文化

2025年2月12日

【漫画×論評 TODAI COMINTARY】迷いの中に「知性」は宿る 魚豊『チ。─地球の運動について─』 

チ。魚豊 サムネ

 

 今や日本が世界に誇る文化となった漫画。東大新聞編集部員がぜひ読んでほしいとおすすめする漫画作品(Comics)を、独自の視点を交え、論評(Commentary)という形(Comintary)でお届けする本企画。今回は、『チ。─地球の運動について─』(魚豊)を取り上げます。

 

迷いの中に「知性」は宿る

 

 舞台は15世紀ヨーロッパのP国。C教が絶対的権威を持つ時代。「当時のP国」では宇宙の中心を地球とする「天動説」が「真理」とされ、それに反する「地動説」を唱える人々への弾圧は苛烈を極めていた。本作は、「地」動説に魅せられ研究に命をささげた者たちと、それを弾圧する異端審問官たちの、「知」と「血」を巡る物語である─。

 

 現代を生きる私たちにとって、地動説は真理であり常識である。しかし、「15世紀P国を生きる人々」にとっては、異端で、正解かどうかも分からない思想にすぎない。自らの直感に従い、異端思想に命を賭ける主人公たちの姿は、無謀に見えるかもしれない。だが、愚かというにはあまりに魅力的だ。それは、地動説に魅せられた彼らの「知りたい」という情熱が、時も場所も超え、現代を生きる私たちの胸を打つ、普遍的な欲求だからだろう。

 

 例えば、夜空を見上げる時。ただ見ているだけでは、無秩序に星があるようにしか見えない。しかし、『チ。』に登場する人々は、星々の美しさに魅せられ、夜空の先にある宇宙を知りたいという情熱に命を賭けた。その中の一人は、星を結び星座を作ろうとするように、無秩序の情報の中から真理を導きたいと思う時、人は「タウマゼイン(人間の知的欲求の始まりにある驚き)」を感じると語る。

 

 古代ギリシアの哲学者ソクラテスは「一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである」と語った(『ソクラテスの弁明 クリトン』プラトン著、久保勉訳、岩波書店より)。これと同じように「知性」も「単に知ることではなく、善く知ること」が大切ではないだろうか。「善く知る」とは、単に知識を得ることではなく、自分の知的欲求に従い、迷い疑いながらも信念を持って情熱をささげて追究することと定義できる。研究の先にある「真理」が正解か不正解かに関わらず、信念を持ち真理を求める過程の迷いや苦しみにこそ、「知性」が宿るのではないだろうか。ただやみくもに知識を暗記したり地位や見返りを求めて知ろうとしたりすることは、信念を持たない。「善く知ること」と「単に知ること」の違いは、その始まりに、「タウマゼイン」があるか否かだ。

 

 情報が氾濫する現代社会において、日々あふれる情報をただ漫然と受け入れることは、果たして「善く知る」と言えるだろうか。信念なき「知性」は思考停止につながり、思考停止は権威による暴力へと変わる危険性をはらんでいる。不条理な社会に抗うには、『チ。』の世界を生きる人々のように、出会った言葉、巡り会った人々、起こった出来事一つ一つに「知りたい」という純粋な欲求を抱き、迷いながらも向き合うことが必要だ。

 

 迷いの中にこそ、知性が宿るのだから。【舞】

 

©魚豊/小学館 魚豊『チ。─地球の運動について─』小学館、税込770円
©魚豊/小学館
魚豊『チ。─地球の運動について─』小学館、税込770円。

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