多様性と包摂性(D&I)の推進を掲げたダイバーシティ&インクルージョン宣言を東大が発表してから、6月23日で1年になる。女性リーダー育成のための施策「UTokyo男女+協働改革#WeChange」やD&Iを掲げる教育プログラムが始動したり、駒場Iキャンパスでの生理用品の配布など学生の要望が実現されたりと、東大内の包摂性は確かに推進された。一方で、部局ごとの連携などの課題を指摘する声もある。学内の包摂性を推進する上での課題を教育プログラムの現状を基に整理する。また、大学の施策決定の場に学生が包摂された事例から今後の方向性を探る。(取材・佐竹真由子、岡拓杜、佐々ひなた)
本年度、D&Iをうたう教育プログラムが前期教養課程・後期課程のそれぞれで新たに整理された。後期課程で教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センターが行う学部横断型教育プログラム「バリアフリー教育プログラム」は「ダイバーシティ・インクルージョン教育プログラム」に改編された。D&Iを実践的に学び合う場として2020年度秋から始まった駒場キャンパスSaferSpaceに引き続き、本年度は体系的に学問的知見に触れる機会として前期教養課程のD&I関連授業が新設された。各課程の教育プログラムの担当者に、大学が多様な学生を包摂するために求められることについて聞いた。
主体性に基づく意思決定を保障するための教育へ
──教育プログラムの改編の経緯を教えてください
バリアフリー教育プログラムの開始から12年が経ち、当初は一般的だった「バリアフリー教育」という用語が近年では用いられなくなったことや、教育プログラムの拡充によりバリアフリーという用語では説明できない授業も増えたことから、昨年度の初めに改称の検討を始めました。同時期に発表されたD&I宣言の理念に賛同し、協力したいと考え、名称を「ダイバーシティ・インクルージョン教育プログラム」に変更しました。この名称はバリアフリー教育に取って代わったインクルーシブ教育という用語や、教育学部の掲げる「インクルーシブな知性」の育成というミッションにも合致します。
──近年「インクルージョン」という言葉を学内外でよく耳にします。なぜ「バリアフリー」が「インクルージョン」に置き換えられるようになったのですか
「バリアフリー」という用語は、障害による不利益や不便さ、生きづらさには社会的なアプローチで対処すべきだとする「障害の社会モデル」に基づきます。障害者が直面する困難を、個人の心身機能によって生じる個人的な問題ではなく、障害のないマジョリティーの都合で社会の制度や環境が作られているために生じた社会的な問題であるとする考え方です。しかし、近年では、障害を取り除くことに加え、多様な個人が主体性に基づいて自己決定、行動できるように人権や尊厳を保証する「障害の人権モデル」に基づく知性が求められているためです。
──改称に合わせ、プログラムの修了要件が緩和されるなど、制度や内容が変更されました。変更の目的や、変更に当たって重視したことは
これまでバリアフリー教育プログラムの修了者への修了証発行が卒業と同時で、就職活動や進学に活用できないことを要因に、修了者の数が伸び悩んでいました。また、プログラム修了のために指定の科目を受講することが、学生本人の関心や研究上の必要に応じた授業選択を妨げてはならないという思いもありました。このため、プログラムの修了者を送り出すという元々の目的を、ダイバーシティ・インクルージョンに関連する科目を一覧にして可視化することをより重視する趣旨に変更しました。授業を可視化することで受講の動機にしてもらうことが大事だと考えています。今後は修了証を活用できるものにすることも視野に入れています。
──プログラムでは、多様性と包摂性の推進に向けてどのような取り組みをしていますか
バリアフリー教育開発研究センターが運営しているダイバーシティ・インクルージョン概論はオンラインで実施することで、全てのキャンパスからのアクセスと、それぞれの体調や事情に応じた録画提供などの対応を可能にしています。また、学生からの配慮の申請は全て認め、対応しています。このような取り組みによって、より多くの学生に気軽に受講してもらいたいです。
──包摂性を推進するための取り組みを聞きましたが、経済的事情から教材をそろえることが困難な学生など、まだまだ疎外されている学生がいます。教育プログラムがさらに包摂性を推進するには、どのような変更や拡充が必要でしょうか
ここ1年で本部や各部局がさまざまな取り組みを始めました。本部や各部局の取り組みを総括的に検証し、取り残されている需要を拾い上げる必要があります。
また、バリアフリー教育開発研究センターでは、教育学部セイファースペース(KYOSS)を運営しています。個々の学生の感じている不安や孤立に焦点を当てており、学業や友人関係の悩みや困っていることを共有し、学生同士がゆるくつながることができる場所を志向しています。ただ、運営予算が大きな負担になっています。大学全体で、包摂性の推進のための取り組みを可能とする環境を整えることが重要だと思います。
さらなる包摂を目指して、変わる大学、変わる教育
──駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)とは
KOSSは自らのマイノリティー性を開示するかどうかにかかわらず、多様な学生が問題に関わり議論できる場です。D&Iの勉強や実践の場、一息つく場を求めてなど、さまざまなきっかけで関わり始めた学生が、お互いの経験や知識、思考を統合し学知に照らし合わせながら、アカデミックなレベルにまで昇華することを目指す教育プログラムとして立ち上げました。
──大学のカリキュラムとKOSSはどのような関係にあるのでしょうか
前期教養課程生にもマイノリティーとしての経験や問題意識はありますが、それが後期専門課程や大学院で身に付けられる学問的知見と結び付く必要があります。KOSSは、個別の経験と学知との両者を持ち寄ってカリキュラムの外での新たな学び合いの場を創出することを目指しています。とはいえ、前期教養課程でももう少し体系的に学問的知見に触れる機会も必要です。そこでカリキュラムとして始まったのがD&I関連授業です。
──D&I関連授業の必修化などは考えていますか
今のところ計画はないです。第一に将来の進路に応じてD&Iについても学ぶべき内容が変わってくるので、1年間で教えきるのは難しいことが理由です。また、必修の弊害として、学生側に受け入れる土台がないとうまく飲み込めないことが挙げられます。むしろ、今は複数の授業から自分の専攻や関心に応じた分野を選択できるので、それを入り口にして、D&Iについてさらに広く深く考えてもらえればと思っています。
──東大は「男女+協働改革#WeChange」といった取り組みを始めましたが、依然として男女二元論的な考え方をしているようにも見受けられます
大学が力を注ぐ政策でカバーしきれない人は必ず出てきます。何らかのアイデンティティーのカテゴリーに全ての人がきれいに収まるわけではない以上、それは全員を包摂する準備ができたと言う宣言にはならないわけです。なるべく多様な人たちが不利益なく活動できるように最大限の努力をすることしかできない。重要なのは、取りこぼしによる問題点が指摘されたときに、大学がコミュニティーとしてそれを解決していこう、考えていこう、という姿勢をとることだと思います。「男女+」はそういうメッセージを出そうとしたのだと思います。
──多様な不満や要望をくみ取るに当たり窓口の再編などは考えていますか
大学にはハラスメント相談などの制度があって、対応の迅速さと丁寧さのバランスを意識しながら制度面の改善には取り組んでいます。しかし、人間が担当する以上、うまくいかないことももちろんあり得ます。リスクを分散させる面でも、窓口は統合しすぎず複数に分かれている現状が良く、むしろ注力すべきは、今ある制度の周知でしょう。ただ、制度や組織は常に頼れるわけではないので、それぞれの人が自分にとってのセーファースペースをどれだけ多く持てるかということも大事です。ハラスメントやマイクロ・アグレッションにあった時にそのことについて話のできる、頼ることのできる人を増やしていく意味でも、前期教養課程の段階でD&I関連授業をきちんと提供することは大切です。
──これからの東大はどうあるべきでしょうか
大学自体が社会における一種のセーファースペースであってほしいと思います。自分の経験や感覚、興味を出発点として人類が蓄積してきた学知に触れ、それを発展させていくために、大学は特定の経験だけを特権化することなく真に自由に思考できる場であることが理想です。D&Iはそのために必須なのです。同時に、大学だけではなく社会もよりセーフで自由な場所になっていく必要があり、そのための思考や知恵や技術を持った市民を教育するのも大学の使命です。社会を変革する土台となる学びや経験を東大で培ってくれることを学生に期待しています。
昨年10月に始まった駒場Iキャンパスでの生理用品の配布は、教養学部と学生自治会の協働によって実現した(表1)。当初、教養学部では女子学生支援の観点から女子トイレに設置するとしていたが、学生自治会の取り組みや要望を踏まえ、本年度Sセメスターからは男子トイレにも設置することになったと東京大学新聞社の取材に答えた。性別を問わず多くのトイレで生理用品が入手可能な、より包摂的な施策が学生からの意見により実現した。ここでは、大学が学生の要望を施策に反映することの困難や可能性について考える。
教養学部は、D&I宣言に先立つ昨年5月に、新型コロナウイルス感染症拡大防止とキャンパス滞在の両立のため、学生の要望を集めるためのウェブサイト「キャンパスライフ改善サイト」を立ち上げた。東京大学新聞社は、学生の声を施策に反映させる意義を教養学部に聞いた。今年1月には駒場Iキャンパスにウォーターサーバーが設置されたが、これは環境問題に取り組む学生団体による提言を受けたものだ(表2)。学生の要望が聞き届けられる過程での困難について、提言を行った学生団体UTokyo Sustainable Networkのメンバーに話を聞いた。
学生の声が優先度の指標に
教養学部
──「駒場キャンパスライフ改善サイト」に集まった学生からの要望で、学部にとって特に参考になったものは
特に多く寄せられた東大生協駒場食堂の混雑解消の方策として、試行的に昨年7月からキッチンカーの導入を行いました。従前から検討を重ねていたものもありますが、学生の皆さんから声を上げていただいたことをきっかけに、どこに優先的に投資すべきであるか判断できました。駒場キャンパスライフ改善サイトは、これからも学生の皆さんの生の声を吸い上げる仕組みとして有効に機能させていければと考えています。
──学生から意見を集めることで、教養学部の制度や駒場キャンパスの改善が見込まれやすいのはどういった部分でしょうか
費用対効果を考慮しながら、予算の中で実現可能なものから対応しています。学生の皆さんがキャンパスライフを営む上での課題は、ハード面・ソフト面ともに学部・研究科にお示しいただき、学生・教員・職員が一体として解決に尽力する体制を継続したいと考えています。
大学に学生の声を届ける難しさ D&I宣言に期待
UTokyo Sustainable Network
環境問題に取り組む学生団体やプログラムのメンバーが、東大を持続可能な社会のモデルとするという理念の下にプロジェクトを持ち寄り2021年に誕生したネットワーク。
──ウォーターサーバー設置に至るまでの歩みは
自らの行動が環境に与える影響について学生が考えるきっかけになることを狙いとしています。一部メンバーが以前から問題意識を持っており、団体結成直後の2021年から取り組み始めました。企画書を作り大学に提言をするも当初は具体的な動きにはつながらず、学部交渉に挙げるなど別のアプローチも考えました。しかし東大がGX(グリーントランスフォーメーション)推進を始めたことをきっかけに昨年10月、大学からFSI(未来社会協創推進本部)でのプレゼンターを依頼されました。そして昨年度末に、駒場Iキャンパスにウォーターサーバーが13カ所設置(うち12カ所は大学、1カ所は東大生協による)されました。現在各サーバーに設置した機器でモニタリングを行っており、情報の分析を通してより良い運営につなげています。
──大学に自分たちの声を届けることに、どのような難しさを感じますか
東大がGXを推進するまでは、大学に企画を提案しても具体的な動きにはつながらないことも多く、 歯がゆさを感じていました。また学部同士の連携が薄く、キャンパス全体での取り組みを実行するには時間がかかってしまいます。活動に関われる期間が限られる学生だからこその難しさを感じています。
──学生側にはどのような課題があると考えていますか
学生が一丸となって問題に取り組む姿勢を持つことが重要です。21年に行われた学部交渉では学生からの要望として「自販機の増設」が挙げられるなど、持続可能性という点においてウォーターサーバー設置と矛盾する部分ができてしまっています。またUTokyo Sustainable Networkには現在100人超のメンバーがいますが実際に活動しているのは一部で、在籍メンバーの多くが留学生で日本人学生が少ないのも課題の一つです。学生全体がサステナビリティー関連の問題意識を共通して持ち、働きかけ続けることが必要だと強く考えています。
──D&I宣言が出され1周年となります。D&I宣言が出たことで、団体の活動に何か変化はありましたか
今のところ変化は感じていません。団体の活動とD&I宣言が目指す多様性・包括性の実現にはつながる点が多いと思います。この宣言を通し大学が学生と対話する姿勢を今以上に取るようになり、学生が思いを実現できる機会が増えることを期待しています。
【記事修正】2023年6月27日午後11時10分 表1、表2を差し替えました。