文化

2022年6月17日

【漫画×論評 TODAI COMINTARY】若者たちの憧れ、焦燥、情けなさ そして90年代カルチャー 渋谷直角・『世界の夜は僕のもの』

 

 今や日本が世界に誇る文化となった漫画。編集部員自らがぜひ読んでほしいとおすすめする漫画作品(Comics)を、独自の視点を交え、論評(Commentary)という形(Comintary)でお届けする本企画。今回は、『世界の夜は僕のもの』(渋谷直角)を取り上げます。

 

若さと青さに共感するも良し、90年代カルチャーを楽しむも良し

 

 1990年から96年の東京をリアルに描いた本作。中古レコードの収集が趣味の三笘レオ、漫画家を目指す坂井愛子、雑誌『Olive』の世界に憧れる高山ヨーコ、お笑い好きでダウンタウンに憧れる栗田など、10〜20代の若者たちが主人公だ。

 

 三笘レオは、HIPHOP楽曲のサンプリングに使用されたり引用元となったりしたジャズやボサノヴァ、いわゆる「元ネタ」のレコードを探し、集めることに熱中していた。ある日、アルバイト仲間とスキーに行くことになる。自分のマニアックな趣味にある種の優越感を抱き、スキーはミーハーな大学生の象徴だとさげすむレオだったが、往復の車中で流す曲を張り切って選んでカセットテープにダビングする。

 

 当日、車に乗り込んだ途端に、レオが好意を抱く女の子が「trfかけましょ〜!! やっぱノリノリじゃないと!」とはしゃぎ、結局レオは自分のテープを流すことができなかった。小室哲哉がプロデュースしたアーティストやMr.Childrenの楽曲が大流行していた94年の音楽シーン。「そんな状況で『渋谷系の元ネタ集』みたいなテープなど…まったく需要なんてないとレオは思い知った」のだった。

 

 普通とは違っていたいと思う自分が好きだが、一方で好きなものを周りの人と共有したい、認められたいという相反する気持ちも抱く。鬱屈(うっくつ)した青年特有のひりひりした思いが表れるエピソードである。

 

 本作では、登場人物が挑戦したり失敗したり、天才と自分とを比較して落ち込んだりしながら夢に向かってもがく姿も描かれる。「何者かになりたい」という野望を持ち突き進むが「何者にもなれないかもしれない」という不安と焦りもつきまとう。このような葛藤は誰もが経験するものではないだろうか。90年代の東京が舞台であり、現在とは状況の違いがあるはずなのに、違和感なく共感できる。本作で描かれるのが若者の普遍的なエネルギーと弱さ、それに伴う葛藤だからだ。自分の中に隠していた生々しい思いが無理やり外にさらされて、直視を強いられるかのような恥ずかしさを覚えるが、同時にその情けなさを丸ごと肯定されるような安堵(あんど)感も得られる。

 

 大人になれば良くも悪くも日常に追われて、このような葛藤に時間を割く余裕はなくなるはずだ。自分のことで精いっぱいでいるのが許される青年時代。その中にいる間は悩み、苦しむかもしれないが、その時間こそが貴重なのだろう。10〜20代のうちは自分と登場人物とを重ね合わせながら、年を重ねたら過去の自分を懐かしみながら、何度でも味わいたい作品だ。

 

 レニー・クラヴィッツやサニーデイ・サービス、魚喃(なななん)キリコ、「LIVE笑ME!!」、『CUTiE』、『Olive』……おそらく令和の大学生にはなじみのない単語も次から次へと登場するが、作者の圧倒的な知識と丁寧な解説により立ち止まらずに読み進められる。さらに興味を持った固有名詞を調べてみればその魅力に気付くだろう。記者も本作がきっかけでサニーデイ・サービスの曲を聴いたり、古本屋で『Olive』を買って読んだりするようになった。

 

 登場人物にどっぷり感情移入して、若さや青さに正面から向き合うのはもちろん、90年代カルチャーの教科書として楽しむのもお薦めだ。【楡】

 

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