今や日本が世界に誇る文化となった漫画。編集部員自らがぜひ読んでほしいとおすすめする漫画作品(Comics)を、独自の視点を交え、論評(Commentary)という形(Comintary)でお届けする本企画。今回は、『九龍ジェネリックロマンス』(眉月じゅん)を取り上げます。
ノスタルジーとミステリーが交差する大人の日常ロマンス
九龍城砦(クーロンじょうさい)を知っているだろうか。第二次世界大戦後に香港で形成され、1994年に取り壊されたスラム街である。無計画に積み上げられた鉄筋コンクリートのアパートが日の光が入らないほどすし詰めに建っていたことから「東洋の魔窟」と呼ばれた九龍城塞だが、その独特の雰囲気から多くのゲームや漫画、映画の舞台になっている。
今作もそうした作品の一つ。九龍城砦の不動産店「旺来地産公司」に日本から赴任した鯨井令子が主人公である。彼女は先輩の工藤発と共に仕事をする中で九龍城砦の魅力を知っていく。むきエビや唐揚げ、水餃子、空心菜などのおいしい料理や、魅力的な隣人との麻雀や食事を通した交流がみずみずしいタッチで描かれている。こうした九龍城砦での日常を通して鯨井は工藤の優しさに触れ、彼のことが好きだと自覚するのであった。
しかしこの日常は、単行本一巻の最後で一変してしまう。ある日鯨井は、工藤が過去に自分と顔も体型もそっくりな女性と交際していたことを知る。でも自分にはその記憶がない。一体、自分は何者なのか…? その後も謎が謎を呼ぶ展開が続いていく。
ここまで読むと、タイトルの「九龍ジェネリックロマンス」が持つ二つの意味が見えてくる。「ジェネリック」には「一般的であること」に加えて「新薬の特許期間の切れた後に、他社が製造する新薬と同一成分の薬。効能、用法、用量も新薬と同じ」という意味もある(出典:デジタル大辞泉、小学館)。九龍(クーロン)とクローンの語感の類似性からも分かるように、この作品は「九龍での一般的な恋愛漫画」であるだけでなく、「九龍を舞台にしたクローンをめぐるミステリー漫画」でもあるのだ。
九龍とクローンを結びつけ、この物語の鍵を握るのは、作中で繰り返し指摘される九龍城塞の「懐かしさ」ではないか。作中で描かれる九龍城砦の「切れかけの電灯。カビくさい路地裏。うるさい隣人」は、読者にもどこかノスタルジーを感じさせる。作中では「懐かしさ」について「不思議な感覚よね。私も九龍のような場所に住んだことって過去に無いの。懐かしさって記憶や経験だけじゃないのよ。それなのに昔から知っていたような心が高揚する感覚。私が思うに”懐かしい”とは…『この胸に閉じ込めたい』ってことなんじゃないかしら。だから恋と同じなの」と述べられている。
鯨井は工藤に対してこの「懐かしさ」を感じ、恋に落ちた。この懐かしさは実は、工藤の恋人だった自分のオリジナルの記憶をかすかに引き継いでいることによるものではないだろうか。また、作品の中盤で九龍城砦は実は大昔に一度取り壊されており、これは再建された二つ目の九龍城塞だと明かされる。つまり、住民達が九龍城砦に懐かしさを感じるのは、実は彼らがみな一つ目の九龍城砦の住民のクローンであり、鯨井と同じようにオリジナルの記憶を引き継いでいるからではないか……と想像は膨らむ。
物語はまだ完結していない。単なる恋愛漫画にとどまらず、思わず展開を考察してしまう本格ミステリー漫画でもある本作に目が離せない。【葉】