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2016年8月10日

いま東大生が「ほんき」に読むべき「ほん」①『山怪 山人が語る不思議な話』

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山怪 山人が語る不思議な話

田中康弘 著
山と渓谷社 2015年 1296円
ISBN978-4635320047

 

 この本は怪談であって怪談ではない。しかし少なくとも私にとっては、夜中トイレに行けなくなるほどの恐怖を感じさせる本となった。

 

 怪談と言えば、心霊・妖怪の類から都市伝説まで、現代の科学や常識で説明できない事柄を扱うものだと思われている。しかしそんな怪談には、実のところ現代の合理的な知の枠組みが刻印されている。その一つが因果律であり、神霊の御業、悪行の報い、家系や土地に関する因縁などモノは様々ながら、怪異に何らかの原因が想定されている点は共通している。またそうした因果に沿って破綻が無いように物語が組み立てられている点も共通である。したがって私たちは、怪異に恐怖しつつも追々種明かしがあることを期待しながら読み進めることができ、さらに「悪事は報われない」「神仏を疎かにしてはいけない」などの教訓を得ることもできる。つまり怪談とは一定の構造と展開パターンを持った物語で、人々も「かくあるもの」と了解した上で楽しんでいると言える。

 

 本書が異なるのはまさにこの点で、怪異譚でありながら「怪談」イメージの呪縛を解いてくれるところにこの本の真価がある。著者が主にマタギの人々から聞き取った怪異体験は「こんなことがあった」という素の体験そのもので、そこには明確な因果律も物語風の起承転結も見られない。もちろん語り手もそれでは気味が悪いから自分が納得できる「説明」をしようとするのだが、何かが腑に落ちない。例えば火の玉を見た話では、語り手は人や動物の死骸から出たリンが発火したものだろうと言うが、それが「数メートル程あった」「山を下ってきた」などの話となぜか共存しているのだ。そして著者が冷静に「それはおかしいでしょ」と指摘することで、説明の出来ない何かが残されてしまっていることが浮かび上がってくる。私はこれにひどいうす気味悪さを感じた。心霊現象と無縁な私でも、説明のつかない不思議な体験の一つや二つはある。それが日常に忍び込んだ怪異だったとしたら…今またそんなことが起きるかもしれないとしたら…

 

 私は凡百の怪談よりこういう得体の知れなさの方がはるかに恐いと思うのだが、現代の日本から口承の伝統が消え行くにつれてこうした体験談も消滅の危機を迎えていると著者は述べる。明治時代には柴田宵曲がそれまでの怪異譚を『奇談異聞辞典』(ちくま学芸文庫)に残してくれたが、今後そういう仕事が出てこなければ各所に埋もれている怪談の種も花を咲かせることなく潰えてしまうかもしれない。こうした問題に気づかせてくれる点でも本書の意義は大きい。

(でち公)

 

※この記事は「ほん」からの転載です。「ほん」は東大生協が発行する書評誌で、さまざまな分野を研究する東大大学院生たちが編集委員会として執筆・編集を行っています。年5回発行、東大書籍部等で無料配布中。

 

2016年8月30日 15:00 【記事修正】 書籍の価格を訂正しました。

 

【いま東大生が「ほんき」に読むべき「ほん」】

①『山怪 山人が語る不思議な話』

②『桜の花が散る前に』

③『森の生活―ウォールデン―』

④『東京帝国大学図書館 図書館システムと蔵書・部局・教員』

⑤『パタゴニアの野兎――ランズマン回想録』

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