアルタイムではない震災をアーカイブ化する際の目的や制作過程の違いは
「デジタルツインでたどる関東大震災直後の航空写真」ですね。国立科学博物館の関東大震災100年企画展「震災からのあゆみ─未来へつなげる科学技術」に向けて制作しました。100年前の空撮写真と現在のデジタルマップを重ね合わせています。建物や地形から撮影位置とカメラアングルを特定し、一枚一枚、手作業で重ねていきました。こうしてみると例えばタワマンが立ち並ぶ湾岸エリアが 、100年前は火災で焼け野原になっていたことなどがわかります。僕たちが通う東大の本郷キャンパスも、当時は火災による大きな被害を受けています。
関東ではたまたま100年間、こうした大地震が起きていないだけです。近い将来、関東大震災と同規模の地震が起きたとしたらどんなことになるのか、考えるきっかけになればと思います。
──アーカイブとして集積された情報を伝えるために、発信のあり方で工夫している点はありますか
「視覚的に伝える」ことを大切にしています。インターフェイスには、 文字情報をほぼ使っていません。画面上で展開されている画像や映像に集中することが共感につながると思います。
僕が建築学科出身であることも影響しています。例えば建物の入り口に「こうお過ごしください」って長い説明書きがある建物って、嫌ですよね。「当時を追体験せよ」とユーザに命じるのではなく、自然と行動が示唆されるようなデザインをすることを大切にしています。
証言者の方の顔写真をアイコンにするとか、画面には余計な文字を入れないとか、見た人がクリックしたくなるような大きさにするとか。そういった工夫を施しています。