昨今東大生の中でも高まるコンサル人気。しかし、そもそもコンサルとは何をする仕事で、どんな面白さ、どんなやりがいがあるのだろう。どんな人に向いているのだろう。どうしてこれほどまでに学生からの人気を博しているのだろう。就活生なら抱くであろうそうした疑問を解き明かすべく、今回はボストンコンサルティンググループ(BCG)で日本共同代表を務める内田有希昌さんに話を聞いた。内田さん自身は、東大卒業後さまざまな経験を積む中で、海外留学での経験を機にインターネットによる社会の地殻変動をいち早く察知し、世界をより広い視野で見ることの重要さを痛感し、コンサルティングを志したのだという。今回はそんな内田さんへのインタビューを通し、コンサルティングの持つ魅力に迫っていく。(取材・内田翔也、撮影・赤津郁海)
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駒場、銀行、米国─多様な舞台が育んだ“挑戦の土台”
──学生時代はどんな学生でしたか
私が入学した1980年代は日本が絶好調だった時代でした。のびのびとした、まさに「教養主義」といった潮流の中で、いわゆる「駒場時代」を満喫することができました。周りのストイックな文Ⅲ生に囲まれながら、私もいろいろな本や講義を通じて、広く自由に学んでいました。例えば当時は、構造主義やフランス現代哲学といった欧米の哲学が流行していました。日本全体が自信に満ちあふれており、その自信を背景に西洋の思想を相対化したり、同じように東洋思想や映画論などにも触れたりと、ゆとりのある時代でした。私はそこまで真面目な学生ではなかったのですが、文Ⅲや文学部の周りの人間と同様に、やはりたくさん本は読んだように思います。
──新卒では三和銀行(当時)に
私が就職したのは1989年だったのですが、その頃は採用人数も非常に多く、世界の企業の時価総額ランキングには日本の金融機関が何社も入ってくるような時代でした。これから経済が発展していく中で、その血流こそ金融であり、いろいろな産業に関わっていけるという言説にも心を動かされました。日本が世界で存在感を増す中で、その旗手として金融機関があるというところに魅力を感じたのです。
──入行後、バブル崩壊などもあったと思いますが、どのような経験をされたのですか
入行後はいわば修行期間として支店に配属されて、名刺の出し方や顧客との接し方など、何も分からない大学生だった自分がいっぱしの社会人になるまでの基礎を、先輩方や上司から徹底的に教わりました。当時は今よりタフな指導も多くありましたが、社会人としての基礎を非常に短期間で学ぶことができたわけです。本店に転勤した後は、デリバティブ(株式や金利、為替などの原資産から派生した金融商品)など新しい金融商品の開発に関わり、留学もさせてもらいました。バブルの崩壊などで日本の経済にもかげりが見え始め、大変なこともありつつも、従業員として何一つ不自由なく貴重な経験をさせてもらいました。大きな企業がどう動くか、経済がどう動くか、実践的に学ぶことができたと思います。
──ではなぜ転職するに至ったのですか
転職したのは1998年なのですが、その前の94〜96年にかけて留学をしました。その時代はまさに米国でインターネットが注目され始めたとき。私の留学先は奇しくも工学系に強い大学で、インターネットでこれから世界が変わっていくぞ、という空気を肌で感じることができました。そういう経験をして日本の金融機関に帰ってくると、やはり日本は米国に比べて2周も3周も変革が遅れている。インターネットなどを導入する様子もなく、人力でなんとかする、いわゆる「ガンバリズム」で働く古式ゆかしい文化が風土としてあることを痛感しました。世界的に社会が戦略や競争といった新たなステージにシフトしていく中で、そういった保守的な態度のままでは世界で勝っていけないのではないか、と危機感を覚えたのです。
──とはいえ、当時転職する人はとても少なかった
同じコミュニティーに長くいればいるほど、そこでのアセットや人脈などが強固になり、どんどん過ごしやすくなっていくものです。自分自身を鍛える必要もなくなってしまう。私はやはりそれではいけないな、もっと自分を鍛える刺激も必要だ、と考えました。当時、野茂英雄さんが日本での名声や安定を捨てて身一つで米国に渡り、メジャーリーガーとして日本人初となる数々の成功を遂げていました。それにある意味で自分を重ねて、もっと企業戦略策定に取り組める環境に身を投じたいと思い、転職を決意しました。
──それでBCGに
これも留学中の出来事になりますが、ビジネススクールで知り合った人から、米国にはどうもコンサルティングという産業があって、それは実は日本にもあるという話を聞いたのです。私も留学するまではBCGの存在を全く知らなかったのですが、コンサルティングがこれから伸びていくだろうという友人の助言や業務内容への興味もあり、BCGに入社しました。
コンサルティングとは「役に立ちたい」という気持ち
──BCG入社後はどのようなことをしましたか
これから興隆するであろうインターネット領域に密接に関わっていきたいと考え、もともと知識のあった金融にとどまらず通信やハイテクなどの業界のコンサルティングを希望し、主に携わってきました。今はそれに加えて、公的機関との仕事も手掛けています。
──とても大掛かりな仕事に取り組んでいるように見えるのですが、どういったマインドセットや価値観が大事になってくるのですか
コンサルティング業界というのは曖昧な括りです。基本的には、英単語「consult」の「相談する」という字義の通り、事業会社の抱える悩みや問題を、相談を通じて解決していく仕事です。経営のコンサルタントもいれば税務のコンサルタントもいますし、弁護士だって法務のコンサルタントとも言えるわけです。昨今は、DXやグローバリゼーション、AIやサステナビリティなど、自社だけでは解決しきれない多岐にわたる課題が浮上しています。
これだけ経営環境が複雑化している中、日本でも社外の専門家の必要性が高まり、コンサルティングの需要が増えてきています。BCGは社長や経営層が抱える問題を中心にサポートする経営コンサルティングを主としているため、全社改革や海外戦略など、規模が大きく高い視座の仕事も多く扱うようになっています。
ではその中で何が重要になってくるかというと、実は思考力や知性の一歩手前に大事なことがあるのです。それは、「役に立ちたい」という気持ちです。医師に例えれば、いくら頭が良くても「治すんだ」という真摯(しんし)な姿勢がなければ、相手から信頼を得て、悩みを打ち明けてもらうことはできませんよね。経営層の抱える問題は常に固有のもので、画一的な答えはありません。クライアントの本音を引き出し、机上ではなく現実の解決策を見いだすためには「役に立ちたい」という気持ちが欠かせないのです。
とはいえ難題であることは事実ですから、難しいものに対峙(たいじ)したときに嫌だな、と拒否するのではなく、ワクワクする、挑んでみたいと思う冒険心。また、プロジェクトごとに新しい課題に取り組むので、新しいものに対する好奇心も大切です。その点ではチームワークも重要になります。BCGではプロジェクトごとに最適なチームを編成し、議論を重ねながら解決策を模索していく体制をとっているためです。
そして忘れてはいけないのは、責任感・倫理観です。今の時代、利潤だけを追求する企業はやっていけません。市場をリードする大企業は、社会に資するものを提供し、その結果として利益を生んでいるわけです。私たちの仕事は、世の中に価値を提供しようとする企業のサポートです。どの企業にも、その活動を担う何千人何万人もの従業員の方々の生活がある。その一助となる仕事をするのに、投げ出すようなことがあってはなりませんし、企業に関わる多くの人に対して強い責任感を持たなければいけない。それに、クライアントも信用できない人に身の上を打ち明けようとは思いませんからね。
そうした意味では、文学部時代に学んだ哲学や歴史の知識が、経営層の方々と打ち解けていく中で非常に役立ったという実感もあります。教養の大切さを感じる瞬間は多いです。
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より視野を広く持ち、「世界を知る」人に
──他に、BCGならではの強みや、他のコンサルティング会社と違う大切な価値観のようなものはありますか
まず、BCGは米国発の企業ですが、BCGJapanは日本で60年近く事業を展開してきた歴史があり、日本におけるプレゼンスが非常に高い企業です。日本を良くしたい、日本の役に立ちたいという気持ちは強い。日本企業ならではの文化や哲学を尊重しながら協業する姿勢を大事にしてきました。そうした姿勢は、日本の産業界からの厚い信頼や、最近では東京五輪や大阪・関西万博の実行支援への参画、政府との協働などにつながっているように思います。根底にあるのはやはり、「人の役に立ちたい」「社会の役に立ちたい」という気持ちなのだと思います。
また特徴として、キャリアに対して多様な考えを持ち、BCGで培ったスキルを生かしネクストキャリアに挑む人が多いことも確かです。例えば、経験を積んでスタートアップを始めたいという人や、将来的には国際機関に勤めたい、あるいは政府機関でよりダイレクトに行政に関わりたいという志向の人が多い。BCGはこれを是としていて、退職した人を「Alumni」、つまり「卒業生」と呼ぶわけです。BCGの社員はまるで中高の同級生のように、卒業後も頻繁に集まってお互いの近況を報告し合ったり、応援し助け合ったりしています。世界中のオフィスを含めて、BCGに所属経験がある人同士ですぐに打ち解けられる、一つのファミリーのような共同体を形成しているというのも大きな強みであると思います。
──今のお話にもあったように、キャリア観が大きく変動する中で、BCGの持つ強みは他にあるのでしょうか
長らく日本企業の特徴だった終身雇用制には独自の良さがあるし、素晴らしいシステムだと思います。ただ、企業の寿命よりも人間のキャリアの方が長くなりつつある中、企業間での人の移動は活発になっていくでしょう。その点ではBCGは非常に開けていて、一度卒業してから戻ってくるという人も多くいます。
──それは面白い動きですね
例えば、スタートアップを始めるべく一度卒業した人が、会社を経営する困難に直面する中で、自分が実はコンサルタントとして経営をサポートする側に向いていたのだ、と気付く人もいます。事業会社に転職した後、そこで新たなスキルを得て帰ってくる人もいます。こういった動きは今後もどんどん増えていくと思います。将来的には、コンサルタントと、学者、といった二足のわらじ、三足のわらじを履くような働き方も増えてくるかもしれません。実際、BCGにも東大の研究室に出向し働いている人がいます。
BCGは世界中のオフィスで世界のさまざまなクライアントと協業しています。日々グローバル規模で新しい人と出会い、最先端の知見をはじめとするたくさんの刺激に触発されて、仲間と協力して自他を高めながら、スピード感をもって成長しキャリアを築いていきたい人には非常に適した職場だと思います。
──これからのキャリア形成において、学生としてするべき心構えなどは
今の時代は、まるで中世のような群雄割拠とも言える複雑な情勢です。AIの急速な台頭、CO2排出削減をはじめとするサステナビリティの問題、経済的な二極化などにより従来のビジネスの前提が崩れ、それに加えて日本では少子高齢化という大きな問題も横たわっています。そのような時代において非常に重要になってくるのは、「そもそも、問題は何か」を自分で考える力、つまり課題を発見し、設定する力です。
それを培う上で大事なのは「視野を広く持つこと」、言い換えれば「世界を知ること」です。極端ですが、2カ国以上で暮らしてみれば自分のいる「日本」という場所を相対化できるでしょう。そして、価値観の全く異なる人たちと場を分かち合う経験は、世界的な視野を必要とするビジネスにおいても力になります。今は大学の留学制度も非常に充実していると聞きますので、ぜひ留学してみてください。
──今の話を聞いて、少し留学を考えてみます
ぜひ今日帰ったら調べて、すぐにでも準備を始めてください(笑)。