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2016年8月11日

いま東大生が「ほんき」に読むべき「ほん」②『桜の花が散る前に』

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桜の花が散る前に

伊岡瞬 著
講談社文庫 2016年 734円
ISBN978-4062933483

 

 本作品は、表題に「桜」と付いているように、出会いと別れの季節である春にぴったりの小説だ。われわれ人間は生きていれば、「付き合いだけは長い」相手ができることがある。それは幼馴染や腐れ縁、と言った言葉で表されるかもしれない。あるいは、親同士の仲が良かった、近所づきあいでなんとなく、と言ったことも、地域によってはありうる。この物語には、そのような「付き合いだけは長い」相手との関わり、及びしばらく会わなくなってからの再会が幾つも描かれている。長く関わっていても知らないことは沢山あるし、ちょっとしたことで全く会わなくなる可能性は常に潜んでいる。そのような存在の大切さは文字通り、失ってから初めて感じられるものなのかもしれない。本作は、人と関係を続けることの尊さを、現実味を持って実感させてくれる。

 

 主人公はフリーのカメラマン乾耕太郎。心をゆさぶる写真が撮りたくて三年で会社勤めをやめた。とくに海外での仕事の機会は進んで受け、若干の危険を冒してでもいい写真を撮りたいと仕事に熱意を注いでいる。それだけで食べてゆけるほど有名ではないので、その他こまごまとした写真の仕事やライターまがいのこともこなしている。耕太郎が仕事場として使っているのが、美人占い師桜子が占い部屋兼住居としている平屋の一角である。桜子は耕太郎にとっての幼馴染であり、桜子の父、天山も耕太郎を可愛がってくれていた。そこには平穏で温かい日常、何気ない長い付き合いがあった。ところが、耕太郎が海外で仕事を行っている際、天山とともに事件に巻き込まれてしまう。そこから物語が始まる。

 

 カメラマン、とくに報道カメラマンに近い仕事を行う人の使命感と自尊心のせめぎ合い。そして、占い師という仕事の光と影。昔ながらの商店街で育まれる濃い人間関係。行きつけのパン屋に行きつけの金物店。人から理解されない爪切りのコレクション癖。読み手の静かな共感を誘うさまざまな要素を交互に浮かび上がらせながら、事件の真相と幼馴染同士の淡い恋の双方を少しずつ発展させる手法は見事である。作品の前半部では、占いに来た客にまつわるちょっとした謎を、巧妙に解決する探偵気取りの自由なカメラマン耕太郎の活躍を愉しむことができる。後半になるにつれ、過去の人付き合いや事件の真相などより深く重い現実が徐々に見えてきて緊張感が高まり、ストーリー展開の面白さが際立ってくる。現実の人付き合いに疲れた人が読むべき小説である。

 

※この記事は「ほん」からの転載です。「ほん」は東大生協が発行する書評誌で、さまざまな分野を研究する東大大学院生たちが編集委員会として執筆・編集を行っています。年5回発行、東大書籍部等で無料配布中。

 

【いま東大生が「ほんき」に読むべき「ほん」】

①『山怪 山人が語る不思議な話』

②『桜の花が散る前に』

③『森の生活―ウォールデン―』

④『東京帝国大学図書館 図書館システムと蔵書・部局・教員』

⑤『パタゴニアの野兎――ランズマン回想録』

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