東大入試の結果が発表されて5日がたった。手にした合格を喜ぶ人がいる一方で、合格には一歩及ばず失意に沈む人もいるだろう。ここでは浪人と進学で迷う受験生や、他大学に進学した時の将来を不安に思う方に向けて、「東大不合格のその後」をお伝えしたい。東大に落ちて他大学に進学した3世代の方々に、その後の生活と不合格に対する心境をインタビューした。
(取材・松崎文香)
鴨下隆一(かもした・りゅういち)さん
1977年、78年に理Iを受験するも不合格。同1978年に早稲田大学理工学部に入学し、卒業後は三井物産に入社。2003年、日立金属に転職する。
東大受験の結果が出たときの状況や心境を教えてください
現役の時は「まず駄目だろうな」と思っていたので、落ちたことが分かった時もあまり落ち込みませんでしたね。むしろ、入ろうと思っていた予備校のクラス分け試験の方を心配していたほどでした(笑)。実は早稲田には受かっていたのですが、落ちたら浪人することは決めていたし、親にも「浪人せずに私立に入ることは許さん」と言われていましたから、迷いはありませんでした。
予備校に入学してからは、1年間真面目に勉強に取り組みました。たまにデートしたりもしてたけど(笑)。でも僕は数学があまり得意じゃなかったんです。中学生の頃からプログラミングに親しんでいたので、「数学なんていずれコンピューターがやってくれる時代が来るだろう」と、真剣に取り組んでこなかったのが原因かもしれませんね。数学ができないと合格が一気に遠のくので、理Iに受かるかは五分五分という状況で2回目の入試に臨みました。
43年経った今でも覚えていますが、浪人した年の物理の試験で、落下する油滴の速度から重力加速度を計算する問題が出題されたんです。それが解けなかった。あの問題が解けていたら受かっていたと、今でもたまに夢でうなされます(笑)。
2年目に落ちた時は、なかなか家に帰れなかったですね。当時は本郷キャンパスの三四郎池のそばに合格者の掲示板があって、自分の番号がないことを確認した後も、三四郎池を一周してまた掲示板を見て「やっぱりない」というのを繰り返しました。三四郎池を3周はしましたね。発表から1時間以上経って、やっと家に電話した時はひどく怒られたのを覚えています。母親は「電話がないから駄目だと思ったよ」と言っていましたが。
当時は自分が東大に入学できなかったことへの悔しさよりも、周囲の期待に応えられなかったことへの申し訳なさの方が大きかったですね。高校までは順調に進学できていたし、東大に関しても家族は「いけるもんだ」と思っていたみたいですから。
早稲田大学に入学してからはどのように過ごされましたか
大学では実験やレポートに真面目に取り組みました。僕のレポートは参考書として後輩によく売れましたね(笑)。大学でデータの取り方や観察の仕方、分析の方法論などを徹底して叩き込まれたのは、その後の人生で役立ちました。
冬はよくスキーに行っていました。期末試験にスキー場から向かったりするほどのめり込んでいましたね。特段うまいわけではないけど、今でも趣味として続けています。
学部卒業後に三井物産に就職されていますが、どのように進路を決めたのですか
実は大学院に行くことが半ば決まっているような状況だったのですが、当時の彼女にあなたは研究者になるようなタイプじゃないから早く就職してくれと言われて(笑)。
大学時代にカリフォルニアに短期留学したことがあるんですが、そこで初めてビジネスの場を体験したことが商社を選んだ決め手ですね。ホームステイ先のおばさんが不動産売買の仕事をしている人で、商談に僕を連れて行ってくれたんです。そこで「交渉」というものを目の当たりにして。理科系の勉強は答えが決まっているけど、売買は交渉次第で高くもなれば安くもなる。「売買って面白いな」と思いました。
入社後はどのような仕事を担当されたのですか
金属工学科出身ということで初めは鉄鋼部門に配属されました。転機が来たのは80年代後半。電電公社(日本電信電話公社)が民営化してNTTになる時に、商社が一斉に情報通信分野に参入しようとしていました。部門転換していく先輩達が情報産業というものをよく分かっているとも思えなかったし、コンピューターに触れてきた自負もあったから、当時の社長に直訴状を書いて情報産業部門に移してもらいました。ただ組織内の階級をすっ飛ばして直訴したのが良くなかったようで、秘書室に呼ばれて反省文を書かされましたね。
2000年代に入るとITバブルが崩壊して、自分が担当していた仕事も撤退の方向になってきました。父が半導体のエンジニアだったのですが、「理系の学部を出たのだからものづくりの世界に戻れ」という言葉を残して亡くなったのもあり、潮時かなと2003年に三井物産を退職しました。
その後は日立金属へ転職、カッコよくいえばヘッドハントされて(笑)。3年前に日立金属も退職し、JX金属へ再度転職してドイツで買収した会社の統合業務を2年ほど行いました。今はコロナの影響もあり、セミリタイア状態でM&Aコンサルタント業をしています。
東大に落ちたことを今はどう捉えていますか
不合格を機に挫けてしまったわけでもないし、東大に行かなくてもハッピーな人生を送れているので、自分では納得して受け入れていますね。「物理のあの一問、悔しかったなあ」とは思うけど、引きずっているわけではない。東大に入っても、人生をハッピーに過ごしてなさそうな人も結構見かけますからね。
あのまま理Ⅰに進んでいたら、有頂天になっていただろうしね(笑)。東大に入れなかった人達に優越感を抱いて過ごすよりも、不合格を突きつけられて「まだまだひたむきに勉強しなければいけないな」と痛感したのは良かったんじゃないかなあ。良い戒めになりましたね。
今年東大に合格した人と不合格になった人、それぞれに向けてメッセージを
受かった人は「バーンアウト」に気をつけてください。僕の友人を見ていると、合格したことにほっとしすぎて燃え尽きてしまうケースが結構多かったです。せっかく税金を使って勉強できる機会に恵まれているんだから、しっかり学んで、社会へ貢献してください。東大合格がゴールではない、ということを肝に銘じてほしいですね。
落ちた人には、東大に行かなかったからといって終わりではないということを伝えたいですね。僕自身は東大に入れなかったけど、今では「行かなくて良かったのかもしれない」とすら思います。受験生の時は東大合格をゴールとして頑張ってきたのだろうけど、不合格はあくまで分岐点でしかなくて、これから別の世界が広がっていく。不合格を一つの糧にして、その別の世界をどうやって見つけていくかの方がむしろ大事だと思います。
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