18世紀フランスのブルターニュ。主人公の画家マリアンヌに、娘エロイーズの見合いのための肖像画をとエロイーズの母親から依頼があった。難点は彼女が結婚を拒んでいること。彼女との散歩相手としてともに過ごし観察する上で、自分が画家であることを悟られてはならない。以前も別の画家に依頼したが、エロイーズはモデルになるのを拒み顔を隠し続けたのだという。
マリアンヌはエロイーズを熱心に眺め、なんとか絵を完成させたものの罪悪感を抱く。絵を見せて真実を告白するとエロイーズはこう答える。「だから私を見てた」。エロイーズは肖像画の出来を否定し、絵を描き直すよう要請。画家とモデルとしての交流を通し二人は次第に恋に落ちる。
本作で繰り返し強調されるのは「見る」という行為だ。画家であるマリアンヌが、自身がモデルであることを知らないエロイーズを見る。彼女がモデルとなることを承諾した後は、正面からモデルとして画家と向き合うエロイーズのことを見る。そして、モデルであるエロイーズもまた、マリアンヌのことを静かに眺める。自分を描くマリアンヌに「あなたが私を見る時私は?」と語りかけ、マリアンヌが自分に向ける視線を受け止めた上で自分自身もまたマリアンヌを主体的に「見て」いることを明らかにする。
画家とモデルの関係性は、ともすると客体であるモデルと、その姿を絵にする主体である画家、という構図に陥ったり、落とし込まれたりしがちだろう(エロイーズが自身を描くことを拒否した画家が男性であったことも示唆的である)。一方で、単に女性同士であるというだけで無条件に対等でいられるほどこの世は単純ではない。女性たちの環境や属性は一様ではなく、恋人同士でもそれ以外でもさまざまな力関係が存在しうるはずだ。
その点、本作の物語る「対等さ」を考える上で重要になるのは、客体であり主体である女性たちの恋愛関係を描いたということにとどまらない。注目に値するのは、本作が貴族の娘のエロイーズと画家のマリアンヌに使用人のソフィという女性も含めた3人の友情をも描いているという点だ。作中でソフィはマリアンヌの月経痛を気遣いながら、自身が妊娠していることを打ち明け「奥様の留守中に堕(お)ろすわ」と告げる。2人はそれをサポートし、さらにその選択をしたソフィの姿から目を逸らさない。
エロイーズを演じたアデル・エネルはセリーヌ・シアマ監督のかつての同性のパートナーであり、本作は「彼女に新境地をひらいてほしい」との思いから当て書きしたものだったという。登場人物たちの関係性と、監督と同性の演者と同性のスタッフたちとの関係性は、どこか重なる部分があるかもしれない。【光】
監督 | セリーヌ・シアマ |
製作国 | フランス |
配給 | ギャガ |
上映時間 | 122分 |
製作年 | 2019年 |
【記事修正】2021年10月18日午前0時39分 誤字を修正しました。