文化

2022年5月2日

【東大CINEMA】『再会の奈良』

 

 第二次世界大戦末期の関東軍撤退により、日本への帰国が間に合わなかった中国残留邦人。1940年代から日中国交正常化の70年代まで中国で育てられた彼らは帰国後、日本語が分からず生活やアイデンティティに苦しんでいる。第33回東京国際映画祭で上映された映画『再会の奈良』は、今もなお自分の居場所の無さにさいなまれる残留邦人の姿を克明に描き出した。

 

 中国人の陳ばあちゃん(ウー・ヤンシュー)には残留邦人の養女・麗華がいる。彼女が日本に帰った後しばらくして音信が途絶えてしまい、心配した陳ばあちゃんは麗華を探しに奈良へやって来た。一方、陳ばあちゃんにとって孫娘のような存在のシャオザー(イン・ズー)は残留邦人2世で複雑な背景を持つが、自分を「日本人」だと認識し、日本語学校で勉強しながら工場やラーメン屋で働く。ある日彼女は自身の独特な日本語の発音をきっかけに、元警察官の一雄(國村隼)から声をかけられる。不思議な縁で結ばれた陳ばあさんとシャオザー、一雄の3人は一緒に麗華を探すことになるのであった。

 

 

 本作は中国の新人監督・ポンフェイによって制作された。前作『The Taste of Rice Flower』がなら国際映画祭観客を受賞したことがきっかけで、河瀨直美監督(本作のエグゼクティブプロデューサー)と日中合作することに。中国の動画配信サイトiQiyiで制作・配信されたドキュメンタリー『又见奈良 · 独家纪录片』においてポンフェイ監督は、日中両国の過去を反戦的な視座で反省し、より友好的な関係を作ることに制作動機があったと語る。撮影開始前、奈良で8カ月かけて実際の残留邦人を訪問した。訪ねた残留邦人は日本に帰化していても中国人的な気風を持ち、北方のなまりで中国語を流ちょうに話す。自分が日本人か中国人かというアイデンティティの葛藤を経験しつつも帰国した理由は、お金を稼ぐため。国交正常化の70年代当時、日本は高度経済成長期だった。

 

 『再会の奈良』は2019年に制作された映画だが、ポンフェイ監督は奈良を訪問した際に残留邦人1世の少なさが気になり、物語の真実性を保つために映画の背景設定を少し前倒して2005年とした。そして残留邦人の心理に言及しながらも、中国人の養母の思いも取り上げたかったという。彼女たちは残留孤児を養育した理由を「世界中の子供の泣き声は一緒だ」と語っているが、にもかかわらず、帰国した子どもたちとは離れ離れになってしまっている。実際に日本を訪ねて養子と再会できた人は少ないため、映画を介して彼女らの夢を叶えたいとポンフェイ監督は語る。

 

 「本作において、義理の祖母と孫(陳ばあさんとシャオザー)、交流できない2人の老人(陳ばあさんと一雄)、という主人公の3人の組み合わせは面白い」とポンフェイ監督は話す。言語が通じないため無音のシーンが多く「言葉を用いず人物の背後の感情を表現するのはポンフェイ監督の得意技だ」とカメラマンの鄭智仁(チェン・チーレン)は評価する。実際、演じている3人の俳優も役柄と似た部分がある。イン・ズーは日本語の学習経験がなく、発音のみを覚えて出演した。ウー・ヤンシューと國村隼は、それぞれ日本語と中国語が分からない。そのため面白さが自然に演出され、観客を笑わせながら残留邦人の現状に迫っていく。

 

 一雄は独居老人で、妻が他界してから娘とは疎遠になってしまった。彼は娘からの連絡を期待し、家に出入りする度にポストを確認する。シャオザーは一雄に対して、麗華の手紙を日本語に訳して何度も読んだ。「私は母(陳ばあさん)からの手紙を待ちわびて、毎度もポストを探ってみた」。親族を思う気持ちは、残留邦人の麗華も、日本生まれの一雄も同じだ。一雄は焦る陳ばあさんの姿に自分を重ねたからこそ、麗華探しに手を貸したのだろう。

 

 

 全編を通して強調されているのは言語の問題だ。前半において、陳ばあさんが日本語を話せないために手話を用いたり、肉売り場で動物の鳴き声を真似したり、あるいは手も足も出ずにロシア語で「パカ」と挨拶をして誤解を生んだりする様子は、誇張された演出で笑いを促す。結果的にそれらのハプニングは解決され、元々言語によって隔たれていた人々は非言語的コミュニケーションを通じて互いに近づく。しかし、終盤で麗華の悪報を受けた際にシャオザーはすすり泣き、一雄はいたたまれなくなるのに対して、陳ばあさんはその情報を聞き逃す。彼女の言語的な障害は他の2人との情報格差を生み、ひいては養女の行き先が分からないというシリアスな問題を彼女に突き付ける。

 

 多くの残留邦人は日本語を話せないために故郷でも他人とみなされ、肉体労働や手仕事に従事している。本作はそんな彼らの姿を描くことで、歴史上の戦争が今日にも影を落とし、人々の感情に影響している側面を提示した。本物の残留邦人が出演していることもそのリアリティに寄与している。一方、残留邦人・中国人・日本人など、出身や背景が違う人物の物語が織り交ぜられ、互いに協力する姿が感動的だ。麗華との再会が期待されつつ、新たな出会いが生まれる。麗華探しの旅によって人々がつながり、言語を超えて交流しようとする。残留邦人という深刻な歴史問題を通して、心温まる形で私たちの思考を促すポンフェイ監督のメッセージは優しい。【夕】

 

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