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2019年12月15日

イェール大学で「慰安婦」問題を議論するシンポジウム開催 学生記者が考えたこと

 米国に交換留学に来ていた記者の元に、ある日イェール大学で学ぶ友人からメッセージが届いた。何でも、所属している団体が「慰安婦」問題に関するシンポジウムを行うという。折しも留学前、「慰安婦」問題に関する議論を扱ったドキュメンタリー映画『主戦場』を鑑賞していた記者にとって、とても関心の高いテーマだ。訪れたニューヘブンで見たのは、日本とは全く違う「慰安婦」問題の捉えられ方だった。

 

(取材・高橋祐貴)

 

 

登壇者・主催者の集合写真(写真はSTAND with “Confort Women” at Yale提供)

 

 

 10月12日にニューヘブンで行われた本シンポジウムを主催したのは学生団体STAND with “Confort Women” at Yale(通称STAND)。2016年にイェール大学で行われた元「慰安婦」による証言をきっかけに結成された団体で、「慰安婦」問題と戦時性暴力への社会の関心を高めることを目的に活動している。これまでも、ドキュメンタリー映画『主戦場』や元「慰安婦」の生涯を追った映画『My Name Is Kim Bok Dong』の上映会などを行ってきた。「「慰安婦」問題と戦時の性暴力を考える国際会議」と題された今回の会議は団体の初の試みとなる大規模シンポジウムで、100人以上の多種多様な人種・国籍・性別の学生・教職員が聴講客として参加。日米韓のみならずさまざまな国から政治家、歴史学者、活動家、人権問題の専門家を招き、パネルディスカッションの形式で参加者との質疑応答を挟みながら進められた。

 

 

 日本や韓国にルーツを持つ学生のみならず、多様な学生が集まった会場で開幕の挨拶を行ったのは元米国下院議員のマイク・ホンダ氏。最初に、1988年のレーガン大統領による日系米国人の強制収容に対する謝罪につながった、ホンダ氏の先駆者に当たる日系米国人たちの手による1970年代以降の政治的運動に言及した。次に自身が主導して2007年に下院決議第121号で日本国政府に公式に旧日本軍による「慰安婦」の強制連行を認め謝罪し、歴史的な責任を受け入れるよう勧告した経緯を説明。「自分たちの先祖の人権を主張し名誉を回復した後で、第2次世界大戦前後に東アジアで起きたことに私たちはきちんと向き合ってこなかったのだと気付き、『自分の責任とは何だろう』と自分に問うたのです」。「慰安婦」たちの声をきちんと伝えることが求められているとし「女性たちに行われた犯罪を理解し解決することが必要だ」と訴えた。

 

 

質問に立つホンダ氏(写真はSTAND with “Confort Women” at Yale提供)

 

 

 イベントのメインとなるパネルディスカッションは、韓国から「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」代表の尹美香(ユン・ミヒャン)氏、日本から「慰安婦」問題の議論の端緒を作った歴史学者の吉見義明名誉教授(中央大学)を招いて行われた。まず尹氏は、自身が「慰安婦」問題解決のための社会運動を始めた経緯や、連帯の現在の活動を説明。近年の#Me_Too運動の広がりを受け「#Me_Tooを#With_Youに広げ性暴力の被害者に寄り添う人を増やすことが、戦時の性奴隷制度の再発を防ぐことに繋がる」と連帯を訴えた。近年は特にコンゴ、ウガンダ、シリア、ベトナムといった地域での戦時中の性暴力問題の当事者と団結を模索するなど、「慰安婦」問題に限らない戦時の性犯罪防止に向けた活動も行っているという。

 

登壇する尹氏(写真はSTAND with “Confort Women” at Yale提供)

 

 

 吉見名誉教授は1991年に旧防衛庁防衛研究所で慰安所設立に対する日本軍の関与を示す資料を見つけてからの自身の活動を回想。「日本の若者にこの問題について知ってもらうことが歴史学者としての自分の役割だ」と語った。特に、「慰安婦」問題は人種差別と日本の植民地支配責任、そして内地からも「慰安婦」を連行したことから、階級差別の問題も絡む多面的な問題である点を強調した。

 

 

 会の後半は「国際的人権」「歴史的正義と教育」「社会運動と社会起業」の三つのテーマに分かれ、ミニパネルディスカッションを行った。記者は吉見名誉教授が登壇する「歴史的正義と教育」パネルを聴講。第2次世界大戦後の戦争裁判の歴史を専門に研究している戸谷由麻教授(ハワイ大学マノア校)、政治学を専門としジェンダー政策などを研究しているリンダ・ハスヌマ助教(ブリッジポート大学)もパネリストとして加わった。

 

 

 冒頭、歴史の記憶継承に関して歴史教科書の重要性が話題に。戸谷教授は1965年から1997年にかけて教科書検定制度の合憲性を争った家永教科書裁判を引き合いに出し、一部原告側の主張が認められ国側の裁量権の濫用・逸脱が認められたにもかかわらず、現在も検定制度が続いている日本の現状を紹介した。吉見名誉教授は日本の歴史教科書で第2次世界大戦がどのように教えられているかについて「第2次世界大戦を語る際には主に①ファシズムと反ファシズムの戦い、②帝国主義国家どうしの覇権争い、③帝国主義と民族解放運動の戦い、という三つの切り口が考えられるが、日本では②の日本と米英の覇権争いと見る傾向が強く、他の2側面はあまり語られない傾向にある」と指摘。1982年に中韓からの批判を受け一時期歴史教科書の記述が比較的自由化されたのち、1990年代半ばから右派による猛反撃を受け再び締め付けが強まったと経緯を説明し「中学の歴史教科書からは「慰安婦」問題に関する記述がほとんど消え、今右派は高校教科書からもその記述を消そうとしている」と述べた。

 

 

会場廊下に設置されたパネル(写真はSTAND with “Confort Women” at Yale提供)

 

 

 吉見名誉教授は、日本でこれほどまでに「慰安婦」問題が議論を招いている理由を、日本人の「大国意識」と絡めて解説。高度経済成長期に日本人は「大国意識」を持つようになったが、バブル崩壊後の低成長期に中韓に経済力で追いつかれ自信を失い大国意識にすがって自信を維持しようとする心理が生まれたのではないかと分析した。「東京裁判の判決を否定すると米国との関係も悪化するため、きちんと東京裁判で裁かれなかった中国・韓国・東南アジアでの「慰安婦」連行・使役について『否定することが日本の誇りに繋がる』という見方が広がったのではないでしょうか」

 

 

 日系米国人と結婚した韓国系米国人であるハスヌマ助教は、米国で「慰安婦」問題を教えることの重要性について「この問題は多くのアジア系米国人のアイデンティティーに関わる問題であるにもかかわらず、学校で教えられていない」と警鐘を鳴らした。

 

 

 ミニパネル後半、果たして日韓間での「慰安婦」問題の解決はあり得るのかを問われると、戸谷教授は「日本の政治的指導者たちが、融和は国益に適っていると考えるようになれば、将来的にはあり得る」と主張。「国際関係的視点から見ても(すでに国際社会では「慰安婦」問題を女性の人権侵害問題と捉える構図が一般化している以上)将来的には「慰安婦」の軍による強制連行と強制使役を認めた方が日本にとって良い結果を招くのではないか」という吉見名誉教授の意見も踏まえ、プラグマティズム(実用主義)が将来的に問題を解決するという議論でミニパネルは幕を下ろした。

 

 

 さまざまな背景を持つ人々が一堂に会し戦時性暴力について議論した今回の会議。主催団体唯一の日本人メンバーである西尾慧吾さん(イェール大・3年)は「会議は団体にとって大きな成果だが、始まりの一歩に過ぎない。日本でも同様の試みが行われることを願う」と意気込みを語る一方、ミニパネルの結論には警鐘を鳴らした。「プラグマティズムを持ち出すところはいかにも米国らしいと感じたが、マレーシアやインドネシアでは日本からの経済援助を目当てに『慰安婦』問題を政府が語らないようにしてきた歴史がある。プラグマティズムが問題を解決するというのは楽観的過ぎるように思う」

 

 

日本政府の対応は何が足りないのか? 吉見名誉教授インタビュー

 

 

 パネルディスカッションでの議論を受けて、吉見名誉教授にインタビューを行った。

 

登壇する吉見名誉教授(写真はSTAND with “Confort Women” at Yale提供)

 

──「慰安婦」問題について、日本では「どれだけ謝れば韓国は満足するんだ」といった形で韓国への不満を表明する言説が目立ちます。日本政府は1993年の河野談話の時点で「おわび」を表明していますが、何が足りなかったのでしょうか。

 

 

 こうした重大な人権侵害については、取るべき態度について国際的な合意があります。すなわち①真相の究明、②責任主体を明確にした謝罪、③処罰、④賠償、⑤再発防止策の履行──です。

 

 

 このうち、責任主体を明確にした謝罪については、河野談話では「当時の軍の関与の下に」といい、「軍が」とはいわないという、責任主体を曖昧にした書き方をしています。

 

 

 賠償に関しては、日本は国同士の間ではサンフランシスコ平和条約とその後の賠償交渉、日韓基本条約、日中平和条約などで賠償問題は全て解決されたとして、個人に対する国からの新たな賠償はできないというスタンスを取っていますね。1995年に設立されたアジア女性基金は、なぜか「償い金」を民間からの募金で支払い、国からの支出金は医療・福祉支援事業として支払われることになりました。当時基金設立に当たった外務省の担当者が「この基金のポイントは国から一円も賠償金を出さないことなんですよ」とうれしそうに説明していたのを覚えています。「個人に対する国からの賠償」は超えてはいけない一線と化しています。しかし、実際には、捕虜虐待を受けた欧米の一部の兵士等に対しては、少額ではありますが賠償金を個人に支払った前例があるのです。なぜこれほどまでに国が元「慰安婦」個人に対する賠償を嫌がるのかは不思議なところですね。

 

 

 再発防止とはなにかといえば、「慰安婦」問題を記憶すること、つまり教育や記念館設置などで歴史の記憶とすることです。現在の日本政府は「慰安婦」少女像の設置に反対するなど、むしろ記憶を消そうとしている。正反対の行動を取っているといえます。

 

 

 総じて、日本政府はしっかりとした謝罪をまだ履行していないといえるわけです。

 

 

──今日の議論を通じて「国際社会からは日本政府にプレッシャーをかけていくことが問題を解決に導くために必要だ」という意見が目立ちました。個人的には政権にいくら圧力を加え、仮にポーズとしての対応を引き出したとしても、本質的な解決にはならないと思います。日本の国民が主体となって「慰安婦」問題に向き合うことはできないのでしょうか

 

 

 一つには国からの賠償金が入っていないアジア女性基金の受け入れを巡って「慰安婦」被害者をサポートする側が割れてしまったというのが、日本国内での「慰安婦」支援の運動が弱い背景にあります。国際社会からの圧力は、ないよりはましですが、日本は「慰安婦」問題の解決にちゃんと向き合っていないという事実をより多くの人に訴え続けていくしかないでしょう。

 

 

──元「慰安婦」たちの要求を無視した2015年の「慰安婦」問題に関する日韓合意について、反対を表明しています

 

 

 あの時はとても驚いたことに、日本のマスメディアでは、反対の声がまったく載りませんでした。

 

 

 あの合意は本当に不思議で、日韓外相の口頭の発表だけで文書がないんですよね。また、責任主体が明確にされないまま「最終的かつ不可逆的」に問題が解決されるとうたっている。そして「慰安婦」被害者に拠出するお金 10億円は韓国政府が設立する財団経由で支払われるのですが、やっぱり「賠償金」ではないと日本政府は言っているし、当事者たる元「慰安婦」被害者たちの求めを無視したものになっている。しかし、被害者抜きで問題が解決することなど本当にあり得るのでしょうか。

 

【記者の視点】普遍的な性暴力問題としての「慰安婦」について語らない日本社会

 

 

会場には多くの学生が集まった(写真はSTAND with “Confort Women” at Yale提供)

 

 

 今回の会議に参加して初めて気づき愕然としたのは、自分が今まで一度も元「慰安婦」の証言を聞いたことがないという事実だ。日本において「慰安婦」問題に触れる機会はとても限定されている。少し前まで、記者自身が知っていることといえば、メディアを通じて入ってくる断片的な政治の動きのみで、高校の歴史の授業での扱いも教科書に書いてあったかどうかを覚えていないほど軽かった。これは考えてみれば日本社会の恣意的な情報選択でもある。私たちは被爆者の証言は見聞きし、原爆投下を人類の悲劇として記憶するが、「慰安婦」は外交論争の題材だと思い込んでいく。

 

 

 記者がこれまで「慰安婦」問題を考えるのを避けてきたのには、論争の解決が不可能に見えたからというのもある。インターネットを通じ断片的に垣間見る議論からは、「慰安婦」問題は右派と左派がそれぞれ結論ありきで議論し、話が噛み合わない不毛な題材のように思えた。しかし「日本対韓国」あるいは「日本対『慰安婦』」という二項対立にしてしまっては見えなくなる構図も指摘できる。それはすなわち、韓国人「慰安婦」の問題が「戦時の女性に対する性暴力」という普遍的な問題の一幕であるという構図だ。実際に会場に足を運んだイェール大生の多くは、この問題を女性の人権問題の一つとして捉え関心を抱いていた。

 

 

 ナイジェリアの過激派武装組織ボコ・ハラムや、シリアでのイスラム国による女性へのレイプに見られるように、紛争地での女性への性暴力という問題は未だ根絶されていない。そうした現代的な関心の中で「慰安婦」の問題を歴史の記憶に留めることが求められているのである。女性の尊厳ではなく「日本の尊厳」を守る戦いをしている日本人の「慰安婦」問題に対する視点は、国際社会ではかなり浮いているように思えてならなかった。民族差別の行き着く先をホロコーストの記憶から学び、核兵器が引き起こす惨劇をヒロシマ・ナガサキから語り継ぐように、戦時の性暴力ひいては女性の人権侵害の悲惨さを認識し、人類が再び同じ過ちを犯す前に立ち止まるための教訓として、「慰安婦」問題と向き合う必要があるのではないか。

 

 

 一方で、「慰安婦」問題がここまで政治問題化してしまった背景も、会議で初めて気づいたものだった。会議の途中、昼食休憩の際に偶然隣に座ったSTAND代表の劉珉昇(ユ・ミンスン)さん(イェール大・4年)に「日本から来た交換留学生だ」と自己紹介して聞かれたのは「この会議の議論を聞いて日本人としてはどう思うか」ということだった。「偏ってると感じたかい?」と質問する劉さんに、記者は「この会議の登壇者は『「慰安婦」は強制連行され性奴隷状態に置かれた』ことを前提にして議論をし、日本政府への批判を繰り返しているが、日本の右派が否定しているこれらの部分をなぜ真実と捉えるかを説明することなしには対立を乗り越えることはありえないのではないか」と率直な思いをぶつけた。「もしも君が会議を企画するとしたらどうするか」と問われ「日本人の多くが原爆投下を日本対米国というより平和の問題として捉えられているように、「慰安婦」問題を普遍的な人権の問題として捉え直して多くの日本人に受け入れやすいような議論をできるようにしたいと思う」と答えた後の劉さんの返しが、この問題の本質を物語っていただろう。

 

 

 「あなたの言っていることはとても良く理解できる。ただ「慰安婦」問題の難しい点は、こうした性暴力問題において最も重要なのは被害者に寄り添うことであるのに対し、その被害者自身が日本政府に謝罪を求めている点なのです。こうなると、問題を人権侵害の普遍的な問題として政治問題から分けて議論するのはとても厳しい」

 

 

 政治的な解決が必要な「慰安婦」問題。「国の尊厳を守る」という視点にこだわっていては、日本人にとってこの問題と向き合うことは難しいままだろう。戦時性暴力の撲滅という普遍的な視点を取り入れて初めて、日本人がこの問題について果たすべき責任と使命が見えてくるはずだ。そこから、政治的な解決に向けた歩み寄りの糸口も見えてくる。これまで「慰安婦」問題について考えてこなかった人々も、改めて問題に向き合い、自らのスタンスを考えてみてはどうだろうか。

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