ご無沙汰しております。第二回の連載が、とても遅くなってしまいました。東大文学部を卒業し、米・コロンビア大学大学院でフィルムプロダクションを学んでいる後藤美波です。
東京での3か国合同映画制作
夏休みには、ニューヨークで自身の短編映画を監督し、東京でクラスメイトの監督する短編映画をプロデュースしており、大変忙しく、同時に学ぶことの多い時間を過ごしました。夏の暑い東京で、シンガポール・中国・日本の3か国クルーに手伝ってもらい、オール日本人キャストを、日本語を話さないシンガポール人の監督と協力して撮影するのは、全く初めての経験で、撮影終了後にはもうヘトヘトでした。
同じアジア圏からの学生と一緒に働くとはいえ、バックグラウンドが異なる者同士が限られた時間の中で一つの作品を作るには、絶え間ない対話が必要となります。例えば小さなところでは、「カチンコ」の作法も異なります。「カチンコ」自体は共通でも(「アクション!」というときにカチンとやっている黒板のものです。音声と映像をシンクさせるために使います)、掛け声や手順がアメリカと日本では異なっていたりと、いろいろと戸惑ったり困ったりすることもありました。
今回の撮影の中では、事故や怪我がなく無事に撮影が終了しましたが、今後もっと大きなプロダクションを手がけていく上では、より綿密な、より詳細なコミュニケーションが大事になるだろうと感じました。
せっかくですので、今回の連載では撮影風景の写真とともにお送りしたいと思います。教室シーンの撮影では東大の友人にエキストラとして参加してもらい、私自身も、歳柄もなく、制服を着て高校生の役を演じました。プロデューサーとして現場を見ながら、時間を計りながらのエキストラ参加は、何か想定外のことが起こるのでは…とヒヤヒヤしながらの体験でもありましたが、実際には楽しく演技をしていました。
さて、前置きはこの辺にしておきまして、今回の連載では「ニューヨークで学ぶとは」についてお話ししたいと思います。
西海岸か?東海岸か?
アメリカの有名フィルムスクールは、ハリウッド(ロサンゼルス)を代表とする近い西海岸か、ニューヨークを代表とする東海岸に多く存在しています。西海岸と比べ、東海岸は学費・生活費ともに高く、気候もすごしやすいものではなく(冬には道路が埋まるほどの吹雪、夏には眠れない熱帯夜が私たちを待ち受けています)、車での移動が難しく…といった多くのデメリットがあります。
では、なぜあえてニューヨークのフィルムスクールを選ぶのでしょうか。
東海岸の魅力
まず 、アートやシアター、ファッションといった他の芸術分野との近さが挙げられるでしょう。
コロンビア大の学生の多くが、忙しい撮影や授業の合間を縫いながら美術館や劇場に足を運びます。クラスメイトと一緒に舞台を見に行ったり、休み時間の会話でも「最近話題のこのミュージカル見た?」「あの展覧会どうだった?」と言った話題が自然と多くなったり…と、やはり全体的に映画以外の娯楽・芸術への関心は高いと思います。
私は美術史専攻出身で舞台芸術に興味を持っていたこともあり、数多くの美術館や劇場へのアクセスを重視し、フィルムスクール受験の際にはニューヨークに位置する学校(ニューヨーク大とコロンビア大)だけを選びました。
さらに、こちらについては後述しますが、フィルム以外のキャリアの選択肢を広げやすいという面からニューヨークを選ぶ人もいます。
また、消極的な理由としては「車社会が怖いからカリフォルニアには行けない。ニューヨークのフィルムスクールしか受験していない」という人も。実は私もその一人で、LAのフィルムスクールを見学に行った時に、猛スピードで走る大量の車が恐ろしくて「ここでいつか生活することはできるんだろうか…(いや、できない気がする)」と冷や汗をかいた思い出があります。
未来は続くよ、卒業後も…
さて、カリフォルニアと比べると全体的に「インディーズ志向が強い」と言われているニューヨークのフィルムスクール(ちなみに、「インディペンデント(インディーズ)映画」とは、大規模なスタジオ映画以外の、独立資本での映画やアート系映画を広く指します)。確かに、クラスメイトを見ても、卒業後カリフォルニアに渡って映画スタジオ等で働きたいという学生ももちろんいますが、自分のスタイルを貫いて自分にしか作れない作品の制作を追求する学生が多いように思います(特に監督・脚本コースの学生の場合)。
ニューヨークのフィルムメーカーのキャリアパスといっても一口に言うことはできませんが、やはり超低予算映画の制作から始め、ウェブビデオや他の映画現場で働きながら自分の制作を進め、サンダンスやトライベッカといったインディペンデントの映画祭で受賞して名を挙げて徐々に大きい予算の映画制作を…といった、「フィルムメーカーすごろく」なキャリアパスを目指す学生が自然と多くなってきます。
もちろん、西海岸に渡ってスタジオシステムの最下層に見習い(インターン)として入る道もありますし、約3分の1〜半分ほどが留学生のコロンビアフィルムスクールでは「卒業したらすぐ国に戻って故郷の映画産業に従事する」という人も多く見られます。
コロンビアフィルムスクールは基本的に3年間(授業2年間+卒業制作・インターン1年間)のコースなのですが、特に卒業後の就職が難しい監督コースの学生は在学年数を4年、5年と伸ばし、TA等をしながら自分の作品制作を準備するという進路を選ぶ人もよく見られます。
インディー vs ブロックバスター?
ときどき、友人や知人から「ニューヨークのインディペンデントなフィルムメーカーって、ハリウッドのブロックバスター映画(ヒーローものや人気小説シリーズの映画化作品などの超大作・巨額映画)のことどう思ってるの?」と聞かれることがあります。
この問いの中には「『アーティスティック』なインディペンデント・フィルムメーカーたちは、ハリウッドのエンターテイメント作品を単なる大衆迎合の娯楽だと思って内心見下しているのでは?」という疑問が含まれていると思いますが、そんなことは全くありません。むしろ、積極的にブロックバスター映画も劇場で鑑賞しますし、素晴らしい作品は素直に素晴らしいと思います。
ただ、おそらくフィルムスクールの東西に関わらず、大規模予算のスタジオ映画に憧れながらも、「それよりも、自分のスタイルを貫きたい」(大規模なスタジオで働くよりも、自分の名を残せる小規模作品を作る方に惹かれる)という強い思いを持っている人も多くいます。より小規模な制作であれば、自ら決定できる事項が増えるからです。
道はひとつではない
前述したように、コロンビア大卒業後にはカリフォルニアに渡る人も多くいますし、ニューヨークに残る人、それぞれの故郷に戻る人とそれぞれです。ただ、クラスメイトと話してると、それぞれが映画に対して熱い思いを抱きながらも、将来のキャリアを映画だけに限定していない人が多いと感じます。
テレビドラマやニュース番組といった隣接分野はもちろんのこと、「フィルムスクールを卒業した後は一度弁護士事務所に入ってコネクションを作ってから映画に戻る」と言っているプロデューサーもいますし、アート(ビデオアート)や出版に興味を持っている人もいます。そう言った人は積極的に関連業界のインターン等に応募して、現場経験を積んでいくそうです。
「せっかくフィルムスクールにいるのに、フィルム以外のキャリアを?」と思った方もいらっしゃるかもしれません。ただ、アメリカという土地柄もあり、関わった作品それぞれが自分のキャリアを作っていくということもあり、私にとっては、一旦映画以外の道を視野に入れることは、生存戦略上とても自然で、クリエイターとしての幅を広げるためにも重要なことのように思えます。というのも、山の頂点に到達するための道は(フィルムメーカーとしてのゴールをどこに定めるかという議論はひとまず置いておいて)、決して一つではないからです。
“ニューヨーク”という魔物。
さて、最後にニューヨークに越してから約1年が経つ中での所感を述べさせていただきたいと思います。
大学から世界屈指の美術館に15分でアクセスできる。世界一のパフォーマンスを毎日のように鑑賞できる。1970年代の日本のカルトアニメ映画を上映しているようなインディーシアターがそこら中にある。…この環境に付けられた値札は決して安いものではありません(私は節約のため毎日自炊です…。ニューヨークに越してから鶏肉・豚肉のレパートリーは格段に増えましたが、牛肉はほとんど料理できていません…)が、それと同時にプライスレスであるとも感じています。
私はよくニューヨークのことを「お金のかかる、ワガママな、でもとても魅力的な恋人」と想像しています。いつもツンツンしているし、お金はかかるし、うんざりさせられることも多々あります。それでも虜になってしまって離れられない――そんな恋人、ニューヨーク。ここで何とか飲み込まれないように、映画を学び、多くを吸収し、強く生きたいと思っています。
しかし、豊かな文化を享受するだけなら、実際のところ東京に住むだけで十分なはず。私がニューヨーク(のフィルムスクール)で一番得られると思ったものとは、「自分自身が持っている前提や常識を問い続けるための新しい視点 」です。それについては次回、また詳しく触れさせていただければと思っています。
(文責:後藤美波、写真:Ada Zhang)
【連載・映画留学記】
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