インタビュー

2024年10月20日

海外の大学の模倣にとどまらない大学運営を 学生との対話を忘れてはならない

 

 法人化という未曽有の変革を経験した2人の総長のインタビューからは、国立大学法人としての大学の課題と可能性が見えてきた。運営費交付金の減少とどのように向き合い、社会からの要請、学生の意見をいかに大学の意思決定に反映させるのか。20年にわたり国立大学法人が根本的に抱えてきた課題が学費問題を機に顕現した。この危機を前にして東大は進むべき方向へと舵(かじ)を切れるだろうか。海外の事例は一つの羅針盤となり得る。米国の大学を中心とした比較大学論を専門とする福留東土教授(東大大学院教育学研究科)に、大学経営や意思決定の場への学生の参画について話を聞いた。(執筆・丹羽美貴)

 

──今回の学費問題をどのように捉えていますか

 

 運営費交付金の減少や物価高によるコスト増が背景にあり、授業料値上げは致し方がないと思います。

 

 東大は国立大学法人化以降、20年にわたって授業料を据え置いてきました。学生の金銭的負担を考慮して引き上げを踏みとどまってきた側面もある一方で、財政状況の変化を考慮し、少しずつ増額することもできたはずです。10万円を一度に値上げすることで学生の反対が起こることは無理のない側面があります。ただ、授業料を引き上げると同時に授業料を全額免除する世帯の幅を広げるという経済支援の拡充策を打ち出した点にもきちんと着目すべきです。また、教育の質を維持するには誰がどれだけ負担するのかという大局的視点で議論することが重要です。

 

──米国の大学は授業料が日本よりも高額です。奨学金制度などの支援にはどのような特徴がありますか

 

 日本に比べてより細かく奨学金の額が設定されているのが特徴です。同学年の学生間で実質授業料の額が異なっているのは、米国だとごく当たり前です。家庭の資産や世帯収入をもとに一人一人に合った奨学金の額を設定します。東大だと、授業料を全額免除、半額免除、免除なしの3パターンのみの状況です。これだと、奨学金の対象幅の設定が粗すぎるので、米国ほどではなくてもきめ細やかな経済支援の設定が必要だと思います。

 

──海外で行われているエンダウメント型経営への移行も注目されています

 

 特に米国では公的なお金に頼って大学を支えるというよりも、大学が自分たちで民間から資金を獲得しようとするエンダウメント型経営が行われています。公費削減は米国でも大きな課題ですが、これにより、大学自身の自律的な判断に基づいた経営が可能になります。

 

 実際、米国大学の財源では、州や連邦からの補助金の他に寄付金が多くの割合を占めており、寄付金を運用して得た資金を奨学金などに回しています。エンダウメント型経営の基となる寄付金をどれほど集められるのかは大学によって異なり、教育の質にも差が出てきやすくなります。そうしたメリット・デメリットを考慮した上で日本でもぜひ取り入れていきたいものです。

 

──日本ではどのようにエンダウメント型経営に移行すべきだと考えますか

 

 米国と日本では文化的土壌が異なるので、米国を模倣するのではなく日本に合った形での実施が望まれます。

 

 「社会が大学を支える」という文化や慣習自体が薄いのが日本の特徴です。現状では、「大学に育てられた」という愛校心が希薄なので、東大を卒業し、社会で活躍している人々が東大に寄付をするという事例は多くありません。日本でも同窓会組織が活発な大学があるので、それらが良い例となると思います。国からの補助金が減ったからといって、その補填(ほてん)を学生だけに求めるのではなく、大学の卒業生にも呼びかけて支え合う体制が必要だと感じます。

 

──日本の大学経営で特徴的な点はありますか

 

 国立大学について言えば3点あります。1点目は、日本は海外と比べて学部ごとの自治が強いという点です。国立大学が法人化されて以降、全学化の動きが進んでいますが、法人化される以前は重要な決め事の多くは学部ごとに決定されていました。現在は学部ごとの力が強かった時代から全学化を推進する過渡期にあり、学生は学部に属している一方で、運営方針は大学の執行部が決めるという状況が続いています。そのため、全学的な決定をするに当たっては、今回の学費問題のように学部とそこに属する学生の存在が十分に顧みられないこともあります。学生が大学運営の外に置かれてしまっているのです。2点目は理事会が一般的ではないことです。米国の場合は最終的な意思決定機関として学外者で構成される理事会があります。教授を主体とする教授会と理事会の意見がかみ合わず、よく問題が発生しますが、社会と大学をつなぎ合わせる上で理事会は重要な存在です。3点目は学生の位置付けです。

 

──海外の大学では学生は具体的にどのように位置付けられているのでしょうか

 

 海外の大学では、多くの学生は大学の構成員だという認識を強く持っています。米国大学では理事会の中に少なくとも1人、学生の代表者が入ります。学生の利害に関わる事柄を議論する委員会にも学生の代表者が複数人入り、学生の意見を聞いた上で意思決定がなされます。学生に関わる決め事の際には学生の声を集約し代表者が伝達する仕組みが構築されています。教育を享受する「消費者」であると同時に大学の構成員でもある学生の声を、米国大学は取り入れようとしています。

 

──反対に、日本の大学はどうでしょうか

 

 日本では、学生の意見を聞く制度が未発達な上に、昔と比べて自治会なども学生の代表としての位置付けが弱くなってきました。そのため今回の学費問題では、大学がどのように学生の意見を取り入れれば良いのか分からなくなってしまう、という問題が発生してしまいました。日本では一般に学生が「お客様」として見られ、大学の構成員として十分に認識されていない現状があります。学生に関わる問題について、学生の意見を聞かずに決定するのは問題です。学生の声を聞くことには、大学の経営側にもメリットがあるはずです。今回の学費問題においても、以前から学生の意見を聞き入れる制度を構築していれば、大学と学生の意見の衝突は軽減されたはずです。

 

福留東土(ふくどめ・ひでと)教授(東京大学大学院教育学研究科)/03年広島大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(学術)。米ペンシルベニア州立大学高等教育研究センター客員研究員などを経て、19年より現職。

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