学術

2016年3月5日

ディカプリオの「ディ」って何? イタリア語選択の東大生が徹底解説

ディカプリオ

 

 アメリカの俳優、レオナルド・ディカプリオさんが、映画『レヴェナント:蘇えりし者』でアカデミー賞・主演男優賞を受賞しました。僕も『グレート・ギャッツビー』や『インセプション』といった作品で彼の演技を見てきたので、感慨深いものがあります。東大を代表する映画好き教授の藤原帰一先生も、彼の受賞を喜んでおられる様子(?)でした。

 

“di”は「出身」や「所属」を意味する

 ところで皆さん、彼の苗字「ディカプリオ」をアルファベットでどう書くかご存知ですか。トップ画像のように、“DiCaprio”と書くんです。ここで「あれっ」と思った方、いらっしゃいませんか。そうです、”C”が大文字なんです。英語で人の名前を書くときは、語頭の一文字のみを大文字にするのが基本のはず。どうして彼の名前では、語中の”C”が大文字なのでしょう。

 この謎を解くカギは、その直前の”Di”にあります。”di”は、イタリア語で「~の」や「~から来た」を意味する単語で、英語の”of”や”from”に相当します。たとえば、イタリア語で「私は日本から来ました」は”Sono di Giappone”(=”I’m from Japan”)と言います。つまり、「出身」や「所属」を意味するのがイタリア語の“di”なのです

 それでは、”Di”の後の”Caprio”とは何か。これは、イタリア南部ナポリの近くに浮かぶCapri島を指しています。つまり”DiCaprio”は「Caprioから来た」という意味で、”Caprio”は地名であるがゆえに、語頭の”C”が大文字のまま残っているのです。ここから、彼の先祖はCapri島の出身であることが推測されます。

 

実はあの人も

 ここまでで”Leonardo DiCaprio”という名前は「カプリのレオナルド」を意味していることがわかりましたが、同様の構造の名前を持つ欧米の著名人は他にもいます。

 同じくアメリカで俳優として活躍するロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)や、戦後最初のフランス大統領となったシャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle)の名にある”de”もまた、彼らの先祖の「出身」を表しています。言ってみれば、「ニーロに属するところのロバート」や「ゴールに起源を持つシャルル」が、彼らの名前の意なのです。

 “de”はフランス語で「ド」または「ドゥ」、スペイン語で「デ」と発音される語ですが、意味はイタリア語の”di”とほぼ同じ。中世イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチやポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマの「ダ」”da”も、同じように「出身」の意味で使われています。

 

実は日本でも(?)

 同様の現象は日本でも見られます。現代の日本では姓と名の間に「の」を入れることは普通ありませんが、かつては違いました。「いい国つくろう鎌倉幕府」の源頼朝は「みなもと”の”よりとも」であり、摂関政治で平安朝を牛耳った藤原道長は「ふじわら”の”みちなが」と呼ばれます。さらに時代をさかのぼると、「なかとみ”の”かまたり」なんて人もいましたよね。

 彼らもまた、ディカプリオと同様に自分の属する氏族や出身地を名乗ることで、自らが何者であるかを表明していたと言えるでしょう。現代に暮らす日本の私たちも、「の」を省略するようになったとはいえ(藤原帰一先生は「ふじわらきいち」先生であります)、今でも通常は、父方の祖先が属する氏族や地名などを自分の姓として使っています。

 私たちは名を名乗るたびに自らの起源や所属がどこにあるのかを説明しているのだ、あるいは核家族化の進んだ現代においては自分の家族を代表して名乗っているのだ、と考えられるかもしれません。

 

西洋と東洋で差があるのはなぜか

 ここまで考えを進めたところで、私は一つの疑問に突き当たりました。なぜアメリカなど西洋の国々では名を先に、日本のような東洋の国では姓を先に書くのでしょう。なぜ東洋では「どこ」の「だれ」という順で名乗るのに、西洋ではまず「だれ」が来て、それを「どこ」が後置修飾する形になっているのでしょうか。

 この疑問に対する答えとして、私が思い至った仮説が一つあります。それは、西洋では個人が重視されるためにまず自らの名前を述べるのに対し、東洋ではどこの集団に属しているかがより重く見られるので姓から名乗るのではないか、というものです。つまり、西洋の個人主義的な性格と東洋の集団主義的な性格が、姓名の順を決定する要因になっているのではないでしょうか(東洋人と西洋人の心理の違いについては『木を見る西洋人 森を見る東洋人』が詳しい)。

 したがって、西洋では「あなたの出自は後でいい。まずあなたは誰なのか教えてくれ」という順序なのに対し、東洋に属する日本では「まずはあなたがどこから来たのか知りたい。あなた個人の名前は後の話だ」という発想で話が進むのだと考えられます。実際の日常会話を考えてみても、西洋ではビジネスシーンでもファーストネームで呼び合う光景がよく見られますが、日本語では苗字で呼ぶのが普通ですよね。

 「ふじわらの」という言葉を名の頭につける人々が朝廷を牛耳っていた平安時代の日本に関していえば、「藤原」氏という集団が、「道長」のような個人を超越し所有する巨大な存在とみなされていたのかもしれません。現代の日本では、その頃と比べれば遥かに個人が重視されるようになったでしょうが(誰が藤原帰一先生を「藤原家の人間」と見るでしょう)、今でも互いを苗字で呼び合うのは、そうした傾向の名残とも考えられます

 一方のレオナルド・ディカプリオは、あだ名で”Leo”と呼ばれたりするとのこと。それはやはり、彼個人に対する愛称と見るべきでしょう。彼の名前が”Caprio’s Leonardo”でない理由も、”Leonardo”という彼個人の名前の方が、”Caprio”に起源があることより重要だからなのかもしれません。

 

大学新入生のあなたに

 私はこれまでに第二外国語のイタリア語から始めてスペイン語、フランス語などの言語を学びましたが、これらの起源であるラテン語は西洋文明の一つの基盤なので、少しでも学んでおくと、このように西洋の言語全体を理解するのに役立ちます。この文章をお読みの方に4月からの大学新入生がいたら、第二外国語はラテン系を選んでみては? きっと新しい発見がありますよ。

 

(文:井手佑翼 写真:須田英太郎

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